「佐渡島の金山」世界遺産への道 元ユネスコ事務局長に聞く

「佐渡島の金山」世界遺産への道 元ユネスコ事務局長に聞く
地元の熱心な訴えもあり、ようやく国内推薦にこぎつけた「佐渡島(さど)の金山」。
悲願の世界遺産登録へ。今後、何が求められるのか。
“ユネスコを知り尽くした人物”、元ユネスコ事務局長の松浦晃一郎さんに聞いた。
(新潟放送局 記者 山下達也/ディレクター 一柳優美香)

「異例の注釈」

去年12月末。文化庁の審議会が「佐渡島の金山」を推薦候補として選定すると答申した。
悲願の国内推薦が近づいたかと思われたが、そこには「異例の注釈」が…。
「選定は推薦の決定ではなく、今後、政府内で総合的な検討を行っていく」
これまで審議会の答申を受け、政府が正式に推薦しなかったケースはなかっただけに、地元佐渡では、国内推薦は無事になされるのかという不安に包まれた。
その後も、韓国が、朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされた場所だと反発していることもあり、ますます、地元では不安が募った。

しかし、ことし2月1日。政府がユネスコに推薦書を提出。
政府・与党内には、韓国の反発も踏まえ、慎重な対応を求める声もあったが、岸田総理大臣は「けうな産業遺産として高い評価がある」として、新潟県などの要望どおりユネスコに推薦する方針を表明していた。

地元ではこの1か月、一部では諦めのムードも漂い始めていたので、いわば“逆転”の国内推薦決定だった。
こうした経緯があり、わたしたちは「世界遺産とはいったい何なのか」と考えるようになっていた。

「世界遺産に最も詳しい人は誰だろうか…」

そこで浮かんだのが、松浦晃一郎さん(84)。
元ユネスコの事務局長だ。

ユネスコを知り尽くした日本人

松浦さんは1999年から2期10年にわたり、ユネスコの事務局長を務めた。
しかも、アジアで初のユネスコのトップ。世界中を飛び回り、世界遺産の登録を目指す国々を支え、無形文化遺産を保護する条約の創設に尽力した功績もあった。
まさに“ユネスコを知り尽くした人物”だ。
その松浦さん、いまでも、世界遺産登録に向けて取り組む自治体や団体に助言をするため、全国を回り多忙とのこと。取材を依頼すると…。
元ユネスコ事務局長 松浦晃一郎さん
「10年以上前から佐渡の世界遺産登録に向けて協力してきたので。韓国のことも話した方がいいですか。話せることは話したいです」
3月下旬に新潟市でインタビューができることになった。

「佐渡島の金山」とは

佐渡の島内には55の鉱山がある。
江戸時代から400年間に金78トン、銀2330トンを産出。17世紀には世界最大級の金の生産地になり、佐渡の金はまさに世界経済に大きな影響を与えていたという。

世界遺産となるには、まずは「顕著な普遍的価値」が認められなければならない。
松浦さんによると、「顕著な普遍的価値」とは、平たく言えば、「誰が見ても、すばらしいと分かる世界的な価値」ということ。

そこで鉱山の範囲が限定された。
今回「佐渡島の金山」として世界遺産を目指すのは、
▼「西三川砂金山」
▼「相川鶴子金銀山」の2つの構成資産(=価値を具体的に証明できる資産)。
金の生産体制と生産技術に関して、鉱山と集落が遺跡として一体的に残っていることを強調した。

さらに時代の範囲も絞った。
今回の対象時期は「戦国時代末~江戸時代」。
遺跡の価値をより明確にするため、西洋諸国の鉱山と違う伝統的な手工業が発展した江戸時代までを対象にした。

インタビューではまず、「佐渡島の金山」の「顕著な普遍的価値」について尋ねた。
元ユネスコ事務局長 松浦晃一郎さん
「日本は鎖国時代に日本独自の手工業の技術を発展させました。そうした意味で、佐渡は日本の歴史だけでなく、世界の歴史の中でも非常にけうな存在です。金山としては、スペインにローマ時代の金生産の遺跡(『ラス・メドゥラス』)がありますが、それは非常に規模が小さく、佐渡のような大規模な金を中心にした世界遺産は現在、存在しません」

