WEB特集

「バスが来ました」小さい手のリレー

目が見えない男性の背中に添えられた小さな手。
長年、バスで通勤する男性の乗り降りを、登校中の小学生たちがサポートしてきました。

10年以上続く「小さい手のリレー」
その親切のバトンは今もつながり続けています。

(和歌山放送局・植田大介)

「もう仕事辞めようかな」

和歌山市の山崎浩敬さん(60)
耳から聞こえてくる音と杖を頼りに生活しています。
勤め先まではバスで通勤しています。
山崎さんが目の病気を患い、視力を失い始めたのは35歳のころ。
道路の溝や、車の音。それまで気にならなかったことが大きな負担となりました。

バスに揺られて職場にたどりついた時にはもう、くたくた。
仕事にも嫌気がさしていました。
山崎浩敬さん
「一時、やっぱり目が見えなくなった時、荒れてた時期があるんですよ。いちばん仕事とかバリバリやれる時期にできなくなってしまってるんで。もう仕事も辞めようかなと」

「バスが来ました」

そんなことばかり考えていた、ある朝。
山崎さんはいつものように停留所でバスを待っていると、女の子の声がします。
「バスが来ました」
腰の辺りには、小さな手の感覚。
女の子がそっと腰を押しながら、バスの入り口まで案内してくれたのです。

山崎さんと同じバスを待っていた和歌山大学教育学部付属小学校に通う児童でした。
山崎浩敬さん
「一人で乗るのとは、もう全然、安心感が違いますし、感動しましたね」
その日から、山崎さんと女の子の交流が始まりました。
「おはようございます」
「おはよう。きょうは学校で何をするの」
「水泳。でも泳ぐの苦手なの」
車内では学校での出来事について教えてくれます。
きょうはどんな話をしようかな。
あんなに嫌だった通勤時間は、気付けば幸せな一日の始まりになっていました。

小さい手のリレー

しかし月日は流れ、女の子は小学校を卒業。
「また一人で通勤か」そう思っていると、声が聞こえます。
「バスが来ました」
背中に、再び小さな手のぬくもりを感じます。
山崎さんと女の子の登校を見ていた、下級生の女の子でした。
見よう見まねでサポートしてくれたのです。
それだけではありません。バスの車内にも変化を感じました。
山崎浩敬さん
「最初は気付かなかったんですけど、男の子が何も言わずに席を立って譲ってくれたり、運転手さんが段差があると教えてくれたりしてたんですよ」
子どもたちがみずから始めた「小さい手のリレー」は10年以上、引き継がれてきました。

山崎さんとの交流で生まれた夢

5年前、小学校に入学したころから、サポートを続けてきた河島香音さん。バス停での待ち時間、そして一緒にバスで移動する合わせて20分間の交流を、河島さんは楽しみにしていました。

土日に出かけたところの話や、運動会のこと、得意な勉強のこと。河島さんの話を山崎さんはいつもじっくり聞いてくれます。

目が見えない山崎さんの気持ちになって考えようと、目をつぶって歩いたことも。怖くてどこに進めばいいか分からず、支えることの大切さを知りました。
そして何より、山崎さんからかけられる「ありがとう」の声が励みになり、困っている人たちを助けたいという夢を持つようになりました。
河島香音さん(6年生)
「自分が人助けをすることで困っている人を笑顔にできるのもとてもうれしく思ったし、体の不自由な人を見たら助けられる大人になりたい」

コロナで一時は途絶えたけれど

子どもたちとのかけがえのない時間。しかし、新型コロナの影響が「小さい手のリレー」にもおよびます。

山崎さんが時差出勤で通勤時間を遅くしたため、バスの時間帯がずれてしまったのです。

コロナ禍では、人と人との距離を取るよう呼びかけられ、会話も控えるよう求められることが増えました。

それでも小学生たちは、一緒にバスに乗りたいと思っていました。

2人のお姉さんからバトンを引き継ぎ、山崎さんを支えてきた西前友雅さんも、再会できる日を心待ちにしていました。
西前友雅さん
「おじちゃんとバスに乗れるようになったら押したりして、活躍できるようになりたい」
去年9月、1年半ぶりに山崎さんの通勤時間が元に戻りました。

