“容疑者を救えなかった” 兄は悔やんでいるはず

“容疑者を救えなかった” 兄は悔やんでいるはず
「医師だった私の兄が診察のとき着ていた白衣です」

こう語る女性。

大阪のクリニックが放火された事件で亡くなった院長の妹です。

事件では院長や患者など26人が亡くなりました。

それから半年。

「兄は医師として、患者でもあった容疑者を救えなかった。そのことを悔やんでいるはず」

クリニックの患者との交流を通じて、妹はそうした思いを抱いています。
大阪 北新地 クリニック放火殺人事件
2021年12月。大阪・北区の心療内科クリニックが放火され、西澤弘太郎院長(当時49)や患者ら巻き込まれた26人が死亡した。患者だった谷本盛雄容疑者(当時61)が殺人などの容疑で書類送検され、容疑者死亡のため不起訴に。

兄のクリニックで事件は起きた

この事件で亡くなった西澤院長の妹の伸子さんが、私たちの取材に応じ、胸の内を明かしてくれました。
伸子さん
「現実じゃないような気がしていて、ずっと夢を見ているような感覚です。なので、兄がいなくなったということは分かっていますが、あまり頭に入ってこないんです」
現場のクリニックの院長だった西澤弘太郎さん。生きづらさを抱えた人たちや職場への復帰を目指す人たちに寄り添い、サポートしてきました。

事件を起こした谷本盛雄容疑者はクリニックの患者でもありました。

“ようがんばった”

事件が起きた日。
昼食を取ろうとした伸子さんは、たまたまスマートフォンで見たニュースの「大阪北新地で火災」「心療内科」という言葉に目がとまりました。

「なんとなく嫌な予感がした」といいます。

ネットで検索すると現場は兄である西澤院長のクリニックでした。
伸子さん
「まさか、という思いでした。火を使うような場所ではないし、誰かに火をつけられたのではないかと、頭をよぎりました。すぐに家族とともにクリニックに向かいましたが、巻き込まれた人はすでに搬送されたあとでした」
「なんとか助かっていてほしい」

現場で警察や消防に聞いても西澤院長がどこで治療を受けているのか、どんな状態なのかは全く分かりませんでした。

伸子さんが西澤院長と会えたのはその日の夜。

場所は病院ではなく警察署でした。目を閉じる兄の顔は、今にも起き上がりそうなほどきれいだったといいます。
伸子さん
「父が“ようがんばった”と言葉をかけたのを覚えています。悲しいけれども、想像していた表現のしかたというのが全くなかったです。泣き崩れるとかあってもいいものの、そうではなくてポカーンとこう違う世界にいってしまったような感覚でした」

1人勉強に励む兄にエールを

西澤院長と伸子さんは4歳違い。子どもの頃は勉強を教わることもありました。

兄が関東の大学に進学したときは、中学生でした。医師になるための勉強に励む兄に、伸子さんは手紙を送っていました。遺品整理で当時の手紙が見つかりました。西澤院長は妹からの手紙を大切に保管していたのです。
伸子さん
「たぶん離ればなれになって、さみしかったから送ったんだと思います。もともと、私にはあまり興味のない兄でしたし、当時も手紙の返事はありませんでした。でも、ちゃんとこちらの気持ちを受け止めてくれていたんだなと感じて嬉しく思っています」

事件後に知った“医師としての兄”

社会人になってからはお互いに忙しく、直接顔を合わせるのは正月など年に数回程度。

医師としての兄の姿を知ることになるのは事件の後でした。
遺品整理で実家から見つかった段ボール30箱。そこには漢方や子どもの発達障害などの資料が詰まっていました。

「より多くの患者の力になりたい」と医師になってからも勉強を続けていた兄の努力を垣間見たといいます。

さらにネット上には、兄のクリニックに通っていたという人たちからの感謝の言葉があふれていました。
“患者思いの優しい先生でした”
“寄り添って辛抱強く話を聞いてくれました”
伸子さん
「これを見たとき私は泣いていたと思います。生前は全く兄が働いているところを見たこともなかったですし、聞く機会もありませんでした。亡くなってから、こんなに患者さんに慕われていたというのを初めて知りました。家族じゃない人に、こんなにも思ってもらえるんだということにびっくりしたし、うれしかったです」

