「私たちはトモダチ」小平奈緒とイ・サンファ 長野での再会

「私たちはトモダチ」小平奈緒とイ・サンファ 長野での再会
「世界最速」の座を争い続けてきた2人の女性。
日本の小平奈緒選手と韓国のイ・サンファ(李相花)選手。
同じ種目で競ってきたライバルでありながらも、友情を育み続けてきました。

5月に小平選手のふるさと、長野県で対談が実現。その様子を独占取材することができました。
「私たちはトモダチ」。
対談の中で出たこのことば。その意味を読み解きます。
(スポーツニュース部 記者 猿渡連太郎)

“特別な2人”が争った「世界最速」の座

レースを終えるとリンク上で崩れ落ちそうになるライバルを支えながら、そっと声をかけました。
「チャレッソ」
「よく頑張ったね」
2018年のピョンチャンオリンピック。
スピードスケートの女子500メートルで、金メダルを手にした日本の小平奈緒選手と、オリンピック3連覇を期待されながらも敗れた韓国のイ・サンファ選手。
『世界最速』の座を争った直後に寄り添う2人の姿は私たちの記憶に深く刻まれました。

“会いたかった” 長野の再会

2022年5月11日、午後1時。小平選手は地元・長野にあるスケート場、エムウェーブにいました。
1998年の長野オリンピックをはじめ、数々のスピードスケートの大会が行われ、小平選手が長年、練習拠点にしている場所です。
小平選手にとって言わばホームスタジアムですが、この日のスケートリンクは夏期休業中のため見慣れた氷は張られていないうえに、小平選手の姿はジャージでもレース用のスーツでもなく、私服。
シャツに、紺色のワイドパンツ、足元はスニーカーでした。
小平奈緒選手
「あまり私服は持っていないんですけど、リラックスできる格好で来ました」
場内に入り立ち止まったのは、主戦場としてきた500メートルのスタートライン。
「何回か同じ組で滑ったことがあって。彼女と一緒に滑るときは緊張よりワクワクしましたね」
この場所でスタートの合図ではなく、再会の瞬間を待ちました。

同時刻、イ・サンファさんがエムウェーブに到着しました。
イ・サンファさん
「奈緒と会えると思うと、ワクワクする」
イさんはスピードスケートの韓国代表としてオリンピックに4大会出場し、金メダル2つと銀メダル1つを獲得した元世界女王です。
2013年にマークした女子500メートルの世界記録はいまだに破られていません。
2019年、長年酷使してきたひざが限界を迎えて現役を引退しました。
一方の小平選手は、北京オリンピックから2か月後のことし4月に会見を開き、10月の国内開幕戦を最後に現役を引退することを発表しました。
発表の会見の中では、ライバルだったイさんについても言及していました。
小平選手
「引退することはメールとかメッセージで伝えることではないと思うので、次、サンファに会えた時に報告ができたらいい」
小平選手が望むイさんと再会する機会をセッティングできないか。
オリンピックを取材してきたNHKの取材班を中心に双方にコンタクトを取り、実現したのが今回の対談でした。

イさんからの要望で「ラストレースに向けて練習している奈緒に負担をかけたくないし、彼女が育った場所を見たい」と、対談場所は長野に決まりました。

ライバルであり「トモダチ」

午後1時5分。イさんが小平選手に駆け寄ってきました。
イさん
「奈緒だ、奈緒ちゃんだ」
小平選手
「元気だった?」
「会いたかったよ」
「私も会いたかった。疲れていない?」
「ちょっと疲れたけど大丈夫。そうだ、お土産があるの」
小平選手に渡した大きな手提げ袋に隙間無く入っていたのは、さまざまな種類の韓国のり。
「奈緒は韓国のりが好きで。この前、韓国から送ったんだけど足りないって言うから持ってきたの」
日頃から宅配便でプレゼントを贈り合っているという2人。
小平選手はイさんのお気に入りのアニメグッズをプレゼントしました。

1986年生まれの小平選手に対しイさんは1989年生まれですが、このあとも2人の間に年の差を感じることは全くありませんでした。
小平選手
「後輩なのに、サンファはいつもしっかりしているね」
イさん
「年齢は関係ないよ」
「そうだね、ただの数字だもんね。ということで私たちチング(友達)です」
「トモダチ!」
2人が初めて出会ったのは20年以上前、スピードスケートの日韓交流大会でした。
当時は小平選手が中学生、イさんが小学生。
直接話すことはありませんでしたが、小平選手は中学生より速いイさんの姿を鮮明に覚えていました。

