「4歳の息子は遺体で見つかった」ウクライナの子どもたち

「4歳の息子は遺体で見つかった」ウクライナの子どもたち
「絶対に見つかると信じています」

4歳の息子の行方を3週間以上捜し続けていた1人の母親は、こう話していました。

ただ、その願いは、かなうことはありませんでした。

ウクライナや周辺国での取材。出会うのは、数多くの子どもや女性たち。妊婦や生まれたばかりの赤ちゃんもいます。

ロシアによる軍事侵攻が奪い、もたらしているものは何か。一人ひとりの声を聞きました。
(ウクライナ取材班 別府正一郎 スレイマン・アーデル 鈴木康太)

4歳の男の子が写ったポスター

ウクライナから70キロほど離れた、ポーランドの駅。

その一角に設けられた臨時のボランティアセンターには、男の子の情報を呼びかけるポスターがありました。
「行方不明の男の子を探しています。4歳です。戦争の混乱の中、行方がわからなくなりました。連れ去られたのか、あるいは、国境をすでに越えているのかもしれません。生きて見つかることを願っています。よろしくお願いします」
母親に連絡すると、男の子のことを教えてくれました。

4歳の男の子の名前は、サーシャくんといいました。

ロシアによる軍事侵攻が続く、3月10日、首都キーウ近郊から祖母と一緒に避難。

しかし、途中で祖母とサーシャくんが行方不明に。

祖母は、その後、亡くなっているのが見つかりました。

一方、サーシャくんの行方は、わからないままでした。

母親は、3週間以上、SNSでサーシャくんにつながる情報を求め続けていました。
「サーシャは、絶対に見つかると信じています」

母親は、こう話していました。

しかし、4月5日、母親はSNSに、次のように投稿しました。
「サーシャの遺体が見つかりました。信じてくれた人、探してくれた人、みなさんに感謝しています。おかげで、私は息子に会うことができました」

目と耳をふさいだ小さな手

ウクライナ西部のリビウ郊外にあるキャンプ場。

取材に訪れた時期は、本来なら閑散期ですが、ウクライナ各地からの国内避難民を受け入れていて、30家族ほどが身を寄せていました。

そこで1人の男の子、ティモフェイくんに出会いました。

3月初旬、母親と祖母、曽祖母とともに東部ハルキウから避難してきていました。

キャンプ場にたどり着いた日は、3歳の誕生日だったといいます。

父親を残したまま逃げてきたというティモフェイくんの家族。

「町では何もかもが破壊されました」と、祖母のガリナさんが涙を流していました。
その部屋の一番奥、母親のスビトラさんの陰に隠れて泣いていたのが、ティモフェイくんでした。

「こっちにおいで」と言いながら近づきましたが、泣き声は大きくなるばかり。

苦しそうな表情を浮かべ、両手で目や耳をふさいでいました。
「男の人を見ると、兵士が来たと思って、とても怖がるようになっているんです」
母親のスビトラさんは、こう教えてくれました。

何度も聞こえた爆撃音。

逃げる途中で受けた銃撃。

祖母は、取材班のカメラを「兵器」だと思って、怖がっているのだと言いました。

「怖がらせてごめんね」

ティモフェイくんにこう伝え、すぐにその場を離れました。

その日、ボランティアが、粘土細工の教室を開きました。

ティモフェイくんも含めた、避難している子どもたち10人ほどが参加。
最初、表情が暗かったティモフェイくんでしたが、しばらくすると、周りの子どもたちをまねて、粘土をさわり始めました。

笑顔も見えました。

30分後にできあがったのは、クリーム色の壁に紫の三角屋根。

森に囲まれた家でした。

一緒に作ったスビトラさんは、こう説明してくれました。
「明るく生きられるように、明るい色で作りました。わが家が一番です」

6歳になる男の子

取材した日の1週間後に6歳の誕生日を迎えると話す男の子。

ディマくんといいました。

そして、小さな手に握りしめた人形を見せてくれました。
母親のカリーナさん(27)に話を聞くと、ディマくんとカリーナさんは、激しい戦闘が続く東部マリウポリから避難してきたといいます。

急いで避難してきたため、荷物はボストンバッグ1つ。

ディマくんが持ってくることができたおもちゃは、お気に入りの人形1つだけでした。

2人に出会ったのは、ウクライナ西部の主要都市リビウの中央駅。

隣国ポーランドへ避難する途中でした。

カリーナさんはシングルマザーで、地元で小さなネイルサロンを営んでいました。

しかし、ロシアによる軍事侵攻で、サロンも攻撃を受け、避難せざるを得ませんでした。

そして、避難は何よりもディマくんを守るためでした。
「ポーランドに頼れる人は誰もいません。でも、息子が私の“生きる希望”なんです。ロシア軍が攻めてきてからは、毎日つらいことばかりです。でも、息子の前では、涙は流せません」
そう気丈に話すカリーナさん。

でも、ディマくんに取材を続けている際、私たちに背中を向けてかばんを整理している彼女を見ると、頬を伝う涙を拭っていました。

戦火の笑顔と涙

ウクライナやその周辺の国では、小さな子どもを連れて避難する母親の姿を多く目にします。

紛争や経済危機などが起きたとき、まっさきに不利益をこうむるのは、女性や子どもたちたちです。

ウクライナから国外に避難した人の数は、518万人余り。
このうち、200万人以上が子どもです。

この数字とは別に、最大280万人の子どもたちが“国内での避難”を余儀なくされているということです。
(ユニセフ=国連児童基金、4月23日時点)

また、4月21日までに死亡した子どもたちは少なくとも184人。
(国連人権高等弁務官事務所、4月23日時点)

目の前で起きている理不尽な事態を少しでも理解するため、引き続き子どもや女性たち一人ひとりの声を聞いていきたいと思います。
また、NHKは、現地に入った特派員や記者たちの取材の内容を、コラム「取材の現場から」という形でまとめています。

特設サイトは、以下のリンクから見ることができます。
ヨハネスブルク支局長 
別府正一郎
国連や中東での取材を経て2018年から現職
今回ウクライナ入りして取材
カイロ支局
スレイマン・アーデル
2015年入局
神戸局、国際部を経て2021年より現職
中東・アフリカ諸国の取材を担当
国際部記者
鈴木康太
2011年入局
札幌局、社会部などを経て2021年から国際部
ポーランドを拠点に避難してくる人たちと支える人たちを取材