【詳しく】そもそもNATOとは?なぜウクライナは加盟できない?

ウクライナの軍事侵攻に踏み切ったロシア。プーチン大統領が強く反発し続けているのが、NATOとウクライナの接近です。激しい戦闘が続く中、「NATOの軍事活動が危険をもたらしている」などと非難を繰り返しています。

そもそもNATOとは一体どんな組織なのでしょうか?プーチン大統領はなぜNATOにこだわるのでしょうか?ウクライナはなぜNATOに加盟できないのでしょうか?

専門家とともに背景をひもとき、NATOにまつわるさまざまな疑問を詳しく解説します。

NATOはなぜ設立された?

もともとは「ソビエトに対抗するために生まれた軍事同盟」です。

正式名称:北大西洋条約機構
(NATO:North Atlantic Treaty Organization)
設立:1949年
本部:ベルギーのブリュッセル
当初の加盟国:12か国
現在の加盟国:30か国 ※記事末に一覧あり
日本との関係:日本は加盟国ではないがパートナー国
第2次世界大戦後、世界は旧ソビエトを中心とした社会主義諸国=「東側」と、欧米を中心とした資本主義諸国=「西側」に分断。政治や経済、それに社会体制に対する価値観の違いをめぐって激しく対立していました。

西側が「NATO」、東側が「ワルシャワ条約機構」という軍事同盟を結成し、両陣営が直接の武力衝突を伴わず、にらみ合いの続く「冷戦=冷たい戦争」と呼ばれる時代が続きました。

NATOの本来の任務は“集団防衛”でした。

実際に、ある加盟国に対する攻撃があった場合には、その攻撃を同盟全体への攻撃とみなして、攻撃された国を同盟国が援助する体制を築きます。

これが「集団的自衛権」の行使と呼ばれています。ただ、「冷戦」と呼ばれるように、実際に集団的自衛権が行使されることはありませんでした。

1991年、ソビエトの崩壊とともに東側のワルシャワ条約機構は解体されました。

ロシアが警戒するNATOの“東方拡大”って何?

ここからはロシアの外交・安全保障政策に詳しい笹川平和財団の主任研究員、畔蒜泰助(あびる・たいすけ)さんの話を元に解説していきます。

ワルシャワ条約機構の解体後も、NATOの方は存続。

その後、「東側」だった東欧諸国の多くがNATOへの加盟を望むようになったといいます。

一党独裁の体制をとっていた東欧諸国が次々に独立し、民主化への道を模索し始めていたのです。

NATOに加盟すれば、民主主義諸国の一員と認められ、安定した経済成長を望むことができるという思惑からでした。
実際、1999年にポーランド・チェコ・ハンガリーが、2004年にバルト3国などが正式に加盟するなど、NATOの“東方拡大”が進みました。

こうした動きに対して、ロシアは警戒感を強めていきます。

かつてナチス・ドイツなど西側から陸上を通って攻め込まれてきた歴史があるためです。

このため、東欧諸国を武力衝突を回避するための“緩衝地帯”だと考える意識が強く、そこへNATOが接近することを嫌がるのだと畔蒜さんは指摘しています。

なぜウクライナは加盟できない?理由1

ウクライナでは、アメリカ寄りの政権ができるとNATOの加盟に積極的となり、NATOの側も2008年にルーマニアの首都ブカレストで開かれたNATO首脳会議で「ウクライナの将来的な加盟を支持」しています。

しかし、現在のゼレンスキー政権の強い希望にもかかわらず、NATO加盟は難しい状況です。

畔蒜さんはその理由を大きく2つ挙げています。

1つ目は、ウクライナの政治体制が、NATOが求める民主主義体制の基準を満たしていないという加盟国からの指摘です。

ウクライナは財閥と政治家の癒着がはびこり、根深い汚職体質を脱却できていないと長年指摘されてきました。
畔蒜泰助さん
「すでに冷戦後のNATOというのは単なる軍事同盟ではなくて、やっぱり政治的な実態、それから資本主義的な自由度とか、汚職の問題とか、そういう西側のスタンダードに近づいた政治制度や経済の仕組みとかを共有できるところまで来ないと加盟できないっていうのが大原則なんですね。だから加盟が支持されても、実際にはすごい時間が必要なんです」

なぜウクライナは加盟できない?理由2

2つ目として、より重要なのは、ロシアを刺激したくないという加盟国の思惑です。

フランスやドイツなどは、ウクライナが加盟すればロシアがヨーロッパ全体の安全保障を脅かす軍事行動に出るおそれがあるとして、これまで一貫して否定的な姿勢を見せているといいます。

「本音のところでは、ウクライナの加盟問題はロシアにとってめちゃくちゃセンシティブな問題だとわかっているからやらないんですね」
それでも一度「将来的な加盟を支持する」と約束した建て前もあり、NATOはウクライナに対して「自衛する能力を高めるための支援」として、軍の組織改革の支援や訓練を通した人材育成、さらに加盟国による兵器の供与などを行ってきました。

ロシアはなぜNATOに反対?

