なんでニセコへ本社移転?移住した社員たちのホンネは

なんでニセコへ本社移転?移住した社員たちのホンネは
「東京にいる必要は全く無いんじゃないかなと」

おととし北海道のニセコ町へ本社を移転した企業の、トップのことばです。

オンラインでどことでもつながれる通信環境の中、自然豊かな土地に身を置いてこそ生まれるクリエイティブな発想。
一方で、都会を離れることへのとまどいや、生活面含め不便なことはないのか。

社員たちのホンネを聞いてみました。

(政治部 桜田拓弥/札幌局 小田切健太郎/ネットワーク報道部 芋野達郎)

なぜ「東京脱出」?

札幌から西へ車で2時間、人口4800人ほどのニセコ町はスキーリゾートで知られる自然豊かな町です。
近年は移住者も多い土地ですが、ここに会社の本社を移転したのは紅茶の製造販売メーカー「ルピシア」です。

国内外に約150店舗を展開、約1400人の従業員を抱えています。
1994年の創業以来、東京・代官山の本社を本拠としていましたがおととし2020年7月、ニセコ町に移転しました。

移転の3年前、町内に食品工場を設立したタイミングで社内の誰よりも早く東京から移り住んだのが、水口博喜会長(67)です。

その後、5年間で東京に行ったのは「2回だけ」という水口会長になぜ東京を「脱出」し、本社を移転させたのか問うと、少し意外な答えが返ってきました。
水口会長
最初に移転を考えたのは6、7年前。僕は碁をやるんだけど、『碁は絶対AIだと人間に勝てない』と言われていたのに、プロの棋士に簡単に勝ってしまった。

人間の知識構造がAIにりょうがされると、じゃあ人間にしかできないことは何なんだろうと。
きっかけは「AIと人間の違い」を考えたことだったと言うのです。

そして。
人間にしかできないこと、それは「四季を感じること」だと思った。都会にいると感じられないが、北海道は雪がとければ山菜、夏には海産物と次々に楽しみが生まれてくる。自然に身を置くともっとクリエイティブになれるんじゃないか、そう考えたんです。

移転後、業績アップ 一方で…

移転したのは、コロナ感染拡大1年目だったおととしの夏。

リモートワークが定着し始め、「出社」する必然性がなくなるなど、働き方が大きく変わったことも決断を後押ししました。

移転後、会社の業績は順調に伸びています。

地元で人気の喫茶店と共同で開発したカレー。
北海道産の野菜を使ったスープ。
地元にいるからこそ生まれるアイデアで、次々に商品化しました。

コロナ感染拡大の中での「在宅率」の高まりに注目してネット通販に注力、移転後の去年6月期の売上高は前の年より5%伸びました。

一方で「移転のハードル」はそれなりにあったといいます。
水口会長
最初は「こっち(ニセコ)の方がいいよ」って言ったら、かなりの人たちが来てくれるんじゃないかと思っていたんです。
しかし、そう簡単には進みませんでした。

移転後、総務・人事・食品開発部門など約20人がニセコに移住して仕事をしていますが、移住できないという社員もいて、主力の茶の商品開発部門など本社機能の一部は東京に残しています。

社員たちのホンネ

移住した社員たちに、ずばりホンネを聞かせてもらいました。

(記者)「入社当時、ニセコで働くことは想像していました?」

「まさかないですよね。全くないです」
そう話すのは、入社して23年になる森重かをりさん(53)です。現在は執行役員を務めています。

森重さんが東京から移住して実感したのが、冬の間の「雪の多さ」でした。

工場があったのでこれまでも出張では来ていましたが、実際に住んで感じた雪の多さや深さに「出張で来るのと生活するのは全然違うんだ」と痛感したといいます。
あまり車の運転が得意ではないにも関わらず車での移動が欠かせないことにも戸惑いを感じました。

ほかの社員への取材でも「町内で買えない物もあるので隣町まで買い物に行く必要があるのがつらい」といった環境面での都会との違いへの声も耳にしました。

さらに、森重さんは実の母と夫を東京に残しての単身赴任です。
森重かをりさん
家族のこととか大丈夫かな、と思いました。母親が年だということですね。でも元気ではあるので、今なら大丈夫かなと家族の理解を得ました。
その一方で。