自分にできることは

クリニックには約800人の患者が通っていました。

その多くの患者は事件の後、自分にあった新たな通院先を探すことになりました。

中には、何軒もの医療機関を回っている人もいます。そのたびに一から症状を説明しなければなりません。心療内科の患者にとっては大きな負担です。

さらに、自分も巻き込まれていたかもしれないと不安にさいなまれる人や、事件に遭わず無事だったことに負い目を感じてしまう人までいます。

伸子さん自身も、医療の仕事に携わってきました。

心のよりどころを失った患者を思うと、胸が痛み、兄だったらどうするか考えるようになりました。

自分にできることは何なのか、できる範囲だけでもサポートがしたい、伸子さんはそう思うようになったといいます。
伸子さん
「兄の気持ちを想像しました。自分に何ができるか考えた時に、クリニックに通っていてつらい思いをさせてしまった人たちのために少しでも手助けをしたいと思いました。いっときでも、一瞬でも気が楽になればいい、その手助けをしたいと考えました」

兄の遺志を継ぎたい

事件の2か月後。伸子さんが連絡を取るようになったのは、大阪市の団体「障害者ドットコム」。西澤院長のクリニックに通っていた人たちを、事件前から支援していました。

この団体も、よりどころを失った患者をどう支えていくか、悩んでいました。

団体が今年3月から定期的に開いているのが、患者たちのオンライン交流会です。

“西澤院長に代わる存在として患者たちを支えてほしい”
団体から背中を押され、伸子さんも参加しています。
参加者からは、いま直面している悩みや思いなどさまざまな声が上がります
参加者
「悪夢をみたり、ごはんが食べられなくなったり思い出して泣いてしまう」

参加者
「単純に話せる場、つながりっていうのがすごく大事だなと思いました」
伸子さん
「医師ではない私ができる範囲のことは決まってはいますが、人の話を聞くということがいかに大事かということは、すごく兄から言われているような気がしています」

思いを馳せて紡いだ言葉

交流会では事件を起こした谷本容疑者についても話が及びます。

容疑者もクリニックの患者でしたが、家族との縁は切れ、仕事もなく、社会から孤立していたことが明らかになっています。
参加者
「孤立していなければ、誰かが手を差し伸べていたら、事件は起きていなかったかもしれない。追い詰められた人間が同じような事件を起こさないとは言い切れないと思います」
「容疑者のことは考えたくもない。憎しみを持つことすら嫌だ」

これが伸子さんの正直な気持ちです。
しかし、交流会の参加者からの言葉を聞いた伸子さんは、兄が容疑者に対してどんな思いを抱いているか想像をめぐらせました。

ひとりひとりの患者に寄り添って、話を聞いて力になりたいと働いていた兄なら、きっとこう考えているのではないか。

声を詰まらせながら伸子さんが語った言葉は…
伸子さん
「被害に遭われた方ももちろんですけど、兄は医師として容疑者を救えなかったことも悔やんでいると思っています」

孤立と困窮 事件は防げたのか

その谷本容疑者が起こした事件は、消えることのない悲しみや苦しみを多くの人に残しました。

谷本容疑者は無関係の多くの人を巻き添えに『拡大自殺』を図ったとみられています。

事件を防ぐことはできなかったのか。

容疑者の足取りを追うと「社会的・心理的な孤立」や「経済的困窮」が重なっていたことが分かってきました。
谷本容疑者は、大阪市内で父親が板金会社を営む家庭で育ちました。

中学校の同級生は、目立たずおとなしい印象だったといいます。

高校卒業後は、実家や市内の板金会社で働き、25歳で結婚。2人の息子が誕生し、新居も購入しました。

しかし、48歳の時に離婚。妻との復縁を望みますが、実現しませんでした。
板金会社社長
「ちょっと悩んでるっていうのがあったですわ。復縁の話をちらちらと言っていたけど、受け付けてくれなかったと」
こう語るのは、当時勤務していた板金会社の社長です。復縁がかなわず、寂しさを募らせていた様子だったといいます。

そして決定的な出来事が。

離婚から2年半後の2011年。家族を殺してみずからも命を絶とうと、事件を起こします。家族への不満を一方的に募らせ、刃物を手に元妻の自宅を訪ね、長男に襲いかかりました。

判決は、殺人未遂などの罪で懲役4年。裁判の最後に、裁判長は、家族に依存せず、更生の道を探るよう諭していました。
裁判長
「今後、社会復帰を果たしたあとも、当面は孤独な生活をしなければならない可能性はあるが、家族への甘えをなくし、家族以外との関わりを持つことができれば、更生することは十分可能であろう」

