「当たり前の日常を取り戻したい」ウクライナの女性たち

「当たり前の日常を取り戻したい」ウクライナの女性たち
赤ちゃんを抱える母親は、逃げても逃げても安心できる場所はなかったと話しました。安心できる場所が見つかったのは3週間後。
今、彼女が望むものは「当たり前の日常」だといいます。

ウクライナや周辺国での取材。
出会うのは、数多くの子どもや女性たち。妊婦や生まれたばかりの赤ちゃんもいます。

ロシアによる軍事侵攻が奪い、もたらしているものは何か。
一人ひとりの声を聞きました。

(ウクライナ取材班 青木緑、鈴木康太、森下晶)

避難先はワインショップ

ウクライナの隣国モルドバの首都キシニョフで、ある親子と出会いました。ウクライナ人のナタリヤさん(36)です。1歳と12歳の息子と一緒に避難生活を送っていました。

3人が生活しているのは街のワインショップの一角。この店を経営するイオン・ルカさん(38)が、避難者を受け入れるために事務所を改装し、寝室と小さなキッチンを設けました。

あたたかいベッドと食事がある生活。

3人はここで暮らすようになり、少しだけ落ち着きを取り戻したといいます。

安心できる場所が見つからない

ナタリヤさんは、ここにたどり着くまでのことを話してくれました。

ナタリヤさんは、ロシア軍が侵攻してきた直後、2人の息子を連れてキーウを脱出しました。自分で車を運転しながら、ウクライナ国内各地を転々と逃げてまわりました。

知らない土地で、母ひとり、子ども2人の避難生活。防空警報が鳴るたびに、子どもたちを連れて地下のシェルターに逃げ込みました。突然の警報で、知らない村で食料庫に身を隠したこともあったといいます。

逃げても逃げても、安心できるところはありませんでした。いったい、いつまで、どこまで逃げればいいんだろう。

気付くと3週間がたっていました。ひとり、不安と恐怖で押しつぶされそうになったこともあったといいます。

平和のイヤリング

そんなある日、宿泊先を探すナタリヤさんのSNSへの書き込みを、モルドバのワインショップのルカさんが見つけ、招いてくれました。

モルドバは知り合いがいない、縁もゆかりもない国でしたが、ナタリヤさんは子どもたちのためにもすぐに身を寄せることを決めました。
ルカさんのところで暮らすようになって10日ほどがたったこの日。ナタリヤさんは、あるものを見せてくれました。

イヤリングでした。
ナタリヤさん
「これまで頭の中は戦争のことでいっぱいだったけれど、ようやく少しだけ日常を取り戻せたような気がします」
平和だった頃、ナタリヤさんは、初めて行く旅行先では、記念にイヤリングを買うのを楽しみにしていました。子どもと散歩に出た時、このイヤリングが目にとまり、そのことを思い出したのだといいます。

そして、うれしそうに話すナタリヤさんのそばで、そのイヤリングを、1歳の息子がうれしそうに触っていました。

戻ってきた、小さな日常。

”平和のイヤリング”が、これからのナタリヤさんの心の支えになりました。

「大きなおなか」の女性

その女性と出会ったのは、ウクライナとの国境に近い、ポーランド南東部のジェシュフという町でした。

ウクライナから避難してきた人たちのために、大学の中に開設された診療所を取材していたとき「大きなおなか」が気になり声をかけました。
「あと1か月ほどで、出産の予定です。避難先の、ここポーランドで産むことになりそうです」
彼女の名前はナターリアさん(35)といいました。姉の家族とともに、ウクライナから避難してきたのだそうです。

妊娠9か月で、4月末から5月はじめが予定日だと話しました。

避難先での出産

直前まで暮らしていたのは、キーウ近郊のイルピンという町。ロシア軍からの攻撃があり、恐怖を感じて子どもと一緒に避難してきました。

夫はウクライナに残っているといいます。

診療所は、ウクライナ人を支援するウェブサイトで見つけ、超音波の検査などはすべて無料。ポーランド人たちのスタッフが親切に迎えてくれることで、ナターリアさんは、精神的にも肉体的にも助かっていると話しました。

涙の理由は

そんなナターリアさんの目に涙が浮かんだのは、一緒に避難してきた子どもの話をしているときでした。
ナターリアさん
「ポーランドの支援を受けて、子どもは学校に通えています。必要な物も、学校側が用意してくれました。先生たちには、本当に感謝しています」
ポーランドに避難してきて3週間。

