沖縄本土復帰50年 政府と沖縄県 午後2時から共同で記念式典

沖縄が本土に復帰してから15日で50年を迎えました。
政府と沖縄県が共同で開催する記念式典が午後2時から沖縄と東京の2つの会場で同時に行われ、玉城知事は沖縄が抱える課題の解決などについて訴えることにしています。

昭和47年5月15日に沖縄が本土に復帰してから50年を迎えたことを記念する式典は、15日午後2時から政府と県の共催で沖縄県宜野湾市と都内の2つの会場で同時に開かれます。

式典には、天皇皇后両陛下がオンラインで出席され、沖縄会場には岸田総理大臣や玉城知事、東京会場にはアメリカのエマニュエル駐日大使など合わせて1700人余りが出席する予定です。

式典のあとレセプションが行われ、沖縄の伝統芸能などが披露されます。

沖縄会場の沖縄コンベンションセンターでは15日午前、関係者が壇上で式典の流れを確認するなど、準備を進めていました。

沖縄には、今も在日アメリカ軍専用施設の7割が集中しているうえ、経済面でも県民所得が全国の75%にとどまり、復帰当時に人々が期待した「本土並み」の実現には課題が多く残されています。

玉城知事は式典で、こうした課題の解決などについて訴えることにしています。

米バイデン大統領がメッセージ

記念式典の会場には、アメリカのバイデン大統領から寄せられたメッセージが展示されています。

この中でバイデン大統領は「沖縄戦は第2次世界大戦で最も凄惨な戦いの1つで、多くのアメリカ人と日本人の命が失われた。しかし、あれから数十年、アメリカと日本の関係は戦場での敵から共通の目的で結ばれた同盟国へと変貌を遂げ、今は最も緊密な友人となった。沖縄の復帰はわれわれの関係の1つの章の終わりで、次の章の始まりを意味した。現在、同盟は共通の価値観と自由で開かれたインド太平洋という共通のビジョンに基づき、かつてないほど強固なものになっている。日本には民主主義、自由、そして法の支配に対する断固とした支援、沖縄にはこれらの理念の前進のための貢献に深く感謝している。アメリカ人と沖縄県民とのつながりはアメリカと日本の関係を深化させるかけがえのない要素だ。アメリカと日本の関係の次の50年を見据える中、われわれが共有する歴史は次世代の教育と経済機会に投資すればあらゆることが可能になると強く思い出させてくれるだろう」としています。

本土復帰について 那覇市の中心部では

那覇市の中心部では復帰について「基地が残っているので複雑な思いだ」などといった声が聞かれました。

15日午前、那覇市は50年前の復帰の日と同じく雨の天気となり、中心部にある平和通りはふだんより買い物客や観光客の姿がまばらでした。
通りで商店を営んでいる60代の女性は「復帰の年は小学生でドル通貨を使っていたのを覚えている。観光客が大勢来て本土に追いついた感じがして、復帰してよかったと思う。これからも、いろいろな人が訪れたくなるような沖縄になってほしい」と話していました。

また、親の代から通りで商店を営んでいる60代の男性は「アメリカ軍基地の整理・縮小が少しは進んだが、まだ、基地に関連する事件や事故があって、植民地のような気がする。学力も経済も向上して、基地がない平和な島になってほしい」と話していました。

孫と通りを訪れた70代の女性は「基地が残っているので複雑な思いだ。雇用がもっと生まれ格差のない沖縄になってほしい」と話していました。

最後の激戦地 糸満市の平和祈念公園では

沖縄戦の最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園では朝早くから、戦没者を悼み、平和を願って手を合わせる人の姿が見られました。

77年前の昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。

最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園は15日、復帰の日と同じく時折、雨が降っていました。戦没者の名前が刻まれた平和の礎の前には、朝早くから花を供えたり、手を合わせたりする人の姿が見られました。

このうち、沖縄戦で叔父を亡くした70歳の女性は「きょうは復帰50年ということでそれに合わせて来た。平和な世の中が続いてほしい」と話していました。
糸満市の63歳の男性は「経済などは発展したが沖縄にはたくさん課題があるので、復帰したことがよかったのか悪かったのか、複雑な気持ちです」と話していました。

50年前の記念式典会場周辺では

50年前の昭和47年5月15日、現在は老朽化で休館している那覇市民会館では、復帰を祝う政府主催の記念式典が開かれ、隣にある公園ではアメリカ基地を残したままの復帰に抗議するデモが行われました。

15日朝、当時の会場周辺では本土復帰についてさまざまな声が聞かれました。
那覇市の70代の女性は「沖縄は孤立した島だったので、東京などと自由に行き来できるようになり、本土復帰はよかったと思う」と話していました。

那覇市の70代の別の女性は「沖縄以外の人も、ひとごととして考えないで、小さい面積の中に全国のアメリカ軍専用施設の70%があることを深く考えてほしい。痛みを味わった先人たちの気持ちを考えながら平和で暮らせることの大切さをかみしめたい」と話していました。

那覇市の80代の女性は「本土との行き来もパスポートなしで行けるので、復帰したことはよかった。ただ、50年たっても本土との所得の差など厳しさは残っていると思う。本土の人は沖縄のことをまだ知らないところがあると思うので、もう少し深く沖縄のことを知ってほしい」と話していました。

那覇市の18歳の女子大学生は「自分は戦争を体験してないし、見たり聞いたりだけではわからない部分がたくさんある。沖縄のことをこれからたくさん学んでいきたい」と話していました。

キャンプ瑞慶覧 きょうも日米両国の国旗掲揚

沖縄に駐留するアメリカ海兵隊の基地司令部が置かれている北中城村のキャンプ瑞慶覧では、15日も日米両国の国旗が掲げられました。

15日午前8時すぎに両国の国歌が流れる中、海兵隊員と日本人の基地従業員が、それぞれ星条旗と日の丸の旗を掲げました。

このうち、星条旗は、今月亡くなった海兵隊の関係者に弔意を表すため、半旗となっていました。