日本語話せず親族もなし ウクライナ避難民の支援は

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続く中、日本語が話せず親族などもいないウクライナ人が日本に避難してきています。

国や自治体などは住居や生活費を提供するなどの支援を行っていますが、言語や文化が異なる日本での暮らしに適応してもらうためには、よりきめ細かい支援の必要性も高まっています。

ウクライナ東部のハルキウに住んでいたレナ・ベレジナヤさん(21)は現地に両親と弟を残したまま1人で国外に避難しました。

アニメなどを通じて日本に親近感を抱いていたレナさんは、一時避難先のポーランドでボランティアの日本人女性と出会ったこともあり、先月、日本に避難してきました。

レナさんは、「空爆で街が破壊され多くの人が犠牲になる中で“お前だけでも逃げろ”という両親の決断に従いました」と話しています。

日本国内での受け入れ地がなかなか決まらず、新型コロナの隔離期間の滞在先として、過去に外国人留学生を受け入れた経験がある群馬県富岡市の造園業、佐藤裕さん(57)の自宅にいったん、滞在することになりました。

避難者に対し、国や自治体などは住居を確保し生活費や日本語学校の費用を負担するなどの支援を行っていて、レナさんも群馬県内の別の自治体が用意する住居で1人で暮らしながら日本語学校に通う予定でした。

しかし、レナさんは日本に親族や親しい友人がおらず日本語も話せません。

さらに、飛行機などの大きな音を聞くと震えて動けなくなるなど、精神的なショックが残っている様子も見受けられたということです。

そこで佐藤さんは、受け入れ予定の自治体と話し合い、ホームステイのような形で当面、自宅で一緒に暮らしてもらうことにしました。

レナさんに安心してもらえるよう佐藤さんは家族のスケジュールを調整し誰かが必ず付き添い1人にしないようにしています。
また、県から提供された翻訳機器などを活用し、日本語とウクライナ語を教え合ったり、スーパーへの買い物に同行して日本食のことや会計の方法を教えたりしています。

少しでも前向きな気持ちになってもらおうと、庭でバーベキューを行ったり、動物好きのレナさんを地元のサファリパークに連れて行ったりもしていて、徐々に笑顔も見せるようになってきたということです。

レナさんは、「佐藤さん一家は本当に親切で、出会っていなければ日本で生活できていなかったかもしれず、感謝してもしきれません」と話していました。

佐藤さんは、「ことばも文化も異なる日本で生活していくのはとても難しくショックを抱えた状態で1人にはさせられません。どのように支えていくのかは手探りですが、住居や資金の提供だけではなくホームステイのように寄り添う形での支援も選択肢の1つではないでしょうか」と話していました。