沖縄本土復帰50年を前に 基地負担軽減など訴える「平和行進」

沖縄が本土に復帰して15日で50年になるのを前に、アメリカ軍普天間基地や嘉手納基地の周辺で基地の負担軽減などを訴える「平和行進」が行われました。

「平和行進」は沖縄が本土に復帰した5月15日に合わせて毎年、市民団体や労働組合が行っています。

14日は、アメリカ軍普天間基地がある宜野湾市の市役所近くに県内外からおよそ1000人が集まり、午前9時ごろから行進を始めました。

参加者たちは「基地のない沖縄を」と書かれたはちまきをつけて、普天間基地や嘉手納基地の周辺などおよそ9キロを歩き、シュプレヒコールをあげて基地の負担軽減などを訴えました。

「平和行進」はおととしと去年は新型コロナの感染拡大で中止になりましたが、ことしは規模を縮小して3年ぶりに行われました。

「平和行進」に参加した80代の男性は「騒音など基地から派生する問題があるので、沖縄だけに基地を集中させないでほしいです」と話していました。

また、糸満市から参加した60歳の男性は「本土復帰から50年たっても変わらない沖縄の基地の現実を国民全体で考えてほしいです」と話していました。

当時を知る平和ガイド 行進を見守る

新型コロナの感染拡大で規模を縮小して行われた「平和行進」。

うるま市に住む伊波宏俊さん(82)は沿道から見守りました。

伊波さんは「本土復帰から50年が過ぎたと思うと夢のようでもあるが、状況は全然、復帰前と変わっていない。この50年を契機にますます頑張らなくてはいけないという気持ちになりました」と話していました。

かつて中学校の先生だった伊波さんは、平和学習に力を入れ、退職後も大学生や高校生などを対象に平和ガイドを行ってきました。

平和を訴える背景にはアメリカ軍基地があるため相次いで起きる事件や事故がありました。

本土復帰前の1959年(昭和34年)、うるま市の宮森小学校にアメリカ軍の戦闘機が墜落し、児童を含む18人が犠牲になった事故。

現場近くにいた伊波さんは消火活動や救助活動を必死に手伝いました。

当時のことについて伊波さんは「現場は100メートルくらい真っ黒焦げで一切何もなくなっていた。本当にこんな事故があるかとびっくりした。またいつこうした事故が起こるかと思うと絶望的で、沖縄の将来がどうなっていくのか不安だった」と話しています。
これまで20年にわたり平和ガイドとして活動してきた伊波さん。

最近は、参加した学生などの反応が以前と変わってきていると感じていて、「いろいろと話しても質問をしないし驚きもしない。毎年毎年少しずつ、反応が薄くなっている感じがする」と話しています。

伊波さんは、戦後の基本的な歴史の知識が不足しているため、理解できないのかもしれないと考えています。

本土復帰から50年という節目の年に行われた「平和行進」を見守った伊波さんは、「子どもたちに対して身近に基地問題を考える機会を作っていく必要があるし、私たちも平和ガイドとして学校側と協力して頑張っていきたい。基地のない、平和な争いのない沖縄が本来の沖縄の姿だと思うので頑張っていきたい」と話していました。

本土復帰後も残る米軍基地 重い負担変わらず

沖縄では77年前、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。

1952年、サンフランシスコ平和条約が発効して、日本は主権を回復しましたが、沖縄は切り離されました。

引き続きアメリカの統治下に置かれた沖縄は、いわゆる「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる手法でアメリカ軍によって強制的に土地を接収され、基地建設が進められました。

沖縄返還協定が調印された1971年6月17日の時点で、沖縄には353平方キロメートルのアメリカ軍専用施設があり、これらの土地が返還されることが多くの住民たちの願いでした。

しかし、翌年1972年5月15日の本土復帰までに返還されなかったアメリカ軍専用施設は278平方キロメートル。

返還されたのは山奥の訓練場や憲兵の詰め所などにとどまり、79%はそのまま残されました。

現在は185平方キロメートルと復帰当時に比べて3分の2に減りましたが、国土面積の0.6%しかない沖縄に国内のアメリカ軍専用施設の70%が集中しています。

基地があることで起きる事件や事故、それに騒音被害などはあとをたたず、復帰から50年がたった今も沖縄の重い基地負担は変わっていません。

沖縄県民の約6割が本土復帰後生まれ 教育現場では…

沖縄県民のおよそ6割が本土復帰後に生まれ、アメリカ統治下を経験していない世代が増えています。若い世代はどれくらいアメリカ統治下の歴史や本土復帰について知っているのでしょうか。

沖縄県内の歴史の教師などで作る「沖縄歴史教育研究会」はことし1月から3月にかけて県内全域の高校2年生を対象にアンケート調査を行い、1491人から回答を得ました。

この中で、沖縄には全国の何%のアメリカ軍専用施設が置かれているか問う質問に正確に答えた高校生は49%でした。また、復帰した年月日を問う質問に正確に答えた高校生は22%にとどまりました。

研究会は、高校生たちが戦後の沖縄の歴史について授業で学ぶ機会が十分にないことが影響しているのではないかと分析しています。
沖縄県うるま市にある県立石川高校の3年生の生徒たちにまもなく本土復帰50年を迎えることについて話を聞くと「あまり気にとめていなかった」とか「戦後についてはあまり学んだことがない気がする」などという声が聞かれました。

石川高校の福田園子先生(38)は県内の学校で本土復帰について授業で学ぶ機会はほとんどないと指摘したうえで「本土復帰どころか琉球王国があったというのもぼんやりしか分からない状況だと思います。自分から意識を持って調べる子は勝手に調べるけど、ほとんどの子はなかなかできないと思う」と話しています。

福田先生は、本土復帰50年に合わせて沖縄の歩みを伝えたいと先月(4月)、特別授業を行い、アメリカ統治下の時代に地元で起きた事件や事故について話しました。

授業を受けた生徒は「聞いたことがない事件がけっこうあったからびっくりした」とか「沖縄の現状を改善するためにも過去の沖縄の歴史を学んでしっかり向き合っていく必要があると感じた」などと話していました。
福田先生は知る機会さえあれば生徒たちは考えることができると手応えを感じていて「沖縄がどうやってどういう歴史を歩んだかということを知るだけで、今の状況が少しおかしいのではないかということに気づける一歩になるのではないか」と話していました。