藤子不二雄Aさん死去 ゆかりのあった人から悼む声

日本を代表する漫画家で「忍者ハットリくん」や「怪物くん」など数々の人気作品を手がけた藤子不二雄Aさん、本名 安孫子素雄さんが亡くなりました。88歳でした。
死去を受けて、交流のあった人など各界から悼む声が上がっています。

(※「藤子不二雄A」さんの「A」は○の中にAです)

トキワ荘で交流のあった漫画家 水野英子さん「とても寂しい」

昭和33年にトキワ荘に入居し、藤子不二雄Aさんとも交流のあった、漫画家の水野英子さんは「大変ショックです。今までお元気で活躍していらっしゃったので、思いがけないことでした。トキワ荘ではもの静かなお兄さんという印象で、赤塚不二夫さんたちと部屋で楽しそうに雑談をしている姿を覚えています。数年前にパーティーでお目にかかって以降、コロナ禍で会うことができず残念です。トキワ荘で中心的に活躍した人が亡くなったことはとても寂しいです」と話していました。

トキワ荘時代から親交 鈴木伸一さん「長く読みつないで」

藤子不二雄Aさんとトキワ荘時代から親交があったアニメーション作家の鈴木伸一さんは、藤子さんの訃報を受けてコメントを出しました。

それによりますと「訃報はニュースで知りました。4~5日前に彼に電話で会おうと誘ったところ、その時は『予定が入っているから』と断られてしまい、翌日彼から電話で『またいっしょにメシでも食おう』と言われて電話を切ったのが最後になってしまいました。謹んでお悔やみを申し上げるとともにご冥福を心からお祈り致します」としています。

また、出会いを振り返って「彼とはトキワ荘で出会ってから、もう60年以上の付き合いになります。私は途中でマンガからアニメの世界に移ってしまいましたが、それからもいっしょに旅行したり、野球をやったり、スタジオゼロというアニメ会社を立ち上げて『怪物くん』のアニメなんかも作りました。彼とは長い付き合いですが、ケンカもせずに、会ってはバカな話ばかりをして、楽しい思い出しかありません。トキワ荘時代に結成した『新漫画党』のメンバーも、藤子F氏、石ノ森氏や赤塚氏と他のメンバーがどんどんいなくなり、私と藤子A氏とつのだ氏を残すだけとなっていたのですが…。とにかく、いまは寂しい気持ちでいっぱいです」と今の気持ちを語っています。

そして「彼が描いたたくさんの漫画を読んでいただければ彼も喜ぶと思います。ぜひ皆さんで長く読み繋いでください」としています。

漫画家からツイッターに追悼の声

ツイッターでは藤子さんを慕う漫画家たちから死を悼む声が相次いでいます。

漫画家の村田雄介さんは「『藤子不二雄ランド』の単行本にはセル画がついていた。『アニメってこういうので作られてるのか』と初めて知った。漫画の素晴らしさはもちろんのこと、アニメの作り方にも同時に興味を抱かせてくれたことは僕にとって大きかった気がします。藤子A先生、ありがとうございました。合掌。」と、藤子さんの死を悼むメッセージを投稿しました。
漫画家の伊藤潤二さんは「藤子不二雄A先生の御冥福をお祈りいたします。『魔太郎がくる』『まんが道』など愛読させていただきました。双一の髪型は魔太郎の影響です。」などと、漫画に影響を受けたと書き込みをしています。
漫画家の江口寿史さんは「藤子不二雄A先生。F先生と再会してるかな。」と投稿し、コンビを組んでいた藤子・F・不二雄さんの名前も挙げて哀悼の意を示していました。

ファンで親交あった中川翔子さん 「突然すぎてショック」

幼い頃から藤子不二雄Aさんの作品のファンで、実際に親交があったという、タレントの中川翔子さんは「わくわくするファンタジーを描いた作品もたくさんあるが、人間の欲望や闇といった怖い部分をかわいいタッチで描いてくれるところが大好きで、ブラックユーモアの短編集は小学校に入る前から読んでいました。また、上京して挫折を味わいながら夢をかなえていく姿を描いた『まんが道』は、子どもの頃から自分が落ち込んだときに繰り返し読みました。先生の作品は地球が回り続けるかぎり、世代を超えて輝き続けると思っています」と作品への思いを語りました。

中川さんは、数年前から藤子不二雄Aさんと実際に親交があったということで「作品は怖かったり、奇妙だったり、人間のブラックな部分も描かれていますが、ご本人は快活で明るく、あらゆることを楽しむ天才でした。新型コロナウイルスが流行する前には、よく一緒に飲みに行き、お酒を飲みながらコースターに喪黒福造の絵を描いてプレゼントしてくれました」と振り返りました。

そして「先月の先生の誕生日にも『しょこたんによろしく』と編集部の方を通じてご自身の写真を送ってくれて、とてもお元気そうでした。コロナが落ち着いたらまた飲みに行きたいなと思っていたので、あまりに突然すぎて、時が止まってしまったようなショックを受けています。先生のいない世界になるなんて信じられません」と死を悼みました。

若き日を過ごした「トキワ荘」でも惜しむ声 東京 豊島区

藤子不二雄Aさんは、手塚治虫さん、石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さんなど、日本を代表する漫画家たちと東京 豊島区のアパート「トキワ荘」で若き日をともに過ごしました。

トキワ荘を復元した「トキワ荘マンガミュージアム」では、7日、藤子さんの訃報を受けて、訪れた人から惜しむ声が聞かれました。

小学5年生の娘と訪れた40代の男性は「自分がちょうど娘の年くらいのときに初めて『まんが道』を読んだときに、すごく面白くて夢中になった記憶があるので、娘に読ませてみたら気に入ってくれたので、訪れました。きょう亡くなるとは思ってもみませんでした」と話していました。

