ウクライナから避難の子どもが小学校に通学 東京 千代田区

ウクライナから避難してきた子どもたちの中には、日本の小学校に通い始めている子もいて、都内の小学校ではマンツーマンの日本語指導の担当者をつけるなどしてサポートしています。

ウクライナの首都キーウから先月、ウクライナ国内に夫を残し、3人の子どもとともに知人を頼って避難してきたオルガ・ジュラベルさん(43)は、千代田区内で、日本での生活を始めています。

オルガさんは、教育を受ける機会を失わせたくないと区に相談し、次女で小学6年生のオリビアさんと、長男で小学3年生のヤンさんは、今月から区内の小学校に通っています。

小学校では週に3回、日本語を教わる時間が設けられていて、20日はオリビアさんが日本語指導の担当者から教わりながら「どうぶつ」の単語を読み上げたり、ひらがなを書いたりしていました。

そして、休み時間になると、クラスの友達がオリビアさんのもとに集まって、日本語と英語を交えながら話し、オリビアさんはウクライナ語の単語を友達に教えていました。

また、クラスの友達が、オリビアさんが読めるように、ウクライナ語に翻訳して作った学級新聞を手渡す場面もありました。

オリビアさんは「学校は好きです。特に体育や給食、それに絵を描くことが好きです。また、友達を作りたいです。友達ができれば助けてもらえるし、私も友達を助けられるからです」と話していました。

小学校では、日本語指導のほか、週に2日、通訳を置くなど支援していて、村田悦子校長は「ことばの壁やメンタル面でのサポートを行いながら、学べる環境を作っていきたい」と話していました。

母親「日本語が分からないことを心配」

オルガ・ジュラベルさん(43)は、子どもたちの教育を止めてはいけないという思いから、子どもたちがウクライナの学校で使っていた教科書を、スーツケースいっぱいに詰めて日本に避難してきました。

オルガさんは、子どもたちの様子について「ウクライナに残っている、ほかの子どもたちよりも精神的に負担が軽いと思います。ただ、侵攻の当初は、爆発音や飛行機の音などをとても怖がり、とても神経質になっていました」と話していました。

そして、小学校での生活について「子どもたちは、とても日本の学校が好きです。先生たちも、とても優しいし面倒をよくみてくれます。子どもたちが勉強できて私もうれしいです。しかし、日本語が分からないことをいちばん心配しています。特に6年生のオリビアは小学校最後の学年なので、私はとても気にしています。彼女は、あまり理解できていないかもしれないので、中学校で困るかもしれない」と、来年、中学生となる次女のオリビアさんのことを特に心配していました。

そして今後については「当面は日本の学校に通うことになると考えています。戦争が終わっても、おそらく2年から3年はウクライナは安全ではないので戻れないでしょう」と話していました。