“私の武器はタクト” ウクライナ人指揮者の決意

“私の武器はタクト” ウクライナ人指揮者の決意
3月、東京の新国立劇場でオペラ「椿姫」が上演されました。
このオペラの指揮をとったのはウクライナ人のアンドリー・ユルケヴィチさんです。
ユルケヴィチさんの家族はウクライナで今、爆撃におびえる生活を送っています。
それでもタクトを振る決断をしたユルケヴィチさんの思いを取材しました。
(おはよう日本 ディレクター 植村優香)

来日2日後に始まった軍事侵攻

公演のために、ユルケヴィチさんが来日したのは2月22日。
新型コロナ対策のため、ホテルで待機期間を過ごしている最中の2月24日にウクライナへのロシアの軍事侵攻が始まりました。
アンドリー・ユルケヴィチさん
「待機期間の7日間は私の人生の中で最もつらい日々でした。私の国が戦争をしているこの状況で音楽を続けることができるだろうかと思いました。“すみません。ウクライナ国民を守りたいです”と言って、すべてをやめて国に帰ろうかと思いました」
ユルケヴィチさんの母親と姉は出身地であるウクライナ西部のルーツク近郊にある町で暮らしています。
近くで爆撃がありましたが、母親は80歳と高齢で国外に避難することは難しいと言います。
祈るような気持ちで電話をし、安否を確認する毎日が始まりました。
ユルケヴィチさんの姉
「最近、近くの空港で爆発があったからとても心配よ。昨晩はずっとサイレンが鳴っていたから全く寝れなかったわ。お母さんは夜サイレンのたびに毎回テレビをつけてニュースを見て不安そうにしているの」
ユルケヴィチさん
「お母さん、大丈夫?」
ユルケヴィチさんの母
「サイレンの中での生活で大変よ。神様が助けてくれることを信じているわ」
電話を終えたユルケヴィチさんは、目を伏せて大きなため息をつきました。
心痛と悲しみが押し寄せているようでした。
ユルケヴィチさん
「死者が出るたびに、私の生まれ育った町ではなくても、他の町が爆撃を受けたというニュースを聞くと私は泣きたくなります。人が亡くなっているのです。私にとってウクライナはすべてです。生まれたときから死ぬまで100%ウクライナ人であることは間違いありません。私の思いや、教育、私の両親、空気も土地も、私の周りにあるものすべてがウクライナなのです。私の心はずっと泣いています」

「音楽家の役割とは」大野和士さんとの友情

「国に帰ろうか」とまで思い詰めたユルケヴィチさん。
待機期間が明けた後も、葛藤し眠れない日々が続いていました。

そんなユルケヴィチさんの姿を見つめていたのが、新国立劇場のオペラ芸術監督、大野和士さんです。
ヨーロッパでも活躍してきた大野さんは、20年以上前にユルケヴィチさんと出会い、その才能を見抜いて背中を押してきました。
実は大野さん自身、音楽家として戦争に直面したことがあります。
クロアチアの管弦楽団で指揮者をしていた30歳のころ、旧ユーゴスラビアの内戦が勃発したのです。
新国立劇場 オペラ芸術監督 大野和士さん
「練習をしていても空襲警報ですぐストップして、何回か我慢してやってたんですけど最後に(指揮)棒をたたきつけるというぐらい悔しい思いをしながら、第2次世界大戦以降初めて開いたという防空ごうに楽員とともに逃げていました。そこからまた練習に戻っていく。そしてしばらくするとまた空襲警報が鳴るというような中で練習をしたことを覚えています」
大野さん
「それでも夜に演奏会を開くと、冬のある日だったんですけど、みんながコートに身を包んで黙々と誰一人として何も語らずに劇場に入ってくるんです。その劇場はふだんよりも完全な満員になるわけです。そして演奏が終わったあとに、もうここでしかできない叫び声を上げるんですね。ブラボーとか、そんなきれいな意味のことばというよりも “あーっ” て叫んでるような声をそこで聞くんです。それを経験したあとにまた外を歩くときは、黙して語らず戻っていく姿を見ていました。

