ものづくりの街から沖縄へ ~若手起業家が集まるコザの商店街

ものづくりの街から沖縄へ ~若手起業家が集まるコザの商店街
アメリカ兵を相手にした音楽「コザロック」の生まれた地としても知られる沖縄の旧コザ市(現・沖縄市)。沖縄のシリコンバレーを目指そうと今、各地から起業家を志す若者たちが集まっています。

その若い力を借りようと“ものづくりの街”北九州で創業96年になる老舗メーカーが、コザに新たな拠点を作りました。送り込まれたのは3人の若手社員たち。ミッションはDX=デジタル変革を進めるための事業の立ち上げ。その奮闘の姿を追いました。
(福岡拠点放送局 記者 早川俊太郎)

逆風の老舗メーカー

“ものづくりの街”北九州で、ことし創業96年を迎えた「岡野バルブ製造」。発電所の設備で使われるバルブ部品の国産化に初めて成功した歴史を持ち、そのシェアは国内トップを誇ります。

その老舗メーカーが沖縄のコザに進出すると知り、取材を始めました。

岡野バルブ製造は経営の大きな転換期を迎えていました。原発の稼働停止や韓国などの海外勢との競争の激化によって、逆風にさらされているのです。

“ものづくり一辺倒”からの脱却

そこで今、取り組もうとしているのがDX=デジタル変革を進めるための新事業でした。いわば“ものづくり一辺倒”からの脱却です。

まず取り組んでいるのが、電力会社などが発電所のメンテナンスにDXを導入する際の支援事業の立ち上げです。

カメラやセンサーなどの技術を駆使し、故障の予兆を自動的に把握したりすることで、これまで人の手で行っていた設備の検査などをデジタル化します。このサービスに参入し全国各地の発電所に売り込もうというのです。

しかしバルブの製造を長年手がけてきた多くの熟練工はいるものの、デジタルに詳しい人材はほとんどいません。そこで目を付けたのが沖縄のコザだったのです。コザには今、起業家を志すとりわけ熱心な若者たちが各地から集まっていると人づてに聞き、選んだといいます。
岡野バルブ製造 岡野武治社長
「創業以来、発電所向けのバルブ1本で事業を展開してきましたが、次の100年間われわれの会社がどうあるべきかを考えた時にDXというのは避けられない道。しかし社内だけで進めていくにはかなり限界があります。その中で沖縄のコザに出会い、現地に行くことによって強力にDXを進めていこうと」

沖縄 コザ 起業家を志す若者が集まる

アメリカ軍嘉手納基地に隣接する沖縄本島中部の旧コザ市。シャッターが目立つ商店街の中をしばらく歩いて、シェアオフィスを訪ねました。

そこでは議論をしながらいきいきと働く、多くの若者たちの姿に出会いました。この商店街では空き店舗を活用して起業を目指す若者たちが全国から集まり、さながらシリコンバレーの黎明期のような雰囲気を感じます。

若手起業家の力を借りてDX進出を知ってもらう

シェアオフィスの一角に、岡野バルブ製造の拠点がありました。拠点といっても小さな部屋で、3人の若者たちがなにやらパソコン画面をにらみつけていました。
そのうちの一人、佐藤鉄平さん。

入社から14年間、生産現場一筋でしたが、突如、岡野社長からコザに行くように指令を受けたとのことでした。佐藤さんが今担当するのはウェブで動画や記事を配信する事業の立ち上げです。

一見すると会社が目指している発電所のメンテナンスのDX化事業からは“落差”があると感じたのですが、話を聞いてみると納得しました。

バルブの製造で全国シェアトップという企業イメージを払拭(ふっしょく)し、DXという新たな分野に進出すること自体をまず世間に知らせなければ、広く顧客を獲得できないと考えたといいます。

さらに自社の事業内容をいきなり紹介しても宣伝効果は薄いと考え、DX化の取り組みで先進的な他社の事例を紹介する記事や動画を配信し情報性を高めていく。そこでウェブサイトの閲覧者をまず増やすことから始めて、ファンをつかんだあとに自社の事業に誘導していくという戦略でした。

会社の具体的な指示なし 交流で新たな発想を期待

コザに送った若手社員に対し、会社はあまり具体的な指示はしていません。

とにかくコザの若手起業家たちと交流を深め、刺激を受けることで新しい発想が生まれ、そこから新事業が生まれるかもしれないという期待からそうしているということでした。畑の違うさまざまな人たちが接触することで、いわばその“化学反応”をねらう手法です。

