全国を旅した “交換ノート”

全国を旅した “交換ノート”
1冊のノートがあります。

去年、1人の女子大学生が全国の顔も知らない学生たちと始めた“交換ノート”です。

交換のルールは3つだけ。
手書きにすること。次の人に質問すること。郵送で回すこと。

全国をめぐって、それぞれの思いを受け止めたノート。

そこには、コロナ禍を生きる学生たちの“いま”が綴られていました。

(北九州放送局記者 大倉美智子)

私は大学生 でもキャンパスに行ったことがない

「入学してから1年余り。まだ、大学に行ったことがないんです」

悲しそうに、ほほえむのは福岡県行橋市に住む中條留衣さん。
この春、京都の大学の2年生になりました。でも、キャンパスには一度も行ったことがありません。

コロナ禍でオープンキャンパス、入学試験、入学式、日々の講義…
ありとあらゆるものがオンラインだったといいます。

憧れていた1人暮らしも諦めざるをえませんでした。
中條さん
「大学に入学したらコロナの感染も落ち着いてキラキラしたキャンパスライフが送れると思っていた。でも気付いたらずっと家にいて。どうして私が学生の時にこうなっちゃったんだろうと泣いて過ごしてた」

気持ちを言葉にしてみよう

中條さんはふだんから高校時代の先生と手紙でやり取りをしていました。

先生がつづるていねいな文字にぬくもりを感じ、いつしか中條さん自身もいまの気持ちを言葉にして残したいと思うようになりました。

先生からもアドバイスを受けました。

「悲しむだけでなく今できることを探したら?」

たどりついたのが手書きの「交換ノート」です。
ルールはシンプルに3つだけ。

1 手書きにすること

2 次の人に質問すること

3 郵送で回すこと
中條さんがこのアイデアをツイッターでつぶやき仲間を募ると北は仙台から南は鹿児島まで全国の学生たちが集まり、25人の交換ノートがスタートしました。

ひとりじゃない

学生たちは、1枚のルーズリーフに自分の思いや将来の夢などを1文字1文字、手書きで書き込みます。

そして、1枚ずつ重ね、麻ひもでとじてノートにします。

中條さんは手書きの文字にこだわりました。
中條さん
「SNSだとみんな同じフォントで限られた文字数になっちゃうけど白いノートだと自分らしさを最大限に出せると思うんです。好きな色を使ったり、写真を使ったり。手書きの文字にはその人にしか出せない味わいがあって、『きっとこういう子なんだろうな』って字から想像できちゃうくらい楽しいし、温かみがある。それが手書きの魅力です」

あなたのこと教えて!

交換ノートのルールの1つ、「次の人への質問」はノートの中では“バトン”の役割を果たしました。
“学生”という共通点以外は顔も名前も知らないどうし。

「今一番行きたい都道府県は?」
「笑顔になる瞬間はどんなとき?」
「自分を色に例えると?」

質問のバトンを受け取った学生は自然と「聞いてくれてありがとう」の言葉を添えて答えるようになっていました。

こうしたバトンは25人を確実につなぎ、いつしか友達の輪が広がっていました。

“みんなに会いたい” 文字から伝わる人柄に惹かれて

「お待たせしました、集まってくれてありがとう」

ノートを通じた交流で、互いに興味を持った学生たち。

ここでオンラインの出番です。
10月にはハロウィーンパーティー、お正月には新年会。

楽しくて時には一日中、オンラインをつなぎっぱなしで過ごすこともあったといいます。

実際には、一度も会ったことのない友達だけど、悩みや夢を打ち明け合うことで交流を深めていきました。

一歩を踏み出すきっかけに

メンバーの1人、熊本県に住む矢田裕季さん(18)はノートと仲間のおかげで新たな一歩を踏み出せたと話します。
高校になじめず、一時は不登校になり、転校も経験しました。

ノートに書かれていた「つらいことや困難には向き合わなければいけない」という言葉。

その言葉で閉じこもっていた自分の殻から抜け出せたといいます。
矢田裕季さん
「同じことを大人に言われたときはピンとこなかったけど、みんなの言葉は胸に刺さった。いつまでもこのままじゃいられないって思えました」
まず、挑戦したのは洋服を着るモデルです。

友人がデザインしたTシャツやトレーナーを着て、洋服のイメージを伝えます。

誰かの役に立ちたい…。

矢田さんは少しずつですが自信を持てるようになったといいます。
矢田裕季さん
「私ってこういうことできるじゃんって思いました。その一歩が踏み出せたのもノートのおかげです。私は人を笑顔にできる大人になりたい」

コロナ禍を「生きた証」

およそ半年かけて25人の元を2周旅した交換ノートはことしの3月、また、中條さんのところに戻ってきました。

中條さんは再びいまの思いを書きました。

そして、ノートに重ねて麻ひもを通す間、これまでの時間がよみがえってきたと言います。
中條さん
「ゆっくり麻ひもでページをつづっていくときに、みんなとのつながりを感じます。メンバーからたくさんの元気と温かさをもらってポジティブな自分に変われたと思う。交換ノートと仲間はコロナ禍でできた自分の財産だって思います」
メンバーの1人がノートの最後に書いていたのはこんな言葉でした。
「1人1人が綴ったノートが『生きた証』として形に残っていて物理的に遠くても寄り添ってくれる」

そして中條さんが最後につづった言葉。
「今しかできないことだってある。プロジェクトは私の宝物」

想像もしなかった未来だったけれど

どうして友達と会えないんだろう。
どうして私が大学生になるときとコロナ禍が重なったんだろう。

交換ノートという「今しかできないこと」に取り組んでそんな思いは薄まっていきました。

25人で分かち合ったコロナ禍の時間。

思い描いたものとは違ったかもしれないけれど、彼ら、彼女たちの青春は確かにノートに刻まれています。振り返ったら、それはほろ苦いだけでなく、きっと懐かしくまぶしい日々になると思います。
北九州放送局 記者
大倉 美智子
2012年入局。熊本局、ニュース制作部を経て現所属。ちょっとした気持ちを伝えるときに便利な一筆箋が好きです。