「春の褒章」秋元康さん 平野歩夢さんら688人 20団体が受章

長年にわたって、その道一筋に打ち込んできた人や芸術やスポーツの分野で功績のあった人などに贈られる「春の褒章」の受章者が発表され、作詞家の秋元康さんや北京オリンピックのスノーボードで日本選手として初めて金メダルを獲得した平野歩夢さんら688人と20の団体が受章することになりました。

ことしの「春の褒章」を受章するのは
▽人命救助活動で功績のあった人や団体に贈られる「紅綬褒章」が6人。
▽ボランティア活動で功績のあった人や団体に贈られる「緑綬褒章」が11人と20の団体。
▽長年にわたって、その道一筋に打ち込んできた人に贈られる「黄綬褒章」が199人。
▽芸術や文化、スポーツ、それに学術研究の分野で功績のあった人に贈られる「紫綬褒章」が21人。
▽公共の仕事で顕著な功績があった人に贈られる「藍綬褒章」が451人です。

このうち「紅綬褒章」は、おととし、住宅火災で逃げ遅れた男性の救助にあたった大阪府に住む81歳の本多達紀さんらが受章します。

また「紫綬褒章」は作詞家として、美空ひばりさんの「川の流れのように」など、人々の共感を呼ぶ多くの作品を生み出し、音楽プロデューサーとしても知られる秋元康さんや人気アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」などのヒット作で、新たな映像表現の可能性をひらいたアニメーション・映画監督の庵野秀明さんが受章します。

また、囲碁棋士として史上初となる2度の七大タイトル独占を成し遂げ、4つの名誉称号を獲得した井山裕太さんや舞台や映画などで、幅広い役柄を魅力的に演じる俳優の岡本健一さんも受章します。

さらに、北京オリンピックのスノーボードで日本選手として初めて金メダルを獲得したスノーボードの平野歩夢さんをはじめ、金メダルを獲得したスキージャンプの小林陵侑さん、スピードスケートの高木美帆さんのほか、北京パラリンピックで金メダルを獲得したアルペンスキーの村岡桃佳さんとクロスカントリースキーの川除大輝さんも受章します。

「春の褒章」の受章者は、例年、皇居で天皇陛下からおことばを受けることになっていますが、新型コロナウイルスの影響で、おととしと去年に続いて取りやめになりました。

アニメーション・映画監督 庵野秀明さん

紫綬褒章を受章するアニメーション・映画監督の庵野秀明さんは山口県出身の61歳。

学生時代からアニメーションや映画の制作に取り組み、その後、アニメーターとして「風の谷のナウシカ」や「火垂るの墓」などの制作に参加しました。1988年に「トップをねらえ!」で初めて監督を務めたあと、「ふしぎの海のナディア」や「新世紀エヴァンゲリオン」など、テレビアニメや映画を数多く手がけ、中でも「エヴァンゲリオン」シリーズは去年、完結作となる映画が公開され、大きな話題となるなど、幅広い世代から支持される庵野さんの代表作となりました。

そのほか、2016年に公開され、脚本と総監督を務めた映画「シン・ゴジラ」が日本アカデミー賞の最優秀作品賞に選ばれるなど、ヒット作を数多く生み出しています。

受章について庵野さんは「勲章と褒章の区別も曖昧で勲章と言えば1966年の『ロボタンの歌』と『ロボタンマーチ』が真っ先に浮かんでしまう如何しようもないオタクな自分が、この様な名誉をいただいて良いものか戸惑いましたが、他界した両親と祖母が喜ぶかと思い、ありがたくお受けすることにしました。これからもアニメや特撮文化に御恩返し出来る様、面白いアニメや特撮映像作りに携わり、アーカイブ事業を推し進めていこうと思います」などとコメントを発表しました。

作詞家 秋元康さん

紫綬褒章を受章する作詞家の秋元康さんは東京都出身の63歳。高校生のころから放送作家として活動し、民放の音楽番組「ザ・ベストテン」など、数々の人気番組の構成を手がけました。

そのかたわら、1981年には作詞家としてデビューし、優れた観察眼で時代の流れを捉え、美空ひばりさんの「川の流れのように」や小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」など時代を彩るヒット曲を世に送り出しました。

2005年にはアイドルグループ「AKB48」を立ち上げ、総合プロデューサーとして、さまざまな企画を立案して国内外の幅広い世代からの人気を集め、プロデュースしたほかの姉妹グループを含めて、ミリオンセラーとなる楽曲を数多く生み出しています。

受章について秋元さんは「大変、光栄です。放送作家からスタートして、作詞家、プロデューサーと、その時代、その時代をただ夢中で走り抜けて来ました。まさか、褒章の栄誉を賜ることになるとは夢にも思っていませんでした。この仕事を続けて来られたことを幸せに思います」とコメントしています。

囲碁 井山裕太さん

紫綬褒章を受章する囲碁の井山裕太さんは、大阪 東大阪市出身の32歳。祖父の影響で幼い頃から囲碁を始め、中学1年生、12歳のときにプロになり、その後、数々の最年少記録を塗り替えました。

