移動できる それだけで

「人生終わりかと思った」

免許返納のあと、年を重ねた末に歩くことが困難になった人のことばだ。

自力で移動ができないことで、そこまで精神的に落ち込むことに、私は考えが至っていなかった。

免許返納のその先に、移動手段をどう確保するのか。人生を楽しく生きていくために大切な問題だった。

(ネットワーク報道部 鈴木有)

免許返納のその後

取材のきっかけは、5月13日の改正道路交通法の施行だった。

一定の違反歴がある75歳以上のドライバーは免許を更新する際、実際に車を運転して技能をチェックする検査が義務づけられた。

私は免許を返納した人の気持ちを聞こうとして、奈良市の塚本澄雄さん(84)に話を聞くことにした。
塚本さんは50年以上、医師を務めてきた人だ。

1981年からは外務医官としてサウジアラビアに派遣され、現地で医師免許を取得した日本人の第1号になった。

40代から50代にかけて7年もの間サウジアラビアで診療を務め、日々、多国籍の患者を診療したという。

ただ、海外の運転に慣れてしまったことで、帰国後日本で運転すると走行車線が異なっていたり、右折や左折の交通ルールが違っていたりと、感覚を元に戻すことができなくなっていた。

運転に危険を感じたことから、60代で免許を返納した。
「事故を起こすまいと思っていても、運転が怖かった。ちょうど免許の更新があって、そのときにお返ししました」

突然の体調不良 移動距離は500メートルに

免許を返納してからしばらくは、足腰もしっかりしていたため、歩いてバス停や駅まで行き、好きなところに出向いていた。

そして去年、長年勤めた奈良の病院を83歳で退職し、京都の病院に移ることになった。
退職後の去年4月、腰が痛くなり手術。

リハビリをしながら生活することになったが、それでも元気で外出していた。

そこに追い打ちをかけたのが心臓の病気だった。

ことし2月に体調不良になり、以前の勤め先に行くと、心臓がうまく動いていなく、急性心不全と診断された。

「これでは働けない」と勤めていた京都の病院には退職願いを出さざるをえなかった。

腰のリハビリは、心臓に負担がかかるためにできなくなったという。

車いすも、手でタイヤを回すことで心臓に負担がかかるので使うことができない。

およそ10分、500メートルを歩くのが限界になった。

すでに車は手放してしまっている。

買い物に行きたい、ごはんを食べに行きたい、コンビニに行きたい。

ちょっとした外出ができなくなり、家に閉じこもる日々が続いたという。
「本当にショックでしたね。人生終わりかと思いました。活動範囲が狭くなって、これから先の希望がなくなっていく、そういう感覚でした」

必死に探し たどりついた

どうすれば移動できるのか必死に考えた。

そんな中、新聞で車いす型の電動モビリティーの記事を読んだことを思い出す。

でも製品の名前が思い出せず、インターネットで「車いす」「電動」などキーワードをいれてくまなく検索した。

探したあげくに、ようやくたどりついた。

自宅に近い自動車販売店で販売をしていることがわかった。

すぐに電話で問い合わせた。
販売店では自動車の横に、車いす型の電動モビリティーが2台置いてあった。

実際に乗ってみて、非常によく出来ていると感じ、すぐに購入を決めた。

「今の心臓でも自力で駅にいけると思いました。座っている分、負担ではない。ひじ掛けについているスティックを倒して操作しますが、手を離すと自然にブレーキがかかり運転が楽です」

大好きな世界に戻る

最高速度は時速6キロメートルほどで、免許はいらない。

歩行者と同じ扱いなので、歩道を移動することになる。

手に入れたことで心拍数を気にして移動しなくてよくなった。

特に上り坂の移動が楽だった。
また折りたためるので、電車やタクシーにも持ち込むことができる。

移動した先でも使えることもメリットを感じた。

今月10日、塚本さんは車と電動モビリティーを使って、自宅から1キロ余り離れた図書館を初めて訪れた。
運転しながらスロープを上って図書館に入る。

早速向かったのは学生時代から趣味だった“釣り”のコーナー。

「懐かしいなサビキ釣り。おー仕掛け作りか、楽しそうだな」

本を通して大好きな世界に戻り、うれしい思いが次々に口から漏れていた。
「借りて、読んで、返しに行く。これだけで楽しみですよ。もう、若返っちゃいます。いままで家の周りをちょこちょこ歩くだけでしたから」

取り戻した生きがい

“移動ができる”

そのことだけで、塚本さんは活力を取り戻した。

そして図書館に出向いたおよそ1週間後、さらに人生を前に進めていた。

5月18日の朝、塚本さんが向かったのは町で唯一の診療所だった。
入り口から自分で歩いて建物の中に入り、診察室に向かった。

机の上に、透明な袋に包まれた白衣が置いてあった。

塚本さんは、袋から白衣を取り出し、さっそうと羽織った。
診察室に患者が入る。

塚本さんが患者を診る。

手を触り、具合をみて、患者の肩に注射を打つ。

患者の悩みを聞き、丁寧に一つ一つはっきりと答えていた。

塚本さんは、医師としても復帰していた。
「これが、私の生きがいです。今の患者さんたちも、昔勤めていた病院の時からのつきあいです。うれしいことです」

塚本さんは、電動モビリティーを使って、全国各地で開かれる学会にも出席したいと希望を話した。
「年を重ねると体力なくなって活動範囲は狭くなってしまう。でもこれがあれば外に出て、行ける範囲も少しずつ広がっていくと思う。学術会議や学会に行けるかは未知数ですけどやりたいと思っています」

自動車販売店で取り扱いが急増

塚本さんは自動車のディーラーで電動モビリティーを購入した。

メーカーによると扱うディーラーは去年2月末には全国に100店舗程度だったが、ことし2月末時点で700店舗以上に増えたという。

奈良日産自動車登美ヶ丘店の小池博之店長は、これまで利用者が免許を返納するとそこで関係が切れてしまっていたが、新しい選択肢を示せることができるのがメリットだと説明してくれた。

電動モビリティーに乗る人への安全講習会も各地で開かれるようになっている。
(奈良日産自動車登美ヶ丘店 小池博之店長)
「70代のお父さんやお母さんに息子さんからプレゼントするという話も聞いてます。これまでは免許を返納したあと車を処分させていただくだけだったんですが、新しい提案ができるようになりました」

移動できる それだけで

塚本さんはいま、趣味の釣りに出かける計画もたてている。

移動手段を得るだけで、ここまで人生が変わるのかと驚いた。

高齢者の事故が課題となる中、運転に不安を感じ免許を返納する動きはさらに進んでいくと思う。

その先には長く元気に歩ける人もいれば、そうはいかない人もいる。

移動できること。

それが人生でとても大事なことなのだとつくづく思った。