ウィル・スミスさんの平手打ち 背景から考える笑いの力とは?

ウィル・スミスさんの平手打ち 背景から考える笑いの力とは?
アメリカ映画界で最高の栄誉とされるアカデミー賞の授賞式で、俳優のウィル・スミスさんが妻の容姿をからかうような発言をしたコメディアンを平手打ちにした一件。

賞を主催する団体は今後10年間、スミスさんが授賞式などに出席するのを認めないと発表しました。

暴力は決して許されませんが、一方で騒動のきっかけとなったコメディアンの発言を疑問視する声も。

それ、笑ってええの?

(ネットワーク報道部 杉本宙矢 松本裕樹)

人を傷つける“優越感”の笑い?

「それ笑ってええの?」

そう問いかけたのは、沖縄の海を背景に赤ふんどし姿で訴える「せやろがいおじさん」こと、お笑い芸人でYouTuberの榎森耕助さん。

公開した動画で、アカデミー賞での出来事は「人を傷つける笑い」だと批判しています。

この中で引き合いに出していたのが、17世紀のイギリスの哲学者トマス・ホッブズの“なぜ人は笑うのか?”という笑いの理論。
せやろがいおじさん
人を侮蔑するユーモアがおもしろい理由は、相手より自分が優れているという優越感を感じられるからっていう理屈なんやけど、性格悪すぎん?人間!しかもこれ300年前に提唱されたお笑い理論!いつまでやってんねん!(動画より)
どうしてこの動画を公開したのか聞くと、自身の経験を話してくれました。
僕自身もコメディアンとして過去にやったことがあるし、今でもふとした時にやっちゃうときはあるんです。お笑いは競争の現場というか、もうとにかく笑いが取れればいいっていう場の力学に飲み込まれることがあって、常に反省したり、誰かを傷つけていないかチェックしたりの連続です。
さらに会場で笑っていた人たちにも思うところがあったそうです。
授賞式の映像を見ると(周りから)すごい笑い声も起きてたんですよね。自分も誰かにばかにされて、すごい嫌な気持ちになったときに周りが笑ってて、その嫌な気持ちがさらに惨めな気持ちに変わっていくみたいな体験があって。場合によっては笑うことも加害になりうるんじゃないかなって。
笑わせる人も笑う人も、超えたらあかん「笑いのライン」を考えてみてもええんちゃうかな

そもそも何が起きたのか?最高の栄誉の場でなぜ?

発言の主はことしのアカデミー賞でプレゼンターを務めたクリス・ロックさん。政治や社会問題などを風刺する「スタンダップコメディ」と呼ばれる話芸が人気のコメディアンです。
騒動となった発言は、ロックさんが授賞式を盛り上げようと会場に集まった俳優たちを一人一人ちゃかしていく、一連のトークの中で飛び出しました。

主演男優賞にノミネートされていたウィル・スミスさんの妻で、俳優のジェイダ・ピンケット・スミスさんに向けて、かつて大ヒットした映画『G.I.ジェーン』の続編への出演を期待するようなことばを投げかけたのです。

この映画は主人公の女性兵士が髪を刈り上げて過酷な訓練に挑む物語。ジェイダさんは以前から脱毛症に悩まされていることを告白していて、授賞式には短髪で出席していました。

ロックさんがそのことを知ったうえで話題にしたのかどうか分かっていません。
会場が笑いに包まれる中「(今のジョーク)いけてたでしょ?」と言うと、スミスさんにほおを平手打ちにされ、会場は一転して気まずい空気に包まれました。

スミスさんはそのあとの受賞スピーチで涙ながらにこう訴えました。
この仕事をしていれば、暴言を浴びることもあれば、おかしなことを言われることもあります。無礼なふるまいに接することもあります。それでも笑って平然としていなければいけません(中略)私にもクレイジーな父親がいました。ちょうどリチャード・ウィリアムズ(主演男優賞を受賞した役)のような。愛は人にクレイジーな行動をさせるものです。アカデミー、ご出席の皆様、候補者の皆様に謝罪します。
そしてロックさんに対してもSNSで謝罪しました。

アカデミー賞の主催団体はスミスさんを処分する一方で、ロックさんの発言については言及していません。

やろうとしたのは“価値の転倒”?