さらなる窮地に

しかし、出所した谷本容疑者は、さらなる「孤立」と「困窮」に陥ります。

出所から2年後の2017年に谷本容疑者から生活支援の相談を受け、対応していた女性が、取材に応じました。
「すごく身なりもきちんとしていました。言葉遣いもこちらへの配慮を感じられるものでしたし、すごく常識的な方だなという印象でした」
久しぶりに人と会話をした様子だったという谷本容疑者。

大阪市内の簡易宿泊所で寝泊まりしていました。
「所持金はすでに5万円ちょっとしかなく、それが尽きたら何もない状態でした。相談の際には、『以前、息子を刺す事件を起こしたため、家族とは縁が切れている。自分の名前をインターネットで検索すると、過去の犯罪が出てきてしまい、前科がじゃまをして仕事が見つからない』と話していました。すぐにでも、生活保護を受けるべき人だと思いました」
仕事も収入もなく、家族との縁も切れていたため、女性の支援を受けて生活保護を申請。

しかし、受給には至らないまま、連絡が途絶えたといいます。
「『苦しいから助けて』ということを人にあまり言えない人だったように思います。もうちょっと踏み込んで、『どうしていますか』と連絡したりということを、私がみずからしなかったことは後悔しています」

クリニックとの接点 深まる孤立と困窮

その後、まもなく谷本容疑者が「夜眠れない」と通い始めたのが現場のクリニックでした。2週間に1回のペースで通院を続けます。

その後も仕事は見つからず、「孤立」と「困窮」は深まります。

去年2月頃、谷本容疑者は、事件の計画を立て始めます。クリニックの下見を重ね、9月には、スマートフォンで「京都アニメーション放火殺人事件」について検索。『拡大自殺』に向けた準備を進めていました。

事件の約2週間前にガソリン30リットルを購入。

そして、12月17日。クリニックでガソリンに火をつけ、無関係の26人を巻き添えに『拡大自殺』を図りました。
押収された谷本容疑者のスマートフォン。電話帳の登録件数は「0件」でした。

通話していたのはガス会社や電話会社のみで、交友関係を示す通話履歴はありませんでした。

今回、警察は、クリニックの関係者や容疑者と接点のあった可能性のある人などおよそ200人から話を聞きましたが、ここ数年で交友関係があった人は見つかりませんでした。

さらに、去年1月に83円を引き出したのを最後に、銀行口座の残高はずっと「0円」のまま。事件のおよそ2週間前、生活費にあてていたカード会社のキャッシングも限度額に達していました。

社会への復讐願望 抱いたか

事件の動機をみずからの口で語ることはなかった谷本容疑者。

犯罪心理に詳しい精神科医の片田珠美さんは、孤立する中で、社会全体に対して一方的に「復讐願望」を抱いていた可能性が高いと指摘します。
「誰も自分を助けてくれない、誰も自分のことを気にかけてくれないと絶望する中、人生がうまくいかないのは、社会や他人のせいだという恨みを抱いたのではないかと思います。社会への復讐願望を抱く中で、多くの人を巻き添えにした『拡大自殺』を図ったのではないでしょうか」
そのうえで、同じような事件を繰り返さないためには、「孤独・孤立」の対策をいかに進めるかが鍵になると指摘します。
「最後の抑止力になるのは、結局は人とのつながりです。『こういう事件を起こすと、あの人が悲しむのではないか』、『こういう事件を起こすとあの人に迷惑がかかるのではないか』、そう考えることが最後の歯止めになります。匿名でも受け付ける窓口を用意して専門家につなぐことや、経済的な困窮に対応する生活保護などのセーフティーネットを拡充させていくことが必要だと思います」

悲劇を繰り返さないために

何の落ち度もない26人もの命が奪われた今回の事件。

夫を亡くした女性が弁護士を通じてコメントを発表しています。

「私たちにとってとても大切な人が、悪意を持った人間によって、思い描いていた未来ごと殺されました。私たちの人生をめちゃくちゃにした身勝手なあの人間が死んだという現実のせいで、余計にいつまでもいつまでもこの苦しみから解放されることはないと思います」

愛する人を突然奪われた人たちの決して癒えることのない悲しみ。
事件が起こした傷はあまりに深く大きなものです。

同じ悲劇を繰り返さないために社会は何ができるのか。

私たちはこれからも取材を続けます。
大阪放送局 記者
影山遙平
2014年入局
大阪放送局 記者
堀内新
2016年入局
大阪放送局 ディレクター
野口翔
2011年入局
大阪放送局 ディレクター
申奎鎬
2017年入局