「子どもの教育や親の介護などを考えると、簡単には東京での暮らしを変えられない」

社員からはこうした声も少なからずあったといいます。

社員たちのホンネ2

移住して雪の深さを実感した森重さんですが、反面、気付かされたことがありました。
森重さん
冬を乗り越えて、春が来た時の喜びが特に大きかったです。
会社全体で、こうした肌で感じる季節感をもとにした話題やアイデアが出る機会が増えたと感じています。
今も鳥の鳴き声とか聞こえるじゃないですか。すぐそこにフキノトウが出ているのが見えたりもしますよね。

東京だとインターネットで調べたり問い合わせたりということだったんですけど、ここではそんな季節の変化を肌で感じながらそれを『どうやって商品にする?』という進め方に変わっています。誰が作っているのかさえわかっている、という点では非常に変わったと思います。
東京にいるスタッフとも日常的にオンラインでの会議でつながっていて、物理的な距離が離れていることで大きな不便を感じることはないということです。

「本社がある土地に縛られない」

「移転のハードル」を乗り越えて実際に移住した人たちはこうしたメリットも感じている一方で、越える手前にいる人にとってはそれなりに高いハードルとなっている現実。

水口会長は改めて「本社とは何か」、みずから問い直しました。
水口会長
なかなか仕事したいっていう人が集まらず、僕自身も真剣に考えました。本当に経理部がなきゃいけないんだろうかとか。その中で考えたのは、アイデアが出るところ。決断ができるところ。情報が集められるところ。あとは年に1度か2度、みんなが遊びに来られるところ。それが「本社」なのかなと。
来年春にはニセコ町内に新社屋が完成し、20人程度の社員が新たに移住する予定です。

そうした中で今後は「本社がある土地に縛られない」、より柔軟な働き方も検討していくことにしています。
水口会長
地方の店舗を集積する拠点を各地方に置くことも検討している。これからは「北海道に来る人」だけじゃなくて、「東京に住んで仕事をする人」、あるいは「全然違った地方で仕事をする人」がどんどん出てくると思いますよ。

進む企業の“脱首都圏”

こうした企業の“脱首都圏”の動きは、データにも現れています。

民間の信用調査会社「帝国データバンク」がまとめた、感染拡大前の「2019年」と去年の「2021年」のデータを比較し、首都圏(東京・埼玉・千葉・神奈川の1都3県)から本社や本社機能を移した企業が大きく増えた道府県を見てみると…。
▽増加幅が最も大きかったのは、ニセコ町がある「北海道」でした。

2019年に首都圏から本社や本社機能を北海道に移した企業は7社でしたが、去年は26社多い33社と、一気に5倍近くに増えました。

▽2位は「大阪府」で、去年、首都圏から移った企業は46社と、2019年より14社増えました。

▽3位は「宮城県」のプラス10社。

このほか「愛媛県」と「石川県」は2019年には首都圏から移った企業はありませんでしたが、去年は愛媛県に5社、石川県に4社、それぞれ首都圏から企業が移転しました。

「こっちに住んだほうが幸せ」

本社移転の理由として「自然の中に身を置くともっとクリエイティブになれる」ことを挙げていたルピシアの水口会長。

インタビューの中で、こうも話していました。
水口会長
移転へ向けた判断の中では、そういう思いもありました。だけど今はね、クリエイティブになれるかどうかってことよりもね、こっちに住んだほうが幸せよと。そういう感じで思ってますね。
「東京からの本社移転」と「社員たちのホンネ」というテーマで取材してきましたが、コロナ禍で進んだテレワークをいかした働き方の変化が、従業員の生き方やライフスタイルの変化を生み出していることの一端が鮮明に伝わってきました。

この記事の最後は、本社移転とともに20年過ごした東京を離れ、戸惑いながらも移住して2年近くが過ぎようとしている女性社員のことばで終わりたいと思います。
仕事に疲れてふと空を見上げて夕日を眺めると、思わず時間を忘れてしまうほど見入っていたこともありました。

私にとってニセコに来てよかったなと思うことは、仕事終わりの夕日です。