世界遺産委員会の決議

ここで疑問が湧き上がる。
対象期間が「江戸時代」までとなっているのにも関わらず、なぜ、世界遺産への登録が問題となりえるのか。

韓国は、戦時下、つまり「佐渡島の金山」の審査の対象ではない期間に「朝鮮半島出身の労働者が働かされた場所だ」と主張している。
こうした主張について、松浦さんの見解は…。
元ユネスコ事務局長 松浦晃一郎さん
「残念ながら『佐渡島の金山』にも悪影響を与える可能性があります」
松浦さんが懸念しているのは、「明治日本の産業革命遺産」をめぐって、去年の世界遺産委員会が採択した決議だ。
決議では、登録時に日本側に対応を求めた決議の多くの側面が順守されていることに満足しているとしたものの、いまだ十分には実施されていないことを強く遺憾に思うとしている。

そのうえで登録の際に日本が表明した歴史に関する展示をめぐり、
▼意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者らがいたことや、
▼日本政府の徴用政策について理解できるような措置などを求めている。

さらに、そこでは「フルヒストリー、つまり、遺跡の価値が認められる(顕著な普遍的価値に該当する)期間以外も含むすべての歴史の説明を求める」とも指摘されている。
こうした指摘に対して、決議が出された当時、外務省幹部は、NHKの取材に対し「わが国としては、これまで世界遺産委員会の決議や勧告を真摯に受け止めて、約束した措置を含め、誠実に履行してきており、今後とも、これらの決議・勧告を誠実に履行していくとの立場に変わりはない」と述べていた。

決議への日本の対応について、来年開かれるユネスコ世界遺産委員会で審議することになった。
松浦さんは、この審議が「佐渡島の金山」の世界遺産登録に影響を及ぼす懸念があると言うのだ。

来年のユネスコ世界遺産委員会で「佐渡島の金山」の登録の可否も決定されることになっているからである。松浦さんは、戦時下も含め、登録の対象ではない期間の歴史的事実もすべて説明すべきだとの認識を示した。
元ユネスコ事務局長 松浦晃一郎さん
「ユネスコでは『フルヒストリー』という言葉があります。推薦の対象期間の後ではあるが、金山で、どれくらいの朝鮮半島の人たちが働いていたのかも含めた『フルヒストリー』を正直に説明し、展示することで乗り切るべきです」
世界遺産委員会の審議は通例は「全会一致」で決まる(全会一致とならず、投票となった場合は3分の2以上の国の賛成で登録が決定)。

それは「人類全体の宝」という理念があり、すべての国の賛同=コンセンサスが求められているからだ。松浦さんは「全会一致」を得ることが大きなハードルになると話した。

書類審査と現地調査

世界遺産登録までには、地元でもいくつか乗り越えなければならない壁があるようだ。
日本政府がユネスコに提出した推薦書。その審査を進めるのは「イコモス」だ。ユネスコの諮問機関で、専門家によって組織されるNGOである。

イコモスの審査プロセスに詳しい国士舘大学の岡田保良名誉教授によると、登録までの道のりは1年余り。提出された推薦書をもとに、イコモスはすでに書類審査を始めていて、ことしの秋ごろには調査員が佐渡を訪れ、現地調査を行う。

その後、イコモスにパネル(審査会)が設けられ、最終的にイコモスとしての考えをまとめたうえで、来年5月ごろに評価結果を勧告するという流れだ。
国士舘大学 岡田保良名誉教授
「書類審査では、鉱山や歴史などの専門家が、『顕著な普遍的価値』をほかの事例と比較して適切に主張されているかなどを審査し、推薦書の出来栄えを判断する。一方で現地調査には、鉱山や日本の歴史に詳しい人は来ない。推薦書の内容にウソがないかを見極めるのが仕事。遺跡の価値が維持されているのか、将来にわたって価値が損なわれない保存、管理が行き渡っているかを確認する」
岡田名誉教授は取材の終盤、とある懸念を口にした。
「心配なのは『西三川砂金山』。その遺跡がどういう価値があるのか一般の人には分かりづらい。その価値を説明する施設が求められる。イコモスの現地調査員が相当厳しく見るだろう」

地域の課題1 かの太閤殿下も魅了した砂金だが…

西三川砂金山は平安時代の「今昔物語集」にも登場したと言われる佐渡最古の砂金山。
山を切り崩し、余分な土砂を大量の水で洗い流す「大流し」と呼ばれる独特な技法を用い、砂金を採取してきた。

戦国時代、かの有名な武将も目を付けていた。豊臣秀吉だ。
秀吉は越後の上杉景勝に佐渡の支配を命じ、西三川の砂金を納めさせた。

砂金山のふもとの笹川集落では、「笹川の景観を守る会」として住民たちが遺跡の保全活動などを続けてきた。
会のメンバーも、遺跡の価値が、歴史を知らなければ一見しただけでは分かりづらいと考えていた。