アカデミー賞はなぜロックさんの発言を問題視しなかったのか?その疑問を解くヒントとなりそうな“笑い”の力について、日本女子大学の木村覚教授が教えてくれました。

木村教授はお笑い論を研究し『笑いの哲学』という著書もあります。

キーワードは「価値の転倒

笑いには私たちが当たり前に感じている価値観を変える力があり、ロックさんはその笑いをやろうとしたのだというのです。
あの場に集まっているのは、映画スターたちあるいは映画関係者たちで、一種のセレブリティっていうか社会的に地位を持った人たちですよね。一般的には“成功者”と考えられている人たちが、いじり・ちゃかしによって、その地位をひっくり返される。笑いにはそういう“既存の価値を転倒する力”があって、会場の人たちはそのムードの中に遊んでいたというふうにも見られるわけです。
アメリカのコメディアンっていうのは、人々が支配されすぎないようにタブーにあらがって笑いをとっていく傾向が非常に強いです。正しいとか美しいとか醜いとか、私たちを束縛してくるような価値観に対して、笑いがその“掟”(おきて)を切り崩していくということを強く意識している。なので今回のクリス・ロックのパフォーマンスも基本的には、ジョークとして受け取ることが非常に重要だと、すべての人かどうかは別として、ある一定の人たちは思っているんじゃないでしょうか。
アメリカで重視されるという「価値を転倒」させる笑い。それが今回はうまくいかなかったのだといいます。
ジェイダさんは脱毛症に悩んでいるという意味では、病を抱えた弱者でもある。今の時代、セレブリティが自分の弱さや多様性を公表し、隠さないことでむしろファンに共感を与えることもあるわけです。

それが今回の出来事をややこしくしていて、(彼女が)強者だと思うから、クリス・ロックはそれを「価値転倒」させようとするんだけれど、ジェイダさんからすると、自分の髪についてからかわれたという弱者の立場で受け止めてしまう。となると、ウィル・スミスは簡単には黙っていられなくなってしまう。

そういう多様性の時代の出来事だと見ています。

騒動が私たちに突きつけているものは

強者が弱者になったり、弱者が強者になったりする多様性の時代。

そう考えると笑うことが難しくなってしまいそうですが、木村教授は、笑われた人が傷つくかどうかは何を笑われたかではなく、相手との関係性や社会のあり方によって変わるといいます。
例えば中高年のネタを中高年に向けて言って笑わせる漫談家の綾小路きみまろさん。人々は自分たちが笑われているにもかかわらず、時にはわざわざお金を払って笑われにきています。またタレントの毒蝮三太夫さんはラジオ番組で商店街のおばあさん、おじいさんたちに会いに行って「元気か、クソババア、クソジジイ」とか、ふだん口にしちゃいけないと思われるような言い方をします。でもそれを言われた側は喜んで受け止めている。
そうした笑われることが心地よい空間というのがあります。毒蝮さんはそれを「快適空間」と呼んでいて、まるでみんなで温泉につかっているようだという。信じられないような話ですが、これは要するに「」があるんだと思うんですよね。お互いがお互いを信頼し合っていて、むしろどんなことを言っても絆はゆるがない。この「クソババア」なんていう一見してネガティブなことば、悪口が反転する可能性というのを忘れないでいることが非常に重要だと思っています。
木村覚教授
私の授業を聞いたある学生が、へまをしたときに家族に笑われてなんだかほっとしたという経験を話してくれたことがあります。大事なのはそこです。信頼する人との間なら成立するような”笑われてもいい関係”をどうやったら作れるのか?

どうやって社会の中で笑われてもいい空間を見つけられるのか?

むしろこのことこそ、今私たちが考えるべき事なんじゃないかと思います。
笑ったり、笑われたり、笑わせたり。

そのたびに愛や信頼関係が確かめられる笑いだと、素敵ですね。