また、囲碁では史上初となる2度の七大タイトル独占を成し遂げ、2018年には、国民栄誉賞を受賞するなど日本を代表する囲碁の棋士です。

紫綬褒章の受章が決まり、大阪市内で開いた会見で、井山さんは「非常に名誉なことで、光栄なことと感じています」と受章の喜びを語りました。

今後については「囲碁は変化が無数にあって、一局として同じ対局はないので奥が深いものです。これだけ夢中になれるものに出会えたのは幸せなことと思っています。新たなことにチャレンジしていく姿勢が、長く戦ううえでは重要だと思っているので、今後も、現状に満足せず、少しでも前を見てやっていけたらと思っています」と抱負を述べました。

俳優 岡本健一さん

紫綬褒章を受章する俳優の岡本健一さんは、東京都出身の52歳。1985年に俳優としてデビューしたあと、1988年に結成された4人組ロックバンド「男闘呼組」のメンバーとして、NHKの紅白歌合戦に2年連続で出場するなど歌手としても活躍しました。

1993年にバンドが活動休止したあとは、舞台や映画などで幅広い役柄を魅力的に演じ、去年、主演を務めた舞台「リチャード二世」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞するなど、演技力が高く評価されています。

2016年には、NHKの大河ドラマ「真田丸」で、真田幸村とともに豊臣方として徳川方と戦った、戦国武将の毛利勝永役を演じるなど、数多くのテレビドラマにも出演しています。

受章について岡本さんは「皆様と喜びを分かち合いたい気持ちです。私だけの受章ではない思いがあふれています。心から感謝いたします。これから先も、そのときでしか感じられない生の時間を大切にして、何色もの世界を彩り、心を豊かにする『作品』を創り上げ、より多くの方々にお届けし続けることを誓います」とコメントしています。

スキージャンプ 小林陵侑選手

紫綬褒章を受章するスキージャンプの小林陵侑選手は岩手県出身の25歳。ことし2月の北京オリンピック、スキージャンプの男子ノーマルヒルで金メダル、男子ラージヒルで銀メダルを獲得しました。

オリンピックのスキージャンプで日本選手が金メダルを獲得したのは、1998年の長野大会以来となる24年ぶりの快挙でした。

小林選手は受章について「とてもうれしく光栄だ。1人でも多くの人にジャンプ競技を知ってもらい、その普及と発展に貢献できるよう頑張りたい」と心境を話しました。

また、北京大会を振り返り「北京入りしたときにはどうなるかと思ったが、最終的には、いいパフォーマンスで終われたのでよかった」と話しました。

地元、岩手県の人たちに対しては「変わらず、ずっと応援してくれているので励みになる」と感謝の気持ちを話しました。

今後に向けて「変わらずビッグジャンプを見せていきたいし、僕ができるのは飛ぶことくらいなので結果で見せていく。またワールドカップ1勝を目指して頑張りたい」と気持ちを新たにしていました。

スピードスケート 高木美帆選手

紫綬褒章を受章するスピードスケートの高木美帆選手は北海道出身の27歳。ことし2月の北京オリンピックの女子1000メートルは金メダル、女子500メートルと女子1500メートル、それに女子団体パシュートで銀メダルを獲得しました。

高木選手は受章について「大変光栄だと感じるとともに、身が引き締まる思いだ。この章に値する行動がとれるように日々精進していきたい」と話しました。

また、北京オリンピックを振り返り「すごく長いオリンピックだったが、いろいろな人が最後まで一緒に戦おうとしてくれた。一人ではここまで来られなかったが、歩みを止めなかったから最後まで戦えたんだなという思いがある。最後の1000メートルはやりきったと感じられた」と話していました。

パラ アルペンスキー 村岡桃佳選手

紫綬褒章を受章する村岡桃佳選手は埼玉県深谷市出身の25歳。先月行われた北京パラリンピックのアルペンスキー女子で金メダル3つと銀メダル1つを獲得しました。

村岡選手が紫綬褒章を受章するのはパラリンピックで初めて金メダルを獲得した4年前に続いて2回目です。

村岡選手は「誰もがいただけるものではないので、2回目というのはとてもうれしいです。自分の取り組んできたことや努力の結果が認めていただけたので、とても誇らしい気持ちです」と喜びを語りました。

また、北京パラリンピックを振り返り「女子にとってはゴールするだけでも難しい難易度の高いコースで、金メダル3つと銀メダル1つを獲得できたことは自分の成長につながりました。全レースでベストを尽くして自分の中でやりきった大会だと自信を持って言えるし、結果がついてきてくれたこともうれしいです」と話していました。

去年夏の東京パラリンピックに車いす陸上で出場した村岡選手は、次のパラリンピックに向けても、陸上とスキーの二刀流で夏と冬の大会を目指すことにしていて、「二刀流第2章として4年間を歩み始めたいと思っています。自分が速くなること、うまくなることを見据えて取り組んでいきたいです」と意気込んでいました。