痴漢かも?声をかけて助けた夫婦

痴漢かも?声をかけて助けた夫婦
「痴漢です」
電車内で女性の小さな声が確かに聞こえました。

夫婦が歩み寄り、「できることはありますか?」と声をかけると、女性はボロボロと涙をこぼし「この人が逃げないように見ていてください」と訴えました。

見ず知らずの女性のために行動した夫婦は、臨床心理士と弁護士。
被害者支援を行うこともある専門家でもありました。
(ネットワーク報道部・大窪奈緒子)

確かに聞こえた 女性のかぼそい声

去年6月の昼下がり。津金由美子さん津金貴康さん夫婦は大阪から京都に向かう特急電車に乗っていました。

隣の車両から40~50代くらいの男性が足早に移動してくるのが目に入りました。そのすぐ後ろを、20代前半くらいの女性が男性を追いかけるように歩いてきます。

横を通り過ぎるとき、女性のかぼそい声が確かに聞こえました。

「痴漢です」
ボックス席に座ると、女性を無視して窓の外を見続ける男性。

周りの乗客も異変に気付いている様子でしたが、声をかける人はいません。その状況が数分間続いたあと、由美子さんが夫の貴康さんに言いました。

「女性に声をかけてきて!」

どう声をかけよう?選んだことばは…

貴康さんは迷いながらも女性に歩み寄り、ひと言、こう話しかけました。

「できることはありますか?」

気丈に見えた女性は、ボロボロと涙を流し「この人が逃げないように見ていてください」と訴えたといいます。
(貴康さん)
「張り詰めたものが切れたように涙があふれていました。不安だったんだろうな、ひとりで戦っていたのだなと感じましたし、もっと早く声をかければよかったなと反省もしました」
貴康さんは男性が移動できないよう通路に立ち、次の停車駅に着くと由美子さんが乗客と連携して駅員を呼び、警察に通報しました。
(由美子さん)
「自分よりも若い女の子だったので何とかしてあげなきゃと、その時はもう必死でした。後から思うと、彼女は不安の中でもちゃんとまわりにわかるように声をあげていて。それを無視はできない。“ひとりじゃないよ”と伝えたかった」

臨床心理士として大切なこと

由美子さんの仕事は臨床心理士。

心の不調を抱えた人たちを日々支援する中で、困りごとや悩みに周りが気付く大切さを感じているといいます。
(由美子さん)
「困っている人や悩んでいる人はだいたい、孤独なんですよね。ひとりという感覚が強い。孤独な中でどんどん落ちていってしまいます。臨床心理士はそうした人のSOSに気付いて応えるのが仕事。今回で言えば痴漢被害を訴える女性に『どうしました?』と声をかけることで、寄り添ってくれるかもしれないと思ってもらう。それが支援の場ではとても大切です」

助けてもらった経験があるから

由美子さんも痴漢に遭った経験があります。

中学生のときは、電車を降りるすれ違いざまに体を触られました。近しい人に話すと、衝撃的なことばが返ってきました。

「そんな格好しているから触られるんじゃないか」。

由美子さんは、疑問に感じながらも「私が悪かったんだろうか」と、言い返すことができませんでした。

高校生のときは、制服を着ていました。満員電車の車中で体を触られている感触がありました。「もし、勘違いだったらどうしよう」体をねじって体勢を変えても、手は体に沿って動きます。

そのとき突然、近くのシートに座っていた見知らぬ中年の男性が声をかけてくれました。

「大丈夫か?」
(由美子さん)
「びっくりしました。『このおじさんは誰だ?』というのと、『どうして被害にあっていることに気付いてくれたの?』というのと、痴漢が怖いのとでパニック状態で」
男性は「ここに座り」と言って隣に座らせてくれました。

その時は「ありがとうございました」と言うのが精いっぱいでした。
(由美子さん)
「年月をへて、本当にありがたかったなという感謝の気持ちが大きくなっています。痴漢は、被害を受けたときもそうですが、そのあとも孤独です。声をかけて助けてもらったことでひとりじゃないんだと思うことができるようになりました。今回、被害を訴えていた女性に声をかけることができたのは、臨床心理士としての思いに加えて自分が助けてもらった経験があるからです」

被害者が声を上げにくい社会にはしたくない

夫の貴康さんは弁護士。

痴漢かもしれないという状況を目の当たりにしたとき、はじめは行動を起こすことに戸惑いがあったと言います。
(貴康さん)
「ちょっとだけ、この人がもし本当は罪を犯していなかったらどうしようという思いもありました」
実は弁護士を志したきっかけが「えん罪被害を無くしたい」という思いからだったという貴康さん。痴漢も、えん罪を心配する声は多くあります。
(貴康さん)
「私は、えん罪に苦しむ人を救いたいという思いで、弁護士になりました。えん罪をなくすには、警察など捜査機関の『取り調べ』のしかたや、まだ犯人と決まったわけではない容疑者に対する社会の認識を変えていく必要があると思っていますし、それこそ弁護士の仕事だと思っています。一方でそれは、犯罪を許容するということではありません。犯罪は起きないほうがいいですし、もし被害に遭った方がいらっしゃるなら、その方が声を上げやすい社会、被害者に寄り添った社会を作っていくことが必要だと思います」
えん罪を恐れるあまり、被害者が声を上げにくくなるような社会にはしたくないという貴康さん。最後にこう話してくれました。
(貴康さん)
「私は被害に遭ったと訴える女性を見ても、どうしたらいいのかと考えるばかりで動けませんでした。きっと妻が横にいなかったら、私一人で何もできなかったかもしれません。今回の経験で、被害者に寄り添うことの大切さを改めて知りました。もし他の方も、同じ場面に遭遇したら、少なくとも被害者にお声がけいただけたらと思います」

声をあげること 声を受け止めること

#MeToo運動などを通じ、女性が性被害について声をあげることが以前よりはしやすく、その訴えを無視することもしにくくなってきたという意見もあります。

しかし痴漢の被害は、いまだに声をあげられず苦しんでいる人が多くいます。

痴漢は性犯罪です。

被害者が声をあげられる社会に。そして、声を受け止められる社会に。そのヒントになればうれしいと思います。