4000人余犠牲の山の手空襲から77年 小学生も参加し追悼の集い

太平洋戦争末期にアメリカ軍の空襲によって東京都心が大きな被害を受けた「山の手空襲」から77年となり、東京 港区で25日、地元の小学生などが参加して追悼の集いが行われました。

「山の手空襲」は、昭和20年4月から5月にかけて東京都心が繰り返し空襲による被害を受けたもので、中でも5月24日と25日の2日間の空襲では皇居のほか赤坂や原宿など広い範囲が焼け4000人余りが犠牲となりました。

この空襲から77年となる中、25日は慰霊碑がある表参道の一角で、空襲を体験した人や遺族などと一緒に地元の小学校の6年生も初めて参加して追悼の集いが行われ、はじめに花が供えられました。

続いて、体験した人の話を聞く取り組みが行われ、当時15歳だった中村道子さん(92)が「空襲で亡くなった人もかわいそうだが、皆さんと同じくらいの年で親と生き別れになった子どももかわいそうでした。残された子が駅などに集まり、最後はぼろぼろになって亡くなっていったのを見たことがあります。戦争だけはしないでください」と語りかけました。

参加した児童は「平和な自分の地元の町に爆弾が落ちて焼け野原になっていたことに驚きました。これからはみんなが暮らしやすい町をつくっていきたいです」と話していました。