そのため、案内板の設置や観光ガイドの取り組みを行ってきた。しかし、集落でガイドはたった5人。来訪者への十分な対応は難しく、人材不足が悩みの種となっている。
笹川の景観を守る会 副会長 盛山保さん
「受け入れ態勢が完全に整っていないのが正直、不安。いつ登録されてもいいような態勢をつくるのは、いまは難しいが、来てもらう人にはできる限り対応したい」

地域の課題2 一過性のブームにしたくない

一方、気になるデータがある。
世界遺産登録後の来訪者数を経年で比較したものだ。
石見銀山や富岡製糸場など、一見しただけで遺跡の価値がわかりづらい場所では、リピーターが少なく、来訪者数が右肩下がりになる傾向があるとのこと。
数々の世界遺産を見てきた松浦さんは、このグラフをどう見るのか。
元ユネスコ事務局長 松浦晃一郎さん
「富岡製糸場は、明治の日本に初めて近代的な工場ができて、その工場の跡が残っているんです。そういう歴史的経緯を頭に入れてみないと、その価値がわからないんですね。観光客のなかには『あれ、なんで世界遺産なのかな』と思う人も出てくるわけです」

「金山の歴史的な流れや世界全体での位置付けを、きちんと説明できる態勢を整えなければなりません」
現在、相川金銀山のお膝元の地区では、遺跡をもつ地域全体としてPRしたいという思いから、住民が中心になり、ある計画を進めている。

少子化で増える空き家を使い、宿泊施設や飲食店といった来訪者の受け入れ施設にしようというのだ。
鉱山にほど近い、かつての労働者の寮などを利用して、宿泊施設や案内施設を整備。鉱山の暮らしぶり、歴史や文化を体感できる場所にしたいという。

活動を進める「相川車座」の代表の岩崎元吉士さんは「遺跡を放置せずに活用することは、守ることにもつながると思う。訪れた人に相川の魅力がより伝わってほしい」と意気込んだ。
元ユネスコ事務局長 松浦晃一郎さん
「しっかりとした保全は、その地域の方々がいちばん最初に責任を持たなければいけません。それには行政のバックアップも必要です。活用という点からは、国内外の人に遺跡とその歴史を理解してもらうことが大事です。その保全と活用をしっかりやることが重要」

世界遺産と平和 105歳 元金山従業員からのメッセージ

地元の人から、実際に鉱山で働いていたある女性の存在を知らされた。
書籍『佐渡金山』の著者、田中志津さん(105)だ。
田中さんは、今から89年前の昭和8年(1933年)、相川の高校を卒業し、佐渡鉱山で初の女性事務員として働いていた。
「世界遺産についてどう感じているのだろうか?」

ご高齢で直接の取材はかなわなかったものの、メッセージを寄せて頂いた。
そこには、世界遺産登録への願いが記されていた。
「当時は佐渡の金産出量も隆盛を極め、活気に満ちていた。そうした背景の中でおぞましい戦争を体験した。鉱山からも優秀な若者たちが、戦場に駆り立てられ、戦死で帰還する者も多かった。その家族は、泣き叫び、悲痛な声を上げていた。戦争の悲劇を間近で見つめながら永遠の平和を願った。限られた時間の中で、外交上・政治上などで諸問題はあるにせよ、生きている限り『佐渡島の金山』の世界文化遺産登録に熱い視線を送り続けたい」
(田中さんからのメッセージより一部抜粋)
金山で働いていた時代に戦争を体験し、平和を願った女性が、これほどまでに世界遺産に思いを寄せている。最後に松浦さんに「世界遺産に登録することの意義は何か」を聞いた。
元ユネスコ事務局長 松浦晃一郎さん
「ユネスコの第一の目的は戦争を防ぐことです。ユネスコ憲章の前文に『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない』とあります。世界遺産を通じて、国と国との間で誤解が生じないようにする。『佐渡島の金山』の登録によって歴史的な背景を諸外国の人にも理解をしてもらい、できれば現場を見てもらい、相互交流、相互理解を深めていかなければならないと思います」
本来、世界遺産というのは、世界の国々が争いをなくすためのもの。

私たちはこのことを心に刻んでおかなければならないと、取材を通じて感じた。
新潟放送局 記者
山下達也
2017年入局 警察や原発などを担当し、現在拉致や海上警備の問題を取材
新潟放送局 ディレクター
一柳優美香
首都圏局勤務を経て新潟局 地域の文化や自然をテーマに取材