「戦争犯罪」は裁けるか?

「戦争犯罪」は裁けるか?
「これは、戦争犯罪だ」
ウクライナでのロシア軍の行動をめぐり、欧米各国はこう批判します。
国際法に反する「戦争犯罪」は、これまで何度も繰り返されてきました。
戦争犯罪を止めることはできるのでしょうか?

※ロシア軍の撤退後、多数の遺体が見つかったウクライナの首都キーウ近郊の街の状況について一部、画像を加工したうえで掲載しています。

相次ぐ“戦争犯罪”

後ろ手に縛られたまま、殺害されたとみられる人。
自転車に乗っていて、撃たれて殺害されたとみられる人。
ロシア軍が撤退したウクライナの首都キーウ近郊の町ブチャで明らかになった状況です。
民間人への攻撃など国際法のルールに反する行為は「戦争犯罪」にあたる可能性があり、国際的な刑事裁判所で裁き、責任を問うための捜査が進んでいます。
こうした「戦争犯罪」、過去の紛争で何度も繰り返されてきました。

子どもと歩いて国境を越えた

「戦いが続く中、子ども3人を抱えて、無我夢中で逃げました。
子どもがおびえて泣くと、口をふさぐしかありませんでした。
居場所がわかると、命の保証がないですから」
話をしてくれたのは、福島県で暮らす永遠瑠・マリールイズさん。
アフリカのルワンダ出身です。
1994年に祖国で起きた虐殺を生き延びた経験を語ってくれました。
それまでの日常が一変したのは、その年の4月上旬でした。
突然、自宅の周辺が停電。
外で何が起きているかは、一切わかりません。
テレビもラジオもつきません。

かつて研修で滞在していた日本のホームステイ先から電話がありました。
そこで初めて、ルワンダの当時の大統領が乗った飛行機が墜落したこと、ルワンダで戦闘が始まっているというニュースが流れていることを知りました。

あとになって知ったのですが、この時すでに、ルワンダ国内では、大勢の人が次々に殺されていたのです。
3日後、唯一の連絡手段だった電話が通じなくなりました。
世界から切り捨てられたように感じました。

何日かして、電気がつきました。
ラジオでニュースを聞けるようになりましたが、聞こえてきたのは音楽だけ。
時折、外に出ないで家にとどまってくださいというアナウンスが流れてきました。

外に出なければ、被害にあわないだろうと考えていました。
ところが、1週間が経ったころ、4軒となりに爆弾が落ちました。
家の中にいる方が危険だと考え、子どもを連れて家を出る決心をしました。

街なかに出れば、きっと、安全だろう。
軍隊はいなくて、正義があるだろう。

そう信じていましたが、その期待は、あっさりと裏切られました。
大通りに出てすぐ、遺体が道端にごろごろと転がっているのを見ました。
武器すら持っていない普通の人たちが、次々と殺されていきました。

家を出なければよかったと思いました。
さっきまで話していた人が、目の前で撃たれるのです。
赤十字や国連が見ている中で、その目の前で、人が殺されていくのです。
怒りを感じました。

道路の崖の下に止められたトラックの荷台に、そのまま遺体が投げ込まれるのです。
何もしていない、武器も持っていない若者が。

やめてくださいと言っても、戦争をやっている時に聞く耳は持ちません。
戦闘地域にいる人たちは、無差別に殺されるんです。

自分の存在が知られたら、殺されるに違いない。
そう感じながら、安全を求めて歩き続けました。

子どもたちを連れて自宅を逃げ出したのが、4月下旬。
身を隠しながら移動を続け、隣国の難民キャンプにたどりついた時には、7月になっていました。

28年経った今でも、鮮明に覚えています。
1つも忘れることはありません。

28年前と今 重なる光景

1994年の4月に始まったルワンダの虐殺。
ラジオの放送などにあおられ、多数派のフツ族が、きのうまで隣人だった少数派のツチ族などを次々に殺害しました。虐殺の対象はツチ族にとどまらず、かくまった人や虐殺を止めようとした人たちにもおよびました。
そんな日々がおよそ100日間も続き、犠牲になった人は80万人を超えると言われています。
あれから28年が経った今、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻で当時と同じような光景が繰り返されていることに、マリールイズさんは、深い怒りと無力感を感じるといいます。
マリールイズさん
「ウクライナで戦争が始まってから、食事ものどを通らない日々が続いています。こうして話していても、鮮明にあの当時の状況の中にいる自分を思い浮かべます。ウクライナの地下室にいる家族を見ていて、フラッシュバックが起きて、自分たちが廊下で身を潜めていたことを思い出しました」
「ルワンダで起きた被害を、なぜまた繰り返すのでしょうか。国際社会は、みんな、何が起きているか見ていたのに。ウクライナの人たちに伝えられることがあるとすれば…。ただ、生きて、ということだけ。それだけです。今は」