40代の会社員の女性は「『笑ゥせぇるすまん』など社会を風刺した考えさせられる作品が印象的で、本当に残念です。レジェンドの先生が亡くなってしまうのはさみしいですが、これからも読み続けたい」と話していました。

豊島区文化商工部の熊谷崇之担当課長は「急な訃報に大変驚いています。藤子不二雄A先生の企画展も開催したいと考えていたところだったので、残念な気持ちでいっぱいです。先生が愛されたトキワ荘やその文化について今後も伝えていきたい」と話していました。

一方、以前、藤子さんが訪れていたトキワ荘の近くにある中華料理店「松葉」の店主の山本麗華さんは「訃報にびっくりしました。とても残念です。いつもラーメンとギョーザとビールを注文していて『貧しかった昔、すごく頑張って描いていた』と話していたのを覚えています」と話していました。

出身地の富山 号外配られる

藤子不二雄Aさんの出身地の富山県では、富山市のJR富山駅で7日午後2時半から地元の新聞社「北日本新聞」が藤子不二雄Aさんの死去を伝える号外を配りました。

号外を受け取った75歳の女性は「ファンだったのでショックです。作品のキャラクターがかわいくて孫も好きだったので悲しいです」と話していました。

29歳の男性は「いくつかの作品を読んだことがあるので悲しいです。いい作品を作っていただき、ありがとうございますと伝えたいです。安らかにお眠り下さい」と話していました。

74歳の女性は「びっくりしました。昔は漫画やアニメは子どもが見るものとされていたのが、いまや日本の文化になりました。その先駆者だったと思います。県の誇りです」との声が聞かれました。

中学時代の同級生「クラスの人気者でした」

中学時代の同級生からも悼む声が聞かれました。

富山県高岡市の旧制高岡中学校で同じクラスだったという高田政公さん(88)は「びっくりしました。さみしい思いです。もう一度会いたかったです」と突然の死を悼みました。

ともに過ごした中学時代をふり返って「藤子さんは当時、斜め前の席に座っていました。黒板一面にチョークで絵を描いて、私たちからは喝采を受けていましたが、先生にはよく叱られていました。生真面目な性格でしたが、冗談を言うおもしろい人で、クラスの人気者でした」と懐かしんでいました。

出身地の富山 氷見市でも悼む声

藤子不二雄Aさんの出身地の富山県氷見市では、これまで藤子さんの協力を得ながら、漫画キャラクターを生かしたまちのにぎわい作りに取り組んできました。

市内には、決まった時刻になると人気作「忍者ハットリくん」のキャラクターたちが現れて次々と水鉄砲を披露するからくり時計があり、子どもたちに人気です。

またJR氷見駅からおよそ1.8キロにわたって通称“まんがロード”が整備され、人気キャラクターのモニュメントや絵などの作品が彩りを添えています。

藤子さんの訃報を受けて、市民からは悼む声が聞かれました。

石川県から氷見市の実家に帰省中の30代の女性は「子どもが『怪物くん』の歌が好きで、よく歌ったり、モニュメントと一緒に写真を撮ったりしています。多くのすてきな作品を作ってくれてありがとうと伝えたいです」と話していました。

市内の80代の女性は「訃報を聞いて驚きました。まちの発展にも関わってもらって、私たち市民の誇りです。ありがとうございました」と話していました。

商店街でソフトクリーム店を営む女性は「藤子さんは、ここのソフトクリームを食べるのが楽しみだと言ってくれていたそうで、うれしかったです。モニュメントはずっと残るので、いつまでも氷見市を見守ってもらいたいです」と話していました。

富山 氷見 生家のお寺「安らかにお休みください」

富山県氷見市にある光禅寺は、藤子不二雄Aさんが小学5年生まで過ごした生家です。

山門をくぐると「忍者ハットリくん」や「怪物くん」など人気キャラクター4体の石像があり、寺院の中には藤子さんが漫画家の手塚治虫さんから譲り受けた机や藤子さん本人の色紙や作品が展示され、多くのファンが訪れます。

光禅寺の住職で、藤子さんのおいの菊池耕一さんは「ことし3月に米寿を迎えたお祝いとコロナのお見舞いで1週間前に電話で話をしたばかりです。急なことでびっくりしています」と話していました。

そして「優しくて明るくて気さくな人で、寺に来た時に大好きな鍋焼きうどんと煮物を出すと喜んでいました。長い間、漫画道を頑張ってこられたので、安らかにお休みくださいと伝えたいです」と話していました。

川崎 自宅の近所の住民「作品は受け継がれる」

川崎市にある藤子さんの自宅の近所に住む人たちからは、亡くなったことへの驚きと、悼む声が聞かれました。

40代の女性は「数か月前、自宅でタクシーを待っているのを見ましたが、元気そうに見えました。夫が大ファンです。ニュースで亡くなったと聞き、驚いてことばが出ないです」と話していました。

50代の女性は「先生の作品で育ってきて、子どもも大好きだったので、残念です。これからも作品は受け継がれると思います」と話していました。

松野官房長官「世代超えて愛されるすぐれた作品を生み出された」

松野官房長官は、午後の記者会見で「半世紀以上の長きにわたり数々の児童漫画を制作されるとともに、大人向けの独創的な作風の優れた漫画も発表され、2008年には旭日小綬章を受章された。戦後日本を代表する漫画家のひとりとして、世代を超えて愛されるすぐれた作品を生み出された藤子さんのご逝去に、心から哀悼の意を表したい」と述べました。