復帰ママの悩み “搾乳”のつらさを知って

復帰ママの悩み “搾乳”のつらさを知って
産後に職場復帰したばかりの女性が、人知れず苦しんでいることがあります。搾乳の問題です。

授乳をしている時期は母乳が体内で作られているため、胸が張ってきます。放っておくと激痛が走ったり、ひどい場合は体調を壊したりすることも。

誰もが不安なく働くことができるために、一緒に搾乳について考えてみませんか?
(おはよう日本 佐藤恵梨香/アメリカ総局 佐藤真莉子)

いざ復帰 立ちはだかる搾乳の壁

この春、医療関係の職場に復帰する東京都内在住のゆみこさん(37歳・仮名)も搾乳に悩む1人です。6歳と、1歳になったばかりの子どもを育てています。

育児休業中は1日8回授乳していますが、復帰してからは朝と夜の4回に減る見込みです。

職場復帰などで急に授乳回数が減っても体は母乳を作り続けるので、胸が張ります。

その張りを軽減したり、母乳の分泌を維持したりするために手や搾乳機を使って「搾乳」をするのです。
ゆみこさんは、1人目の時も仕事をしている間に胸の張りが気になり、痛みがでてこないか不安に感じながら過ごしたといいます。

搾乳したいと思っていましたが、時間を十分に確保することはできませんでした。
ゆみこさん
「時短もとっていたし、他の人に仕事を頼む申し訳なさもあって。『搾乳のために時間をとりたい』とは言えませんでした」
復帰から2週間ほどすると胸が赤くなり、高熱が出てしまいました。

我慢すると健康へのリスクも

ゆみこさんが診断されたのは、「乳腺炎」でした。
乳腺に母乳がたまって炎症を起こす症状です。

復帰を控えた女性を対象に母乳管理を教える講座を行っている助産師の伊藤敦美さんによると、乳腺炎になると38.5度以上の発熱や悪寒、インフルエンザのような身体の痛みなどの全身症状が現れることもあるといいます。
助産師 伊藤敦美さん
「職場への復帰や入園による急な生活の変化によって、赤ちゃんがそばにいれば本来排出されるはずの母乳が乳房内に留まりすぎて炎症を起こしてしまった現象です。

早期に仕事復帰する女性はとくに、母乳育児を継続するなら頻回に搾乳しなければなりません。

また仮に母乳育児の継続を希望しなくても、分泌をコントロールして乳腺炎を回避するために、勤務中に一定期間は定期的な搾乳をする必要があります。我慢しすぎないことがポイントです」

搾乳スペースが無い

搾乳に悩んでいたゆみこさんが職場で我慢してしまっていた理由は、もうひとつあります。

場所の問題です。

職場に安心して搾乳ができるスペースが無かったのです。

カギがかかる、一人になれる場所…。

ゆみこさんがしかたなく選んだのがトイレでした。
ゆみこさん
「他に選択肢がなかったので、昼休憩のときにトイレの個室で圧抜き程度に搾乳しました。待っている人がいたら迷惑だし落ち着かないし、ゆっくり搾乳という感じではありませんでした。同僚には特に話していません。そもそも搾乳のことも知らないと思います」
絞った母乳は清潔に保存すれば赤ちゃんが飲めますが、トイレで搾乳したものは衛生的ではありません。

ゆみこさんは搾乳した母乳は捨てていたといいます。

職場の搾乳環境、調べてみると…

本当にトイレくらいしか搾乳できる場所が無いのか。

搾乳ができる環境を整えている企業が全国にどれくらいあるのか、調べてみることにしました。

すると、企業に対して全国的に行われた調査は見当たりません。

女性の労働問題に詳しい専門家に聞いても、そのようなデータは無いといいます。

独立行政法人 労働政策研究・研修機構 副主任研究員 内藤忍さんによると、ILO(国際労働機関)による2000年の母性保護勧告では、各国に職場で搾乳する環境を整えるなどのルールを作るよう求めています。

