「軍用地求む」~復帰50年 沖縄と米軍基地 いま起きていること

「軍用地求む」~復帰50年 沖縄と米軍基地 いま起きていること
那覇から車で国道58号を30分ほど北上すると、フェンスに囲まれたアメリカ軍基地が見えてくる。広大な基地はその多くが民有地だ。

地主には土地を軍用地として提供する代わりに国から借地料が支払われている。地主の数はおよそ5万人、年間の借地料は総額880億円にのぼる。ここ最近、軍用地が盛んに売買されていると聞き、不動産会社を訪ねることにした。
(沖縄放送局 記者 安藤雅斗)

「投機目的で購入するかたも多いですよ」

那覇市内で不動産会社を営む平敷慶人さんは長年、軍用地の取り引きを専門にしてきた。会社で取り扱う軍用地の一覧を見せてもらった。
いちばん人気だという嘉手納基地のある物件。国から支払われる年間の借地料は、広さ52.23平方メートルで8万5000円余り。それが62倍の531万円で販売されていた。
軍用地の売買価格はどのようにして決まるのか。平敷さんによると、借地料×倍率で算出されているという。この倍率は返還の見込みや返還後の開発への期待値によって変動する。倍率は基地によって異なり、最も高いのが先ほどの嘉手納基地で60倍前後にのぼる。
不動産会社経営 平敷慶人さん
「軍用地はほかの投資物件に比べて国が年間の借地料を毎年決まった日に振り込んでくれるためリスクがかなり低いです。それが軍用地のいちばんの大きな魅力だと思います。最近は上昇気流に乗っていて、軍用地を短期で売却する投機目的で購入するかたも多いですよ」
「安定した投資物件」になっている軍用地。それに目を付けた人たちの問い合わせが急増し、平敷さんの会社では今、購入者のおよそ7割を県外の人が占める。その多くはネットやメールでやり取りし、沖縄に足を運ぶこともなく購入していくという。
不動産会社経営 平敷慶人さん
「県外のかた向けにツイッターなどで情報提供していて、今、購入者でいちばん多いのは県外の会社員や公務員です。銀行に預金しておくよりは何か新しい資産運用がないかと探し求め、軍用地にたどりつくというかたが多いです」

「基地のない島」だった…

沖縄のアメリカ軍専用施設は31施設、総面積は1万8483ヘクタールにのぼる。山手線の内側3つ分に相当する広さで、沖縄本島の15%を占めている。

しかし今から80年余り前、沖縄は本格的な軍事施設が存在しない「基地のない島」だった。

「広大な基地を抱える島」に変わるきっかけとなったのは戦争だ。太平洋戦争が始まると旧日本軍が飛行場などを次々に建設していった。
さらに沖縄戦で上陸したアメリカ軍が住民の土地を接収。アメリカ統治下の1950年代には「銃剣とブルドーザー」と言われる強引な土地接収も行われ、沖縄の土地は軍用地へと変貌していった。

その後、アメリカ側が長期に土地を使用するため借地料の一括での支払いを提示したことに対し「島ぐるみ闘争」と呼ばれる大規模な反対運動が起きた。

「島ぐるみ闘争」を経て借地料は毎年、地主に支払われるようになり、本土復帰後は日本政府が借地料を支払い、土地をアメリカに提供している。借地料は景気の動向などにかかわらず年々上がり続け、現在、年間880億円余りにのぼっている。

<土地提供> 借地料で住民サービスを充実

沖縄のアメリカ軍専用施設に土地を提供している地主はおよそ5万人。その人たちはどんな生活を送り、基地とどう向き合っているのだろうか。
ことし3月、最初に向かったのは沖縄本島北部の金武町並里区の区長、山城宏一さんのもとだ。

並里区は区で管理していた土地の一部が隣接するキャンプハンセンとブルービーチ訓練場に接収され、毎年、数千万円の借地料が支払われている。並里区ではその借地料を使ってさまざまな事業を行っている。
<事業1. 新1年生にランドセル>
新1年生になる区の子どもたちのために新品のランドセルを毎年購入し、ことしは33人分用意した。
<事業2. 売店を買い取り経営>
去年は撤退する予定だった区内の売店を運営していたJAから買い取り、独自に経営。
<事業3. 区出身の若者のためアパート所有>
並里区から30キロ近く離れた本島中部の宜野湾市にアパートを所有。周辺の大学や専門学校に通う区出身の若者たちのために購入し、家賃は格安の月2万円。
<事業4. コロナ感染拡大で区民1人に10万円>
新型コロナの感染拡大を受けて区民1人当たり10万円を支給した。
金武町並里区 山城宏一区長
「区の行事が主なんですがランドセルをはじめ老人会、成人会、子ども会、野球チームもあるのでその予算も補助しています。区民全体の財産なのでそれをうまく子育て関係を中心に使いたいなと思っています。本当に生活しやすいということで区民のかたから喜ばれています」
借地料によって住民に充実したサービスを提供している並里区。その一方で区長の山城さんは、基地に対する複雑な思いも口にした。
金武町並里区 山城宏一区長
「土地が戻ってきてほしいという気持ちもありますが、100年、200年先のことを考えると沖縄からたぶんアメリカ軍施設はなくならないと思います。借地料をもらいながら潤うところもありますが、アメリカ軍に関係する事件・事故も多いので複雑ですよね」

