ことばは?通院は?生活は?ウクライナからの避難民のいま

ことばは?通院は?生活は?ウクライナからの避難民のいま
4月24日で、ロシアの侵攻開始から2か月がたちました。

戦争を逃れ、ウクライナから日本に避難してきた人の数は(4月24日までに)719人を超えています。

事態が長期化するなか、国内の支援のあり方に課題も見えてきています。

特に、避難してきた高齢の避難民には、健康面や、今後の生活に不安を訴える人もいて、きめ細かな支援が求められています。

先月、横浜市に住む長女を頼ってウクライナから避難してきた2人を取材しました。

(横浜放送局記者 古市悠)
ウクライナ人のテチャーナ・ルミナさん(69 写真右)とパートナーのヴォロディミル・マリノフスキーさん(74 写真左)は先月からテチャーナさんの長女のイリーナさん(42)が暮らす横浜市に避難しています。

テチャーナさんが住んでいたのは、西部のリビウ。

ヴォロディミルさんが住んでいたのは、ロシア軍と激しい戦闘が行われた首都キーウ近郊のイルピンです。

イルピンでは、戦闘が激しくなると、1日に5回から10回、サイレンが鳴り、シェルターに隠れる生活が続くようになったといいます。

先月10日ごろに車でポーランドに避難しました。
その後、ポーランドでビザの申請などを行い、オランダと韓国で飛行機を乗り継いで、先月17日、ようやくイリーナさんが住む横浜市にたどり付きました。

いまはイリーナさんの家族と7人で暮らしています。

ヴォロディミルさんが、避難して初めて見たというロシア軍撤退後の故郷イルピンの映像には、ふだん利用していたバスターミナルなど見慣れた街並みが映っていました。
その惨状に心を痛めるとともに、避難の長期化を覚悟した様子で、もうイルピンには帰れないかもしれないと涙ながらに話しました。
ヴォロディミルさん
「イルピンは公園もあってとても美しい街だった。悲しくてもう泣くしかない。すぐに帰って年関係なくみんなで協力して家を修理したりしたいけど、いつ帰れるかは私たちには決められない」
私が、初めてテチャーナさんとヴォロディミルさんを取材したのは4月6日、来日して2週間あまりたったころでした。

新型コロナの隔離期間も終わって日本で生活の基盤を築こうと動き始めた時期でした。
イリーナさんの日本人の夫と、3人の子どもと、同居させてもらっている2人は、子どもの部屋を使わせてもらい生活していました。

子どもたちは、リビングで寝ていました。

子ども2人が、来年、大学受験などを控えていることもあり、テチャーナさんたちは、これ以上イリーナさん一家に迷惑をかけられないと、横浜市内で別に住む場所を探していました。
当時、多くの自治体は、避難民への支援策を検討し始めたばかりでした。

テチャーナさんとヴォロディミルさんも、横浜市から市営住宅を1年間、無償で提供できるほかは、ガスコンロと照明、カーテンしか提供できないと言われていました。
パスポートと少しの食料、それに1回分の着替えだけを小さなリュックサックに詰めて避難してきた2人。

国内に親族(イリーナさん)がいるため、政府による生活費などの支援も受けられず、物価が高い日本でどう暮らしていくのか途方に暮れていました。
テチャーナさん
「私の年金は月2万5000円くらいで自分で冷蔵庫とかベッドとか買えません。ウクライナでは誰にも頼ることなく生活してきたので、日本でも働いてお金を稼ぎたいですが、日本語が分からないし高齢なので難しいと思います。支援があればとてもうれしいです」
4月23日、再びテチャーナさんたちを訪ねると、2人は、来月から横浜市の市営住宅に入居することを決めていました。
テチャーナさんたちの生活の様子が放送で伝えられた翌日、横浜市からイリーナさんの夫に電話があり、家具や家電をそろえてくれることになったということです。

横浜市は、ほかにも、一時金として1人あたり20万円を支給するほか、当面の生活費も支給するなど、地元の企業や民間団体などと協力して、避難してきた人たちを支援することを決めました。
新居となる市営住宅は、イリーナさんの家から電車を乗り継いで40分ほどの場所にあります。

先週、2人は初めて、新居となる市営住宅を訪れました。
最寄り駅から市営住宅までは徒歩10分ほど。

途中、買い物をする場所もありますが、スーパーをのぞいたところ、ウクライナの食卓に欠かせないじゃがいもは6個でおよそ300円、ウクライナの10倍以上でした。
テチャーナさん
「スーパーで使ったお金が(1700円あまり)あればウクライナでは1週間生活できます。日本は物価がとても高いです。安いお店を探さないといけません」
市では生活費として、避難してきた人たちに、1人あたり月10万円を最大3か月間支給する方針ですが高齢の2人にとって就労は難しく、継続した収入も見込めないため、日本での生活の長期化が見込まれる中、不安だと話します。
また、いまは日本語を話せるイリーナさんがそばにいて通訳をしてくれていますが、2人だけの生活が始まると言葉の壁もあります。

テチャーナさんたちは今後に備えて、自動翻訳機を使った会話の練習をしています。

市営住宅のそばの花屋に立ち寄り、自動翻訳機を使って、店員と、「バラが好きです。この花はいくらですか」などと会話の練習をしていました。

高齢の2人にとっては、健康問題も不安のひとつです。

ヴォロディミルさんは腰痛と高血圧の持病に加え、胸が苦しくなることがあります。
苦しくなると、避難する前にウクライナの薬局で買った薬を飲みやり過ごしていますが、今後、持病が悪化したり、新型コロナに感染したりした場合の対応などに不安を感じています。

さまざまな不安を抱える2人ですが、日本での生活に一日も早くなじめるよう頑張りたいと話しています。
テチャーナさん
「言葉や文化が全く違い不安はありますが日本の皆さんが良くしてくれるので、私たちも早く日本の文化になじめるように頑張りたい」

取材後記

取材を通じて、今後の生活で一番の課題となってくるのは、ことばだと感じました。

ヴォロディミルさんとテチャーニャさんが話せるのは、ウクライナ語とロシア語で、英語は話せません。

取材中、私(記者)も直接、コミュニケーションが取れず、2人が日本語のサポートなく日本で生活する様子がどうしても想像できませんでした。

自動翻訳機も「こんにちは」や「ありがとう」など、簡単な会話は正しく翻訳されますが、複雑な会話になると正確に翻訳できていませんでした。

ことばが通じないことで外出がおっくうになると、高齢者の場合、身体機能や認知機能の低下も懸念されます。

経済面や物資だけでなく、生活のあらゆる面でそれぞれのニーズに合ったきめ細かな支援が求められていると思いました。
横浜放送局記者
古市悠
平成22年入局
水戸局、大阪局、科学文化部を経て令和3年から横浜局
医療問題のほか、中華街やアメリカ軍基地など幅広く取材