しかし、日本には企業が搾乳スペースを用意することを求める法律がありません。

搾乳スペースを設置するかどうかは、企業側の自主的な取り組みに期待するしかないのが現状だといいます。

労働基準法には、1歳未満の子どもを育てている女性が1日2回、30分ずつ「育児時間」を企業に求めることができる制度はあります。

しかし、この「育児時間」は約100年前の労働環境に合わせて作られた制度で、現在の授乳や搾乳のニーズのある労働者の職場環境は考慮されていないと指摘します。
独立行政法人 労働政策研究・研修機構 副主任研究員 内藤忍さん
「育児時間のもとになっているのは、1926年に追加された工場法施行規則の規定です。工場の女性労働者の授乳のニーズのために作られました。当時は、おばあさんなどが赤ちゃんを工場に連れてきて授乳させるか、近所にある自宅に帰宅して授乳していました。

しかし現在では授乳のために赤ちゃんを連れてくる家族もいないし、社内保育所もそんなに充実していません。そんな状況の中で職場で搾乳しようとすると、場所はどうするんだという問題にぶつかるわけです。

さまざま考えていくと母乳育児を諦めようかとか、不衛生なトイレでちょっとだけ出すとか、仕事を辞めようと考える人もいるかもしれません。産後の女性労働者が直面している状況に合わせて、どうしたら使える権利になるのか今一度考えるべきだと思います」
内藤さんによると、日本では搾乳室を自主的に導入している企業は出てきているものの、まだごく一部にとどまっているそうです。

WHO(世界保健機関)では2歳まで母乳育児を続けることを推奨しています。

しかし、日本では職場で搾乳する環境が整っていないことが、母乳育児を諦める理由の1つになっているという調査結果もあります。

一方で、海外に目を向けると、先進的な取り組みを始めている国もあります。

搾乳室の設置を法律で義務化したアメリカ

職場で搾乳することが、もはや当たり前になっている国の1つが、アメリカです。

搾乳機の購入やレンタルにかかる費用は、多くの保険の適用対象となっているほか、町なかのスーパーや、ネットショッピングでも、搾乳機や母乳を入れる専用のおしゃれな保冷バッグが数多く売られています。
なぜ、職場での搾乳が一般的なのか。

実はアメリカには国として産休や育休の制度がありません。

たとえ出産直後でも、1日でも仕事を休んだら職を失うというケースすらあり、産後すぐに職場に復帰する人が多いという事情があります。

そこで、アメリカではオバマ政権時代に、企業に対して子どもが1歳になるまでの従業員には搾乳のための時間と場所を提供するよう定めた法律が成立。

西部カリフォルニア州では2年前に州法を改正し、搾乳室の設置義務に違反した場合には罰則を設けるなど厳しい措置をとり、職場環境の改善に取り組んでいます。

搾乳室はオンラインで予約、母乳宅配サービスも

そのカリフォルニア州に本社がある、エネルギー大手のシェブロンでは、20年以上前から搾乳室を導入し、州の法律にあわせて改良も重ねてきました。

新型コロナウイルスでオフィスへの出社が制限されたときも、搾乳室は減らさず、維持してきました。
従業員の1人、テレサ・グナワンさんは、1人目の子どもを出産後、3か月で職場に復帰。

産休に入る前から、搾乳について上司と話し合いを重ね、復帰後はオフィスの近くの搾乳室を1日3回ほど利用していました。
テレサ・グナワンさん
「働いているオフィスの近くに搾乳室がない場合には、新たに搾乳室を設置してもらうこともできます。搾乳室は会議室と同じようにオンラインで予約できますし、その時間は誰にも邪魔されることはありません。上司と出産前からさまざまな相談ができたので、復帰に向けて不安はありませんでした」
この会社では州法に合わせて、搾乳室にはいす、テーブル、電源、水道、冷蔵庫を設置しています。