畔蒜さんは、NATOが他国の紛争に介入するようになったことが、ロシアとの関係を悪化させる一因になったと指摘しています。

ソビエト崩壊後、ヨーロッパにおける安全保障上の脅威のあり方が大きく変わります。

紛争や内戦の悪化などで通常の国家機能が維持できなくなる国、いわゆる「破綻国家」と呼ばれる国々が目立つようになります。

NATOは「破綻国家」の紛争に介入する「危機管理」に新たな存在意義を見いだしていくのです。

象徴的な事例が「コソボ紛争」です。
旧ユーゴスラビアのセルビアの自治州だった「コソボ」では、1990年代後半、人口の大半を占めるアルバニア系住民がセルビアからの分離独立を求め、これに反対するセルビアとの間で激しい武力衝突が勃発。

セルビアによる一般市民の大量虐殺「ジェノサイド」があったという批判が高まると、NATOは「人道的な危機を食い止める」として、1999年、初めて国連の安全保障理事会の決議を経ることなく、セルビアの軍事施設などに大規模な空爆に踏み切りました。

安保理ではロシアが反対していました。

「国連安保理で採決されるのは理想だけれども、もうそれができないのであれば、人道的な危機を食い止めるため決議を待たずにNATO独自の判断で軍事介入に踏み切る。その最初の例が、コソボへの“人道的介入”だったわけです。このときは事実上ロシアを無視する形で強行したわけですね」

ロシアもNATOに入りたかった?

ただ、畔蒜さんによると、ソビエト崩壊直後のロシアはNATOを「敵」とみなさず、“東方拡大”にも正面切っての反対はしていなかったといいます。

プーチン大統領も就任当初はNATOに対して、否定的な感情をもっていたわけではなく、一時期はアメリカのクリントン大統領に「ロシアはいつNATOに入れるのか?」と尋ねたこともあったといいます。

しかし、その後米ロ関係が悪化するとプーチン大統領は2007年、ドイツのミュンヘンでの演説で、初めてNATOの拡大について公で批判し、反対の姿勢を明確にするに至ります。

ロシアの正当化は、NATOのまね?

「ウクライナ東部でジェノサイドがあった。ロシアはそれを守るために人道的に介入する。それから独立国家を承認する」

ロシアは、ウクライナへの軍事的な“介入”にあたって、こうした主張を続けています。

これについて、畔蒜さんは「かつてNATOが使ったロジックの“まね”」だと指摘し、今回ロシアは、当時NATOがコソボで行った“人道的介入”の論理を乱用しているとしています。

「ロシアが開き直って今言っているのは『NATOが同じことをやってきたじゃないか、なんでわれわれだけ非難するのだ、あなたたちも同じことやってきたでしょ』と。コソボの時のロジックのまねをしているわけです」

NATOはなぜ今、軍事介入をしないのか?

畔蒜さんは
1 アメリカの力が衰えていること、
2 ロシアが核保有国であること
をあげています。

「一つ大きな時代の変化として、アメリカがもはや冷戦直後とは異なり、圧倒的な軍事力を失い、軍事介入の意思を失っていると思います。一極的な“世界の警察官”の役割はすでに放棄しています。また、ロシアが当事者の紛争に介入するってことは、総兵力90万人の軍事大国ロシアと真っ向から対じすることになりますし、エスカレートすれば間違いなく核戦争になる可能性がある。そこがコソボのときとは違うんです」

NATOは「ウクライナの人々への支援を続ける」として、武器の供与や人道支援などは強化していく考えを示す一方、ウクライナに軍の部隊を派遣しないことを明確にし、軍事力をともなう直接的な介入を当初から行わない姿勢を貫いています。

どうして事態はここまで深刻になった?

畔蒜さんは、今回の紛争について最も非難されるべきはロシアであると指摘したうえで、事態がここまで深刻になった一因を、NATOを中心とした冷戦後のヨーロッパの安全保障体制の構造にもあると分析しています。

「何が根本的な問題かといえば、ロシアを排除した形での安全保障の意思決定のメカニズムが続いてしまっていることです。今回問われているのは、単なるウクライナの問題だけでなく、中長期的なヨーロッパの安全保障秩序全体です。これを解決していかなければ、また将来同じようなことが起こるのではないかと思います」

NATO加盟国 全30か国一覧(加盟順)

1949年:アイスランド、アメリカ、イタリア、イギリス、オランダ、カナダ、デンマーク、ノルウェー、フランス、ベルギー、ポルトガル、ルクセンブルク(原加盟国12か国)
1952年:ギリシャ、トルコ
1955年:ドイツ(当時「西ドイツ」)
1982年:スペイン
1999年:チェコ、ハンガリー、ポーランド
2004年:エストニア、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア
2009年:アルバニア、クロアチア
2017年:モンテネグロ
2020年:北マケドニア