裁きは下されるのか?国際裁判の役割は

武器を持たない無抵抗の市民が次々と殺されていく事態。
国際法はそれを許さないと定めてきました。

そんな「戦争犯罪」は、大きく4つに分類されます。
▽いわゆるジェノサイドと呼ばれる「集団殺害犯罪」
▽「人道に対する犯罪」
▽国際法でいう「戦争犯罪」
▽そして「侵略犯罪」です。
国際社会が国際法に違反した個人の犯罪の責任を追及するという国際裁判の起源は、第2次世界大戦後のナチスドイツの幹部を裁いたニュルンベルク裁判と、日本のA級戦犯が裁かれた極東国際軍事裁判、いわゆる「東京裁判」にあります。

その後の東西冷戦期は、国際社会が普遍的な立場から犯罪者を裁く国際裁判の動きは停滞します。
冷戦終結後、各地で民族紛争が相次ぎ、さまざまな残虐行為が明らかになりました。国際社会ではこうした状況を許してはならないという機運が、再び高まります。
そして国連の安全保障理事会によって、
▽旧ユーゴスラビア紛争をめぐる臨時の国際法廷=ICTYと
▽ルワンダの虐殺をめぐるICTR=ルワンダ国際刑事裁判所
が設置されました。

ルワンダの虐殺についてICTRは、ジェノサイド=集団殺害犯罪や、人道に対する犯罪などにあたるとして、90人以上が起訴され、その大半が罪に問われました。

その後、2002年に発足したのが、ICC=国際刑事裁判所です。
条約に基づいた常設の裁判所で、捜査部門と裁判部門に分かれ、現在100を超える国と地域が参加しています。
今回のウクライナで行われた疑いのある戦争犯罪や人道に対する罪についても、ICCのカーン主任検察官が現地入りし、本格的な捜査に乗り出しています。

一方で実際には、条約に参加していないロシアの関係者を裁くことは容易ではなく、ICCの限界を指摘する声も後を絶ちません。

2019年までの9年にわたってICCの裁判官を務めた中央大学法学部の尾崎久仁子特任教授は、ウクライナでの戦争犯罪の責任を追及することはICCにとって試金石になると指摘します。
中央大学法学部 尾崎久仁子 特任教授
「映像で見るかぎり明らかに非戦闘員である文民が武器を持たない状態で殺害されていて、それも複数います。もちろん1人殺害しても戦争犯罪になりますが、それがかなりの人数となると、人道に対する犯罪ともなりえます。ICCが今後、国際社会から認められる存在であるかとともに、悲惨な事態に対応できる国際機関であるのか、問われています」

いま大切なのは、1人も死なせないこと

ルワンダで虐殺を生き延びたマリールイズさん。
国際裁判で虐殺が裁かれたことについては、評価しているといいます。
マリールイズさん
「罪を犯したのであれば、償うのは当然のことです。説明責任もあります。その意味で、国際法廷で裁かれたことは、大事なことだったと思います」
一方で、「戦争犯罪」ということば、そして、プーチン大統領やロシアに責任を取らせることばかりに関心が集まり、肝心の停戦が実現しない現状に強い懸念を覚えています。
「今はまず戦争を止め、苦しんでいる人たちを1人でも助けてほしいのです」
「何のために、国際社会があるのでしょうか?殺された姿を見て、あとで裁きますと言うのではなく、宿った命を粗末にしないこと。いま1人も死なせないこと。無差別な殺害を止めることが先です。国際社会には、子どもに安心して眠れる夜をください、とお願いしたい」

裁けば終わり?ルワンダが歩んだ道のり

さらに「戦争犯罪」は裁くだけでその傷を癒やすことはできないと、マリールイズさんは考えています。

凄惨な虐殺が行われたルワンダは、長期にわたって国の建て直しを模索してきました。ルワンダ国際刑事裁判所とは別に地域ごとの草の根の裁判所「ガチャチャ裁判」を設置。
多数の犯罪者を裁くと同時に、刑期を終えた受刑者を地域社会に復帰させ、人々の「和解」を進めました。
自分の家族を殺害した犯人の責任を追及するだけでは、実は憎しみと苦しみの連鎖から抜け出すことはできないと、マリールイズさんは話します。
マリールイズさん
「次の世代に、この苦しみだけは残したくないということが大きかったと思います。戦争が繰り返されないよう、みんなで生きていくのであればゆるしあうしかない。和解をするしかない。結局そこにたどりつきました。次の世代を作り上げていくため、安心して暮らせる社会を作るために、苦い薬ではありましたが、ゆるす、和解するという道を選んだのです」
「負の連鎖は、どこかで断ち切らないといけないのです。子どもたちに人を憎まない人生を伝えてほしい、ということ。子どもの中に敵対心を宿らせないでほしい。それが、本当に平和を作る方法だから」
ネットワーク報道部 記者
柳澤 あゆみ

2008年入局
秋田局、石巻報道室、国際部、カイロ支局などを経て2021年から現所属
国際部 記者
鈴木 陽平
2011年入局
鹿児島局、横浜局を経て2020年から現所属
国際部 記者
田村 銀河
2013年入局
津局、千葉局を経て2018年から現所属