その後、2人はそれぞれの母国の代表選手に選ばれ、ドイツで行われた国際大会のロッカールームで初めて会話を交わしました。
イさん
「奈緒が『私のこと覚えている?』って話しかけてきて、ちょっと考えて思い出したんだよ」
小平選手
「ずっとサンファと話してみたいと思っていてね、勇気を出して話しかけた。たしか写真撮ったよね」
そこから国際大会で会うたびに、時にライバル、時に友人として関係を築いてきた2人が今回の対談で最初に選んだ話題は、小平選手が決めたこの秋での引退という選択についてでした。
「奈緒なら4年なんて何でもないと思っていたの。また次のオリンピックも出るだろうと思っていたし、応援したかった。だから、引退のニュースを見て驚いた」
「スポーツ選手は心が燃え尽きてしまって引退することが多いんだけど、私はそういった姿では終わりたくなくて。まだ速く滑れるって思っている気持ちを持ちつつ、心の炎を燃やし続けながら進みたいと思ったの。だから10月のレースをスケート人生のゴールにしようと決めた。サンファは引退したこと、後悔していない?」
「後悔というよりは未練かな、小さいときからスケート一筋だったから。でも、けがしたひざが言うことを聞かない。『サンファは1位を取る』とみんなに期待されている中、現役を続けて2位や3位になるのが嫌だった」
現役時代、イさんは圧倒的な強さから韓国で「氷の女王」と呼ばれていました。
若い時から世界の第一線を走り続け、20歳で臨んだ2010年のバンクーバーオリンピック女子500メートルで金メダルを獲得すると、2014年のソチオリンピックでは連覇を達成。

その背中を小平選手は追いかけ続けていました。
スケート強豪国のオランダに留学するなどして滑りを磨いた小平選手。
その努力が結果に結び付いたのが2014年のソウルで行われたワールドカップでした。
同じ組で滑ったイさんを破って、ワールドカップ初優勝を飾ります。

しかし、その結果以上に小平選手の記憶に残っているのが、レース後の出来事でした。
このとき、小平選手は留学先のオランダにすぐに戻らなければなりませんでしたが、競技会場から空港に急いで向かいたいものの、タクシーの呼び方が分からず困っていました。
そんな小平選手に声を掛けたのが、イさんだったのです。
小平選手
「タクシーを呼んでくれたうえに、韓国のタクシーはカードが使えないからって現金を渡してくれた。本当は悔しいはずなのに、私に気をつかってくれた」
イさん
「それが大きな意味を持つとは思っていないよ。当然のことをしたまでで」
「さすが、サンファだね」
2人の相手を思いやる自然なふるまいは、対談の間、何度も見ることができました。
例えば、カメラが回っていない、ふとした休憩時間には小平選手が「疲れてない?大丈夫?」と声をかけて、長時間の移動で来日したイさんの体調を気遣いました。

イさんは、小平選手が大会直前にけがをしたため思うような滑りができなかった北京オリンピックのレースの映像を見る際、小平選手の気持ちを思いやり「奈緒は今これを見て大丈夫なの?」と声を掛けていました。

そして、2人が初めて語ったというピョンチャンオリンピックの際のエピソードも私たちを驚かせました。
金メダルを争うレースを前に、ふだんは会話を交わす2人の間に生じていた距離感について、当時、周囲はライバルとしての緊張関係があると考えていましたが、2人の間では別の感情が流れていたことを明かしました。
イさん
「奈緒はあのとき好調だったから、邪魔をしたくなかった。迷惑になると思って。だから奈緒を見てもいつもどおり話しかけなかった。ごめんね」
小平選手
「初めて知ったよ。少しよそよそしく感じてはいたけど、サンファが緊張していたり、母国開催のオリンピックだからすごいプレッシャーの中で集中を高めているのかなって思っていたから」
勝利への執念や緊張、そして不安を抱えながらも、相手を思いやる気持ちがオリンピックのレースに臨むときでさえも2人の根底にはありました。

違いを知ると見えてくるもの

2人が語り合うことばに耳を傾けるうちに、育ってきた環境や国、文化。それに年齢が違うだけではなく、同じ種目で長年競ってきたアスリートが、なぜこんなにも相手を思いやることができるのか疑問が沸いてきました。
ただ単に「気が合う」「心が通じ合う」ということだけでは言い切れないという2人の関係。
その答えのヒントは対談の内容が「スポーツが平和の助けになるのか」というテーマに及んだときに、小平選手が語ったことばの中にありました。
小平選手
「違うということに対して、避けてしまう気持ちが多くの人にあると思うんですけど、違うことは特別ですごく価値のあること。文化やことばなど、違いを知ろうとすれば、必ず似ていると感じる部分が出てきます」
20年以上にわたって、2人は互いの違いを理解しようとしてきました。
そのために、会話がしやすいようにと、出会った頃から相手の母国語を勉強してきたといいます。

今回も、長時間に渡る対談や細かいニュアンスを伝え合うときは通訳を介しましたが、そのほかのほとんどの時間は、日本語や韓国語、それに英語を交えて直接、会話をしていました。
分からないことばがあれば「これは韓国語(日本語)では何て言うの?」と相手に聞く姿が印象的でした。

そして、互いの似ていることの話題になると会話が途切れることはありませんでした。
負けず嫌いなところ。
優勝したことが分かっても大きなガッツポーズをほとんどしないこと。
大切なオリンピックの前にけがに悩まされたこと。
ロッカールームで準備をするときはきちんと服をたたむこと。

共通点を見つけるたびに、2人の間に笑顔が広がっていきました。
今回の取材で、小平選手は私たちに好きな韓国語のことばを教えてくれました。
それが「ナンノルミド」。
意味は「あなたを信じている」。

互いの違いを理解し合う2人は、これからも互いの似ているところをいくつも見つけ出しながら、友情を育んで行くに違いないと確信しました。
スポーツニュース部 記者
猿渡連太郎
2013年入局
宮崎局を経て現所属
2年前からスピードスケート担当
北京オリンピックは現地で取材