「言葉の壁」はあるものの、ポーランド語はウクライナ語と似ているので、すぐ慣れると気丈に話すナターリアさん。
安全な場所で、出産できることに安どを覚えつつも、ふるさとウクライナへの思いは決して消えることはありません。

「戦争が終わって、家に帰れるようになってほしいです」

診療する医師もウクライナからの避難者

ナターリアさんと出会った診療所には、ほかにも大勢の女性や子どもたちが診察を待っていました。

診療所に来ている人たちは、どんな状況に置かれているんだろう。

少しでも現状を知りたいと、診療所の医師に取材を申し入れると、「10分くらいなら」と診察の合間に応じてくれました。
彼女の名前は、マリアンナ・クーパーさん。クーパーさん自身も、ウクライナから避難してきた1人だと話しました。

ウクライナでは、地域のかかりつけ医として働いていましたが、軍事侵攻の翌日2月25日、暮らしていた西部リビウ州から、9歳から13歳までの3人の子どもと一緒にポーランドへ避難してきました。

防空警報が鳴る中、子どもたちが学校で使っているリュックサックに入るだけの物を持って、国境を越えてきたといいます。

ウクライナの人たちの力に

クーパーさん自身も避難を続ける中、なぜ、医師として診療所で大勢の患者を診ているんだろう。

そんな疑問を投げかけてみると、クーパーさんは次のように話しました。
クーパーさん
「もともとポーランドの医大を卒業していたので、医療行為をするにあたって必要な手続きがスムーズだったのもありますが、何より、避難が長期化する中で『言葉の壁』に直面するウクライナの人たちの力になりたいと思ったんです」
クーパーさんによると、ウクライナ語を話すウクライナの人たちにとって、ポーランド語は、生活の上で大きな「壁」になっているといいます。
「避難してきた人たちは、言葉がわからないから大変だと思います。分かる単語だけで、どんな意味なのか推測しなければなりません。さらに、物資面での支援も必要ですし、食事や休息できる場所も必要です。子どもたちが学校に通えるようにする必要もあります」

医療に政治は関係ない

小さな赤ちゃんを連れた母親や高齢者。クーパーさんが診療する多くの患者が、こうした人たちだそうです。

避難する際の長旅で、かぜをひく人、脱水症状になる人。ストレスが原因で、不眠症や消化不良に悩む人もいるといいます。

言葉も分からず、厳しい生活環境から体調を崩してしまう人たち。一方のクーパーさんは、ポーランド語が堪能で医師としても働ける。だからこそ、困難に直面する人たちの役に立ちたい。クーパーさんの思いです。

取材の中で、診療所のスタッフからロシア人の患者も受け入れていると聞いていたので、最後にそのことを尋ねると、クーパーさんはこう続けました。
クーパーさん
「ロシア国籍の患者も来ましたよ。でも、医療について政治は関係ないですよね。それに、ロシア人のことが嫌いなわけでもありません。支援が必要な人には、誰であろうと安心して過ごせる場所が必要です」

ふるさとを追われる女性と子どもたち

ウクライナやその周辺の国では、小さな子どもを連れて避難する母親の姿を多く目にします。紛争や経済危機などが起きたとき、まっさきに不利益をこうむるのは、女性や子どもたちです。

目の前で起きている理不尽な事態を少しでも理解するため、引き続き子どもや女性たち一人ひとりの声を聞いていきたいと思います。

また、NHKは、現地に入った特派員や記者たちの取材の内容を、コラム「取材の現場から」という形でまとめています。

特設サイトは、以下のリンクから見ることができます。
シドニー支局
青木 緑
2010年入局。釧路放送局、新潟放送局などをへて2020年からシドニー支局。モルドバではロシア語が広く通じ、避難してくる人もロシア語を話すウクライナ南部の人たちが多い。学生時代に身につけたロシア語で避難者や受け入れる市民の声を取材。
国際部記者
鈴木 康太
2011年入局。札幌局、社会部などを経て2021年から国際部。
ポーランドを拠点に避難してくる人たちと支える人たちを取材
ニューデリー支局カメラマン
森下 晶
普段はニューデリー支局でインドを中心に南アジアの取材を担当。
ポーランドやモルドバなどでウクライナ情勢を取材。