【詳しく】「プーチン氏恐れるのは民主主義」米元駐ロ大使分析

プーチン大統領は、なぜウクライナへの軍事侵攻に踏み切ったのか。
その心理を読み解く鍵となるのが、プーチン氏と民主主義との関係だ。

ソビエト崩壊後のロシアの民主化について長年、研究を続ける世界的に著名なアメリカの政治学者で、オバマ政権時に駐ロシア大使を務めたマイケル・マクフォール氏に、プーチン氏の変遷から今後のプーチン政権崩壊の可能性まで詳しく聞きました。

プーチン氏は変わった?

《以下、マイケル・マクフォール氏》

プーチン氏は1999年、当時のエリツィン大統領に大統領代行に任命されましたが、当時は今と同じ世界観を有していたわけではないと思います。
彼の思考は、徐々に変化していきました。彼は今でこそ、ソビエトの崩壊に反対だったと主張していますが、崩壊後の10年間、崩壊に導いた人々のために働いていました。
当時は、欧米志向で市場原理に基づく考えを持ち、私たちは協力し合えると考えていました。
しかし2011年、当時、首相を務めていたプーチン氏は、アメリカの副大統領だったバイデン氏と会談し、「ロシア人は欧米の人々とは違う。異なる文化や歴史を有している」と述べ、欧米との違いを強調するようになっていました。
プーチン氏は、ロシア人はヨーロッパの人たちと異なると主張することで、ロシアをより独裁的な手法で統治することを正当化したかったのでしょう。
プーチン氏が民主的な志向から一夜にして独裁者になったというのは、間違いです。
時間をかけて、独裁者へと変わっていったのです。
そして、独裁的になればなるほど民主主義からの挑戦を受けるようになったのです。

どう変わっていった?民主主義からの挑戦って?

始まりは2003年、ジョージアで市民の抗議活動により、ソビエト崩壊後直後から最高指導者を務めていた大統領が辞任に追い込まれた「バラ革命」です。
次に2004年、ウクライナで大規模な抗議活動をきっかけに政権交代し、親欧州派の政権が誕生した「オレンジ革命」。
そして重要な局面となったのが2011年、中東各地で独裁的な政権が次々と崩壊した民主化運動「アラブの春」、さらには2012年のロシア大統領選挙を前にした市民の大規模な抗議活動です。
プーチン氏はアメリカがデモを組織し、反体制派に資金を提供したと非難しましたが、事実ではありません。
私たちは、民主主義そして民主化支援グループ、独立系メディアを支援していますが、CIA=中央情報局が政権転覆を図ったというのは、間違いです。
プーチン氏が強い恐怖を感じたのは、エジプトでもウクライナでもジョージアでもチュニジアでもなく、まさに足元のロシアで自身が率いる政権に対する大規模なデモが起きたことです。
そして、民主主義やその支持者に対し、病的なほどに疑い深くなりました。
そして、とどめの一撃が2014年、ウクライナで大規模な市民の抗議活動でロシア寄りの政権が崩壊した「マイダン革命」です。
プーチン氏は、「アメリカの支援を受けたネオナチによる政権奪取だ」と非難しています。

ウクライナをどう思っている?

プーチン氏は、ロシアとウクライナが別の国だとは思っていません。
長い歴史に言及し「ひとつの国」だったと説明しようとしています。
私は、これこそがプーチン氏が望むスラブ民族の統一国家をつくるという帝国主義的な野望の一部だと考えています。

軍事侵攻に踏み切った背景は?

背景には、ロシアとウクライナが「ひとつの国」だというプーチン氏の考えに問題が出てきたことがあります。
ウクライナが民主主義で、ロシアが独裁体制であるからです。
もし、ウクライナがロシアと同じ文化や歴史を共有しているにもかかわらず民主主義であり続けるなら、自身が率いるロシアという独裁体制にとって直接的な脅威になります。
そして、ウクライナが民主的になればなるほど、ロシアとの断絶は大きくなります。
だからこそ、彼は武力を使ってウクライナを取り込もうとし、民主主義を阻もうとしたのです。

プーチン氏は今後どう出る?

プーチン氏は当初、ウクライナの「非軍事化」と「非ナチ化」、つまり政権転覆のことですが、これを目指すと言っていました。
しかし、彼はウクライナの戦う意志と軍事力を過小評価し、ロシアの軍事力を過大評価していました。
彼が、首都キーウの制圧を諦めていないおそれはありますが、私はそれが可能だとは思いません。
このため、最終局面を調整しているのだと思います。
そして今、プーチン氏が考える最終局面とは、南部の全地域の制圧だと思います。
だからこそ、マリウポリへの攻勢を強めているのです。
そして、この南部をクリミアやドンバス地方と統合し、ウクライナの新しい国境について交渉を開始し、ウクライナを永久に分断しようと考えているのだと思います。
ただ、非常に困難な交渉で、ゼレンスキー大統領が受け入れるかどうかはわかりません。

プーチン政権はどうなる?

プーチン主義、つまりプーチン氏の政治システムの「終わりの始まり」となるかもしれません。
1970年代、ベトナムやラオス、カンボジアでマルクス・レーニン主義を掲げる政権が相次いで樹立されたあと、旧ソビエトのブレジネフ書記長が無理をして失敗したのと同じです。
アンゴラやモザンビーク、ニカラグアも旧ソビエト陣営に入り、ブレジネフ書記長はアフガニスタンの侵攻を決めました。
そして、それは意図せずして、ソビエトの「終わりの始まり」となりました。
ただ、プーチン主義を支持する人たちが、立場を強化する可能性も否定できません。
プーチン氏が権力の座から退いたあと、プーチン氏の取り巻きやロシアの人々が、プーチン氏のような人物を支持する可能性もあると思います。