言えなかった。男子トイレにサニタリーボックスが欲しいなんて

言えなかった。男子トイレにサニタリーボックスが欲しいなんて
ダメだ、おしっこが止まらない。

スラックスに漏れ出てくる。

トイレでのパッド交換は何回目だろう…

きょうも袋に入れて、持ち帰るしかないのだろうか。

誰にも見られないように

埼玉県に住む67歳のオカダさんは9年前に人間ドックで前立腺がんが見つかった。

「えっ、なんで自分が…?」

58歳、公務員としてまだやるべき仕事があった。

怖くないわけではないが、命が助かるならと全摘出の手術を選び、無事に成功した。
問題は尿失禁だった。

手術後は自分の意思でコントロールできないのだ。

あんまり気持ちのいい状態じゃない。

おむつや尿漏れパッドは、頻繁に交換しないと尿がどんどんたまり、スラックスも重くなった。

手術後、しばらく家に引きこもるような生活が続いた。

「このままの状態で仕事に行くのか?」と思うと恥ずかしさと戸惑いがこみ上げ、職場復帰を遅らせざるをえなかった。
尿の漏れる量は落ち着いたが、仕事中も気になる。

スーツのポケットに、二重にした袋と替えのオムツ、パッドをこそっとしのばせてトイレに立つ。

湿ったそれを、そのまま外で捨てるなんてやってはいけない…

自席に戻り、袋をそっと書類バックにしまって持ち帰るしかなかった。

長い時間買い物するときは途中で駐車場に戻って、包んだ袋をひとりトランクに押し込んだ。

こんなこと人に言っても、理解してもらえないと思っている。

手術から9年たった今も、尿漏れパッドは外せない。

《ここまでオカダさんの視点でエピソードを紹介しました》

“えっ、男子トイレにはないの?”

「男子トイレにも尿漏れパッドなどを捨てるサニタリーボックス設置を」

埼玉県でこの呼びかけを始めたのは1人の女性でした。
大谷貴子さんは去年6月、YouTubeで男性が尿漏れパッドを捨てる場所がなかなか見つけられないという経験を語る動画を見つけました。

「えっ、使用済みの尿漏れパッド?トイレで交換した時に、サニタリーボックスに捨てればいいだけじゃないの?」

大谷さんはその時まで、女子トイレに当たり前に置いてある生理用品を入れるサニタリーボックスが、男子トイレにないことを考えてもみませんでした。
大谷貴子さん
男子トイレにはサニタリーボックスがないことを知って本当に驚きました。男性にとってもないのが当然で、誰も疑問を抱かなかったことにこの時に気付いたんです。
大谷さんの声がさいたま市議会で取り上げられ、さいたま市内の公共施設をはじめ、埼玉県内で男子トイレへのサニタリーボックス設置が進みました。

大谷さんは過去に

「男子トイレの話なのに、どうして懸命に改善を働きかけたんですか?」

そう尋ねると大谷さんは、大学院生の時、慢性骨髄性白血病と診断されて闘病した過去を教えてくれました。

母親から骨髄移植を受けて回復することができた大谷さんは「骨髄バンク」の設立に尽力。

自分自身がつらい経験をしたからこそ、困っている人を見ると黙っていられない性格だと笑いながら話してくれました。
大谷貴子さん
設置が広がり、当事者の方から『設置してくれてとても助かっている』といったうれしい反響がありました。トイレの話だし、恥ずかしさもあると思いますが、困っているときは声に出すことが大切だと改めて思いました。
尿漏れパッドやおむつを使用する人は増え続けています。

「日本衛生材料工業連合会」のまとめでは、紙おむつの使用人口は2020年の推計で大人用が377万人。342万人の子ども用を上回りました。

また国立がん研究センターによると、2018年に男性が新たに診断されたがんは、手術後に尿漏れに悩む人がいる「前立腺がん」が最も多くなっています(国立がん研究センターがん統計:がん罹患数の順位)

自分だけじゃなかった

「私も誰にも言えませんでした。男性の間で言える文化がないんです」

こう話すのは、一般社団法人「日本トイレ協会」で事務局長を務める砂岡豊彦さん(67)。自身も尿漏れパッドを捨てるのに困っていた当事者でした。
砂岡さんの場合はがんではなく、太ももの付け根に“骨折したような痛みが何度も走る”という「変形性股関節症」でした。

30代の時は痛み止めを飲まないと生活がままならず、40代後半には大きめの座薬を1日3回入れないと夜も眠れない。座薬が溶け出すとお尻から漏れ出してスーツまでシミが広がってしまうため、女性用の生理ナプキンを手術を受ける前の55歳までの約5年間、毎日つけていました。

夏場は1日に3回から4回交換する必要がありましたが男性用トイレに捨てる場所がなく、かばんに入れて持ち歩くしかありませんでした。

仕事でトイレを設置する事業にかかわっていましたが、自分からは言いだせなかった経験を踏まえ、日本トイレ協会でことし2月にSNSを通じてアンケートを行いました。

回答した男性336人のうち38人が尿漏れパッドやおむつを使っていて、その約7割が“捨てる場所がなくて困っていた”と回答したため「悩んでいたのは自分だけではなかった」と感じたといいます。
日本トイレ協会 砂岡事務局長
「私のように誰にも言えなかった男性がまだまだ多いと思います。また生理用品を使うトランスジェンダーの方もいると思うので、サニタリーボックスの設置を積極的に考えてほしい」