<契約拒否> 祖母がふるさとに帰るんだと…

多くの地主が国と賃貸借契約を結び借地料を受け取る一方、アメリカ軍に土地を提供することを拒み、国と契約を結んでいない地主がおよそ4000人いる。
なぜ契約を拒むのか。
その1人、本島中部の沖縄市に暮らす眞榮城玄徳さんを訪ねた。嘉手納基地の中にある土地は戦前、祖母が苦労して手に入れたものだという。
眞榮城玄徳さん
「私にはその土地で暮らした記憶は全くありませんが、祖母は『自分の土地に帰りたい』『自分のふるさとに帰るんだ』と死ぬまで言い続けていました。その遺志を継いでいくことはとても大事なことで、契約を拒否する大きな根拠です」
地主に契約を拒否されても、国は補償金を支払うなどして土地を使用し続けることができる。眞榮城さんにも5年に1度、国から補償金が支払われている。
眞榮城さんは「せめて平和につながることに使いたい」と24年前、地元・沖縄市に平和学習の場として活用できる会館を建設。沖縄の歴史や基地問題に関する資料を集めて無料で公開し、地元の子どもたちや修学旅行生などが訪れているという。
眞榮城玄徳さん
「国は私たちの意思に反して強制的に有無を言わさず土地を取り上げてアメリカに提供しています。そして基地ができたのは沖縄戦があったからです。戦争や基地問題を学び、そういうことを想像することができたら、そこでの暮らした経験がない2世・3世の世代にも思いはつないでいけると思います」

“本土の地主 4000人余りにのぼる”

古くからの地主がいる一方、投資目的として軍用地を購入する本土の人もいる実態を国はどうみているのか。

軍用地の管理などを行う沖縄防衛局は、本土に暮らす地主の数は年々増加し、その数4000人余りにのぼっているとしたうえで「土地の売買目的の把握は困難だ」と回答した。

専門家「米軍基地維持へ借地料は今後も高水準でしょう」

専門家はどう考えるのか。軍用地に詳しい沖縄国際大学名誉教授の来間泰男さんに話を聞いた。
沖縄国際大学 来間泰男名誉教授
「沖縄県内でも、もともと地主でなくても軍用地を買って新しい地主になるという流れはあるわけです。もうけを追求するという世界の話だから、沖縄県民であろうと本土の人であろうとそこに区別を設ける必要はないし『本土の人が買うのはおかしい』という論理は成り立たないと思っています」
そのうえで来間さんは、軍用地を提供する代わりに支払われる借地料には沖縄の基地問題にとって大きな意味があると指摘した。
沖縄国際大学 来間泰男名誉教授
「昔は地主の多くは基地反対でしたが、国は借地料を引きあげることによって反対から遠ざけていった。今後も国は沖縄にあるアメリカ軍基地を維持するために借地料を高い水準に維持し、少しずつ引き上げるという方針を取っていくでしょう。基地と沖縄との関わりにとって重要な存在である軍用地について、沖縄の人たちはもっと考える必要があると思います」
一方、沖縄防衛局は借地料について「施設周辺の地価動向および開発状況を勘案のうえ、地価公示や地価調査などの客観的なデータを基に適正に評価をしている」などとしている。

復帰50年 軍用地はこれから…

沖縄本島を車で走ると「軍用地求む」という看板が時折、視界に入ってくる。

地元紙を開けば「軍用地買い取り」を呼びかける業者の広告を目にする。

本土復帰から50年、軍用地の存在は沖縄社会に深く浸透しているように感じる。

日本は資本主義社会であり、土地の売買は自由に行うことができる。今、軍用地をめぐって起きていることも、来間さんが指摘するように決してルールに違反しているわけではない。これから先も本土に暮らす軍用地主は増えていくのだろうか。

その一方で沖縄戦から77年がたち、元の土地の記憶がある人は年々少なくなっている。先祖代々暮らしてきた土地が突然奪われた軍用地の歴史を、決して忘れてはならないと思う。
沖縄放送局 記者
安藤雅斗
2017年入局
沖縄局で事件担当を経て、去年から中部支局で基地問題を中心に取材