こうした手法はアメリカのスタートアップの世界ではよく行われていることで、日本でもそうしたスタートアップの拠点は各地に増え始めています。
岡野バルブ製造 岡野武治社長
「企業が成熟するにつれて挑戦というよりはすでに培ったものをしっかり回していくことだけが仕事になっている部分がありました。同種的なグループ、組織の中にいてもなかなか変われないので、思い切ってそこを飛び越えて新しい世界に入っていく。その機会を会社として提供することによって若手がぐっと成長するかなと考えました」

すべてが一から勉強 悪戦苦闘の日々

佐藤さんはコザで悪戦苦闘していました。

配信する動画の編集の方法などすべてが一から勉強の日々でした。若手起業家から指導を受けながらパソコンに向き合っています。佐藤さんは「自分は底辺ユーチューバー」のようだと笑って語っていました。

さらに会社からの大きなミッションは「何か新しい事業のアイデアを探すこと」です。会社としてはDXを使った新事業をいくつも立ち上げたい考えです。発電所のメンテナンス以外にも工場の生産設備などのDX化支援などを想定していますが、DXを使って何ができるのか、佐藤さんら3人が斬新なアイデアを生み出し、それをヒントに新事業を形づくりたいとしています。

しかし佐藤さんらは、まだ具体的な発想までは思い浮かんでいないといいます。

若手起業家からの厳しいことば

コザでは20代前半の若者も、経営者の視点でビジネスを語ります。

一方、工場の生産現場で働いてきた佐藤さんはというと、コミュニケーションを取ることすら苦手意識を持っていました。そんな自分を変えるとともに情報発信のスキルも磨こうと、時には小学校を訪問して児童を相手にプレゼンテーションも行っているといいます。
時間さえ合えばコザの仲間と積極的に交流するようにし、日々、刺激を受けているといいます。ある日の交流では、弱音を吐く佐藤さんに対してこんな厳しいことばも掛けられていました。
若手起業家
「そんなに簡単に新事業がうまくいくなら世の中はもっとうまくいく。新しい事業を生むには効率を考えてはいけないと僕は思っています。まずはとにかく目に見える可能性に挑戦する。これ無しに次の道は開けないですよ」
佐藤鉄平さん
「20歳ぐらいの若者が経営について自分の考えをしっかり話していて、最初は本当に衝撃でした。工場で培った技術はここでは全く役に立たずなかなか大変ですが、コミュニケーション力は向上し社内での意思疎通もうまくいくようになりました。まだ何かを実現できたわけではないですが、影響を与えられるような新しい動画の配信をしていきたい。まだ先は長いですけどね」

コザの拠点拡大へ “交流さらに密接に”

取材をした4月下旬、佐藤さんたちはコザの商店街の空き店舗に次の新しい拠点をつくる準備を進めていました。コザにやってきて8か月。早くも拠点の拡張に踏み切ったのです。

内装工事中のオフィスに入ってみるとかなり広いスペースで、その一角にはカフェコーナーも作ろうとしています。コザの若手起業家たちとの交流をさらに密接にするために、会社みずから交流の場を作ってしまうという発想です。

早ければ5月中に拠点が完成するとのことで、こちらもなかなか速いスピード感です。

復帰50年の沖縄 将来は地元企業との連携を進めたい

ことしは沖縄が本土に復帰して50年となります。アメリカの統治下にあった戦後27年間に本土は高度成長期を迎え大きく経済発展しました。

復帰直後の沖縄は所得水準の低さや産業の育成などが大きな課題となり、その後、観光振興によって経済の活性化を進めました。しかしコロナ禍でインバウンドの落ち込みなどの影響を受けてさらなる取り組みをしようとしています。

沖縄経済に詳しい専門家は次のように話しています。
りゅうぎん総合研究所 武田智夫さん
「沖縄は観光業に頼ってきたがこれは必要な対応だった。ただホテルやレストランは外資や本土の企業が多く、地元にお金が落ちにくいという構造的な問題の改善も必要だ。観光業に頼りすぎているがゆえにコロナのように人流がストップした時、ダメージも大きく受けた。これまでは観光業の“1本足打法”だったのが、もう一方の足として情報通信や医療、バイオの育成も重要になってくる。2本の足を地に着けて安定した沖縄経済を目指すことも必要だ」
本土から沖縄に進出する企業に対しては“沖縄にお金を落とさない”という批判もあります。

岡野バルブ製造の改革はまだ始まったばかりですが、コザの若い起業家たちだけでなく沖縄にある企業との連携を将来進めたいと岡野社長は語りました。

沖縄と本土が経済的に分断されるのではなく、融合や連携を進めていく大きな流れが生まれてほしいと取材を通じて強く感じました。
福岡拠点放送局 記者
早川俊太郎
名古屋局、経済部などを経て2021年より福岡局
地域経済や消費生活取材を担当