民間企業でも

民間企業でもサニタリーボックスを設置する動きが出ています。東京・品川区にある自動車販売店では、ことし3月から設置を始めました。

ショールーム担当の齋藤幸恵さんが、何気なくSNSを眺めていた時に目にとまったのが、尿漏れパッドを捨てる場所に困っていることを訴える新聞記事でした。
トヨタモビリティ東京 勝島店 齋藤幸恵さん
「男性もサニタリーボックスを必要としている人がいるということに気付かされました。もしかしたらこれまで不便をおかけしていたお客様がいても声を上げられなかったのかもしれないと思いました」
齋藤さんはすぐに日本トイレ協会に大きさなど設置のポイントを問い合わせ、店長からも承諾を得ました。

そして記事を見た2日後には、ショールームのトイレに尿漏れパッドが入る大きなサイズのサニタリーボックスを設置し、予備の尿漏れパッドも用意しました。
この取り組みは近隣の10の店舗にも広がっているということです。
齋藤幸恵さん
「これまでに利用した方はいませんが、万が一でも、困った時に不便をおかけしないで済むことを思えば、困っている人がいると知った以上、置かない選択肢はなかったので、店長に設置を相談しました」

サニタリーボックス論争

これまでサニタリーボックス設置についてどのような議論がされてきたのか。

歴史社会学が専門で『生理用品の社会史』などの著書がある、立教大学兼任講師の田中ひかるさんに聞きました。
《以下、田中さんの話です》

サニタリーボックスの議論は以前からあった?
男性トイレが話題になるのはここ1年ほどのことで私も興味深く見ています。

かつて女性トイレについて議論になったのは、2019年に大阪で行われたG20サミットの時に、関西や首都圏の鉄道の駅の女性トイレからサニタリーボックスが撤去されたことがきっかけでした。

これは「テロ対策」として一部の鉄道会社がゴミ箱を撤去する措置の一環として行われ、SNSでは捨てられずにトイレに散乱する生理用品の画像が拡散され、「予告なく撤去されるのはおかしい」などと大きな関心を集めました。

しかしその後の東京オリンピックは新型コロナの影響で無観客となったため、改めて議論されることはありませんでした。

なぜ今、男性トイレに注目が?
これまで男性で困っている人がいても可視化されなかったが、声をあげる人が出てきて問題が見えるようになったということだと思います。

女性たちが経済的な事情などから生理用品が手に入れられない「生理の貧困」が近年注目されました。

もともと「恥ずかしくて言えない」とか「問題だと思っていなかった」としていた女性たちがSNSなどで声をあげて広がったこととも共通するところがあります。

サニタリーボックスの管理、どうしたら?
もともとサニタリーボックスは「汚物入れ」という言われ方もされていましたが、70年代に生理のイメージを改善しようとする中で呼び名が変わってきました。

ただ個人的には、使用済みのナプキンの場合は実際に経血が付着し衛生上のリスクもあるので、名称はどうあれ、きちんと処理する必要があると思っています。

男性の尿漏れパッドなどでも同様のことがあると思うので、ニーズがあるところには設置を進めていく必要があると思います。

《ここまでが田中さんの話です》

設置のポイントは

男性トイレにサニタリーボックスを設置する時にはどのようなことに気をつけたらいいのでしょうか。

日本トイレ協会の砂岡事務局長は「まだ各地で設置が始まったばかりで状況に応じた対応が必要だ」としたうえでいくつかのポイントを教えてくれました。

1. 利用者のニーズや施設の清掃頻度、スペースの広さなどに合わせて適切な数を確保する

施設の状況に応じて設置したあとは、清掃業者などと連携しながら実際にどれぐらい利用されるのか調べるのも効果的で、日本トイレ協会でも今後さらに詳しいニーズや利用状況の調査を行うということです。

2. 女性用よりも大きいものを設置する(目安は10リットル以上の容量)

尿漏れパッドや紙おむつは女性用のナプキンより大きいからです。
3. 設置の理由をただし書きやポスターなどで明示する

ことし3月に市内すべての公共施設の男子トイレに設置を決めた埼玉県八潮市では、施設内にポスターを掲示するなどして、具体的に設置の理由を示したうえで利用者に呼びかけています。
4. サニタリーボックスが置いてあるとわかる目印を置く

設置を進めているさいたま市の体育館では、個室の扉にサニタリーボックスが中にあると示す紙が掲示されています。

また浦和区役所は「ゴミ箱ではありません」とあえてふたに記載し、本当に必要とする人だけが使ってほしいとしています。
まだまだ始まったばかりの取り組み。

職場や地元の公共施設など身近な場所に置かれているか、確認してみてはいかがでしょうか。

話していいんだ

今回の取材班のうち男性記者2人が話を聞きにいくと「これまで話を聞きに来たのは女性記者ばかりだった」と言われました。

それを聞いてもし自分だったら“尿漏れパッドが捨てられず困っている”と言えただろうかとモヤモヤした気持ちになりました。

「困っています」とひと言口にするところから、社会が変わっていくのかもしれません。

(ネットワーク報道部記者 高杉北斗 杉本宙矢 清水阿喜子)