再び一緒のバスに乗ることができました。西前さんは早速うれしさを伝えていました。
西前友雅さん(4年生)
「また山崎さんとバスに乗るのが楽しみだったのでうれしいです。目の不自由な人を頑張ってサポートしたいです」
山崎浩敬さん
「久しぶりに温かい小さな手が腰にあたり、安心してバスに乗ることができました。停留所での子どもたちとの会話が通勤の楽しみです。たくさんの小さい手が僕を守ってくれ、生きがいを与えてくれました」

「あかんわ、やっぱり」

ことし3月。60歳の山崎さんは定年を迎えました。
節目に合わせて、これまで支えてくれた子どもたちにお礼を言いたい。
山崎さんは終業式で流すメッセージ動画の撮影に臨みました。
山崎浩敬さん
「バスで皆さんの声を聞くと、とてもうれしくて元気がもらえました。きょう皆さんと最後のバスになったかと思いますけれども、とっても寂しい気持ちでいっぱいです」
しかし、それまでスムーズに話していた山崎さん。突然、言葉に詰まります。そして、目元を押さえて…
「………ちょっとタイムね。あかんわ、やっぱり」
そんな山崎さんの思いを載せて完成したメッセージ動画。終業式で子どもたちは目をはなさず、じっと耳を傾けていました。
山崎浩敬さん
「皆さんの先輩が始めてくれた小さな親切のおかげで、目が見えなくなっても仕事を続けることができました。街の中で困っているお年寄りや障害のある人を見つけた時はこの小さな親切を思い出して、助けてあげて下さい。本当にありがとうございました」
山崎さんからの心のこもったまっすぐなメッセージ。最初の一歩を踏み出し、そして続けていくことへの大切さ。子どもたちにもしっかり届いたようでした。
河島香音さん
「障害のある人がすごくつらい思いをしていると自分もわかることができました。山崎さん以外の人を見た時もサポートできるようになりたい」

小さい手のリレーを広めたい

「小さい手のリレー」のエピソードは広がり、今、絵本作りが進められています。タイトルは「バスが来ましたよ」

子どもたちと山崎さんの交流が優しいタッチで描かれています。
いちばん力を入れたのは、そっと腰にあてた小さな手です。
絵本作家 木村美幸さん
「本当に身震いがきたというかこれは絶対、絵本にして、自分で書いてみたいっていう衝動がすごくあって」
絵本画家 松本春野さん
「絵本を読んだ人がこの手を思い出せる。困っている人に手を差し伸べるときのイメージとして小さな手が思い出されたらいいな」
「読んだ人に親切な気持ちが広がっていってほしい」
そんな思いが絵本には込められています。
現在、制作中の絵本
絵本のモデルになった山崎さん。子どもたちとの交流について書いた作文には、こんな言葉がつづられていました。
山崎浩敬さん
「この子どもたちが私を通じて何かを知ってくれたかな、学校の勉強でない何かを学んでくれたかな、と毎日、通勤で温かい小さな手と共に感じております。誰かに教わるのではなく、誰かがはじめた親切、それを見ていた周りが、何も言わないのにやってくれる。なんてすばらしい国なんだ、と感じております」

子どもたちからのプレゼント

3月31日。定年退職の日。
バスを待っていた山崎さんの近くに、春休み中の子どもたちが寄ってきました。手には手作りのメッセージカード。

バスを待っている間に、子どもたち一人一人が読み上げていきます。
河島香音さん
「山崎さんとバスが来るまでの間、学校の話や日常生活の中でのお話を一緒にできてすごく楽しかったです。もうバス停でお話しすることはなくなってしまうかもしれませんが、休日などに山崎さんを見かけたらあいさつしに行きます。ありがとうございました」
丸い紙に書かれたメッセージカードは首からかけられるようになっていて、まるでメダルのようでした。部屋に大切に飾られています。
山崎浩敬さん
「メッセージを読んでくれてめちゃくちゃうれしかった。大切な宝物です」
実は山崎さん、定年退職後も再雇用が決まり、再びバスで通勤することになりました。
あたたかな小さい手のリレーは、これからも続きます。

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