そして、病院でも使われている自動搾乳機が置かれていて、自由に使うことができます。

左右同時に自動で搾乳できるため、手で搾乳したり、直接授乳したりするよりもかなり短い、15分ほどで搾乳が終わります。

本来は病院でしか使うことができないものですが、企業側が用意して、衛生面のメンテナンスもしてくれることで、利用する女性たちの負担が大きく軽減されています。
さらに、出張先で搾乳した母乳を温度管理しながら自宅に届けてくれるサービスも会社が提供しています。

これなら、仕事を理由に母乳育児をあきらめることもありません。

福利厚生の担当者は、こうした支援は女性の職場復帰にとって必要な投資だといいます。
福利厚生担当 ブライアン・ウォーカーさん
「企業にとっても、投資する価値があります。スキルのある女性が、復帰したいのに支援を受けられないことを理由に退職してしまったら、大きな損失です。そのかわりに新人を雇用するとなると、トレーニングも必要で、さらなる経費がかかります。

今働いている人、企業のために働きたいと思ってくれる人材を大切にして、優秀な人が働き続けられるようにすることの方が、よほどメリットがあります」

搾乳のコンサル会社も!?

職場での搾乳が浸透したことで、新たなビジネスも生まれています。

カリフォルニア州には搾乳専門のコンサルティング会社があります。

搾乳室のレイアウトなどに関して企業の相談にのっているほか、搾乳機の貸し出しやメンテナンス、雇用主や従業員への教育など、搾乳に関するさまざまなサービスを提供しています。
搾乳コンサルティング会社 シーラ・ジャナコスCEO
「州の法律ができたことで、私たちのビジネスも拡大しましたが、法律のあるなしにかかわらず、従業員の労働環境を良くしたいと考えて相談にくる企業も多いです。大企業はもちろん、女性従業員の少ない企業や、農業など屋外で仕事をする企業からの相談も増えています」

ここまで進化 ワイヤレス搾乳機

より簡単に、気軽に搾乳できると、アメリカでいま、人気なのがワイヤレス搾乳機。

専用のブラジャーの中に入れ、スマホのアプリで起動して使います。

音も静かなので、仕事をしながら、職場の同僚に気づかれることなく搾乳することも可能だといいます。

日本でも“手作りの搾乳室”

アメリカのように法律や設備が整っていなくても、最低限のスペースを確保する方法はあります。

下の画像は、宮城県の酒造メーカーが2年前に設置した“手作り搾乳室”です。
部屋にあるのは、ソファーとテーブル、目隠し用のカーテン、それに除菌スプレーなどです。

どれもホームセンターなどで購入したり、社内に余っていたものを再利用したりしたもので、特別なものは置いていません。

場所も、社内の空き部屋を利用しました。
助産師の伊藤敦美さんは、搾乳スペースのポイントとして

プライバシーを守り安心できる空間

清潔な場所

そして、可能なら…

母乳を保存できる冷蔵庫

自動搾乳機用の電源

消毒できる電子レンジ

搾乳機や手を洗える水道

のいずれかも、部屋の中や近くにあると、なおいいそうです。

取材を終えて

母乳育児をしなくてはいけない、ということではありませんが、母乳育児を続けたいと考える母親たちが、それを続けられるような選択肢があるということは、すばらしいことだと思います。

アメリカと日本では産休・育休制度が違うので、日本のほうが恵まれていると感じる部分もありますが、自分が出産した時にも、出産前から搾乳に関する相談をできていたら、オフィスに搾乳室があったら、はたまた母乳宅配サービスがあったなら…もう少し違った形で仕事と育児の両立ができたのではないかと取材を通じて感じました。

出産後も仕事を続けたいと考える人たちが、少しでも前向きに復帰できるように、日本でも社会や企業の動きが出てくることを願っています。
おはよう日本ディレクター
佐藤恵梨香
2010年入局
静岡局を経て現所属
男の子2人育児中
アメリカ総局記者
佐藤真莉子
2011年入局
福島局、社会部、国際部を経て現所属
ニューヨークで5歳の娘を育児中