【詳しく】連日約2万人 なぜ今、ウクライナに帰国?

「父をひとりで放っておけない」
「仕事を見つけるのが本当に難しい」
こう話すのはウクライナに戻る人たちです。

侵攻から2か月がたち、実は、いま、避難先のポーランドからウクライナにもどる人たちが増えています。その数1日2万人とも。
各地でロシアによる攻撃が続いているのに、いったいなぜ?

ウクライナへ戻る人に聞いた 4つの質問

ポーランドの首都ワルシャワの駅で、ウクライナに戻る人たちに声をかけ、以下の4つの質問をしました。取材に応じてくれた3人の回答を紹介します。

1.どこで避難生活を?
2.避難を決めた理由は何ですか?
3.なぜ、ウクライナに戻るのですか?
4.帰国したあとの不安はありませんか?

父をひとりで放っておけない

エリザベスさん(22) 東部ドネツク州から避難

1.どこで避難生活を?
1か月ほど前に、ウクライナ東部ドネツク州から母親と9歳の妹と避難しました。ポーランドを経由して、親族のいるキプロスに避難していましたが、今回、1人でウクライナに戻ることを決めました。

2.なぜ、いま帰国するのですか?
ウクライナに残っている50歳の父と数日前から連絡がとれなくなっていて、どこで何をしているのか分からない状況です。
このまま父をひとりでウクライナに放っておくことはできません。
父が軍に入った場合私にはどうすることもできませんが、なんとかして父に会って、ウクライナの安全な場所まで連れて行ってあげたいのです。

3.避難を決めた際、自宅周辺はどのような状況でしたか?
私の住んでいた地域はロシア軍に支配されている地域ではありません。
それでも家のまわりは爆撃され、爆撃音が響いているようなひどい状況だったので、まずは家族を安全な場所に避難させようと考えました。
私が1人でウクライナに戻ることを母は快く思っていませんが、私の考えを説明して納得してもらいました。

キプロスは美しく平和で静かな街でしたが、ウクライナではいまも兵士たちは悲惨な状況で、みんなのことが心配です。
どこにいても私の頭の中はウクライナのことでいっぱいなのです。

4.帰国したあとの不安はありませんか?
いつ父を見つけて解決策を見いだせるのか。
その状況次第なので、いつ戻ってこられるか分かりません。
だから、片道切符しか持っていません。
でも、いまは不思議と自分の人生がこの先どうなるか気になりません。
ただ自分の家族が心配なだけです。
それに私は彼氏がいないので、みんなより1つ問題が少ないんです。

何があっても自分の人生なのですべて受け入れるつもりです。
父を助けることができるならできることをするしかない。
私はどうなっても構いません。

仕事が見つからない

イリーナさん(美容師) 首都キーウから避難

1.どこで避難生活を?
1か月ほど前に、首都キーウからポーランドに避難してきました。知り合いのポーランド人のもとで生活していました。ポーランドでは、みんなが親切にしてくれて、とても感謝しています。
仕事を探していたのですが、ことばの壁の問題もあり大変でした。

2.なぜ、いま帰国するのですか?
故郷が恋しく、キーウは最近かなり静かなので帰ります。

また、ここで仕事を見つけるのは本当に難しいです。
どの国でも生きていくにはお金が必要ですが、たくさんの人がポーランドにやってきました。工場での製造の仕事もありましたが、ハードな仕事です。

キーウでは戦時中であっても十分な仕事があります。働きたい人は誰でも、お金を稼ぐことができます。
私たちは自分の国のことが分かっているので、ポーランドよりは楽なのです。
もちろん、それほどよいものではありませんが。

3.避難を決めた際、自宅周辺はどのような状況でしたか?
私はキーウの中心部に住んでいました。常にサイレンが鳴り響き、ミサイルが頭上を飛び交っていました。とても恐ろしかったです。

人々は、毎日シェルターにいました。家にいることができなかったのです。特に戦争が始まって最初の1週間が何が起こるか分からず1番怖かったです。
中心部にある2棟のアパートが被害を受けました。
ミサイルが飛んでくるから、どこかに逃げないといけないと思いました。

4.帰国したあとの不安はありませんか?
もし、また避難しなければならなくなったら、ワルシャワなどポーランドのどこかに戻ってくるほかないでしょう。
早くこの戦争が終わってほしいです。

いずれにしても今までと同じというわけではなく、経済危機が起こるので、今後はより大変になるでしょう。
ウクライナでは本当に多くの家屋が破壊されてしまったので、他の国々が再建に向けた支援をしてくれることを心から願っています。

“戻って来て”と会社から言われて…

アローナ・ハブリリュクさん(会計士) 北西部ジトーミル州から避難

1.どこで避難生活を?
3月5日ごろに知人のつてを頼って兄の妻とその息子とポーランドに来て一般家庭に身を寄せて生活をしていました。順調でしたしポーランドの人にはとても感謝しています。

2.なぜ、いま帰国するのですか?
少し疲れたので、家に帰りたいです。
他の家庭での生活は、やはり自宅のようには生活できませんから。
受け入れ家族には3人の子どもがいて、私たちは疲れてしまったのです。

もしかしたら、戦争は何か月も続くかもしれないし、1年続くかもしれない。
私たちにはここにとどまるだけのお金も時間もありません。

それに、職場から「頼む、仕事に戻ってくれ」と電話がかかってきました。
仕事は辞めずにオンラインでしていましたが、もしここに長くとどまったら、おそらくジトーミルでの仕事はないだろうと思います。

3.避難を決めた際、自宅周辺はどのような状況でしたか?
街の真ん中に爆弾が落ちました。そのうちの1つは学校に落ち、完全に破壊されました。私の仕事場はそこから500メートルほどのところでした。
飛行機がとても低く飛ぶ音が一日中聞こえました。
だから私たちはポーランドに避難する決断をしました。

4.帰国したあとの不安はありませんか?
受け入れ家族は「戻ってきてもいいよ」と言ってくれました。
でも、私は二度と同じことが繰り返されないようにと願っているだけです。

ジトーミルでは、それほど多くの爆撃はありませんでした。空から何かが飛んでくるかもしれませんが、私たちの町にはロシア兵士はいません。
数週間なら仕事をオンラインで続けることができるかもしれません。でも、ずっとは難しいです。
国営企業という仕事柄、書類や資料が必要なので、毎朝8時に出勤するよう言われています。
戻らなければ、この期間の給料がもらえなくなる。そうなると、私は仕事を辞めて、ポーランドで新しい仕事を見つけなければなりません。
しかし、それにはポーランド語を学ぶなど、とても時間がかかります。

それに、ウクライナにはまだ両親や家族がいますので、私はここにとどまりたくありません。

ウクライナに帰る人たちで混雑する駅ではー

今回、話を聞かせてもらった人たちはごく一部で、ワルシャワの駅は、ウクライナに向かう寝台列車やバスに乗る人たちで大混雑していました。

当初は依然として、危険なウクライナになぜ戻るのか疑問でしたが、話を聞かせてもらううちに、避難生活が長引く中で自宅に戻らなければならない、それぞれの悩み、葛藤があることが分かってきました。
引き続き、ウクライナで避難生活を余儀なくされる避難者の人たちの取材を続けていきたいと思います。
(国際部・紙野武広)