音楽ができることは、人間を自由にすることなんです。人間をいろいろな束縛から解放することなんです。音楽は戦争とは反対語なんです。どのような状況にあったとしても音楽の持っている本質を伝えるという場を探り当てること、そしてその場があればそれに対して生命をかけるということですね。これアーティストに課せられた使命だというふうに思います」
戦争のなかで音楽家が果たすべき役割を語り合ったふたり。大野さんと同じ使命をユルケヴィチさんも感じていました。
大野さん
「彼は大変もの静かな人間ですが、いったん音楽に没入すると非常に情熱的、内面的な強さを表す指揮者です。その彼と新国立劇場内で話をする機会があって“ご家族のことも大変ですね” というような話から始めたんですけれども “とにかく今はいろいろな思いがありながらも音楽家としての使命を果たしたい” そのひと言に尽きていた。“音楽家であるからこそ、それ以外の一切のいろいろな関係性というものから独立して音楽に集中するということが私たちに課せられた使命である” というようなことを言われました」
いまヨーロッパでは、戦争の影響で公演が中止になるなどの事態が相次いでいると言います。
避難する人々が殺到しているポーランドでは、大野さんが関わる公演が急きょ取りやめになりました。
大野さんは、ユルケヴィチさんに友人としてエールを送りました。
新国立劇場 オペラ芸術監督 大野和士さん
「彼にはふだんどおりの彼でいてほしいと思います。いろいろな現実的な問題を抱えながらもそれを全く顔に出さず、音楽の中に音楽によって生ずる衝撃とか情熱とかそうしたものを彼らしく伝えられるという彼そのものであっていただきたいと思います」

ユルケヴィチさんの選択

劇場のスタッフや音楽家たちも、ユルケヴィチさんを支えました。
神社に行ってユルケヴィチさんの家族の無事を祈ったというスタッフは、お守りを手渡しました。
劇場の合唱団は、ウクライナ国歌を歌いました。

「ウクライナの栄光と自由は滅びない」
ユルケヴィチさんの指揮によるその歌声は、劇場のウェブサイトで公開され、募金が呼びかけられています。
ユルケヴィチさん
「オーケストラ、合唱団、歌手、劇場のスタッフたち、皆さんの目を見ると皆さんが私の国民を応援してくださっていることがわかります。“私たちはあなた方と共にいます” いたるところでそのような雰囲気を感じます。これは大切なことです。私に前進するための力を与えてくれます。私は私の仕事を続けるという選択をしました。私はここで稼いだお金や次の公演の収入を、ウクライナのために、私たちの兵士たち、英雄たち、ウクライナ国民のために寄付したいと思っています。支援を必要とする人々のために。多くの人が、生活するための支援を必要としています。ウクライナの人を支援するために私は自分の仕事を続けることを選びました」
「椿姫」の公演は、3月10日から始まりました。

指揮台に上がったユルケヴィチさんの胸には、ウクライナ国旗を表す青と黄色のハンカチーフがありました。
ユルケヴィチさん
「これは私たちが誰であるかということを示す行動なのです。世界中の人に、堂々と頭をあげて“私たちはウクライナ人です”と言います。“ウクライナ人である”ということを恐れていないことを示すためです。なによりも、私たちウクライナ人は私たちが存在していることや、私たちの能力や力を世界に示さなければなりません。私たちは独立国として残りつづけるのだということを示さなければなりません」

「タクトが武器です」ユルケヴィチさんの決意

公演を重ねる中で、作品に向き合うユルケヴィチさんにある変化が生じていました。

「椿姫」は、パリ社交界の華だったヴィオレッタの愛と哀しみの運命を描いた物語です。
最終幕、病に侵されたヴィオレッタは、愛する人に再会。
死にあらがい、もっと生きたいと願います。

ユルケヴィチさんは、ヴィオレッタにウクライナの人々の姿を重ねていました。
ユルケヴィチさん
「公演を通して私の感じ方が変わっていったことに気付きました。ウクライナ人の苦しみを感じていました。指揮をとりながら、より深みが増していることを感じます。一人の女性(ヴィオレッタ)が切り立った崖っぷちにいます。もう一歩前に進めば死んでしまいます。感情的な面はより強くなります。10倍、100倍強くなります。愛する気持ち。死の予感。より強い表現になります。なぜなら(ウクライナの人々も)死ぬか生きるかの間際にいるからです」
いとしい人たちに囲まれ、ヴィオレッタが息絶える場面。
ユルケヴィチさんは、全身を使ってタクトをふるい、力強い音を引き出します。
震えるその拳には「生きたい」というウクライナの人々の願いが込められているように見えました。

ユルケヴィチさんの指揮で奏でられた音楽に、客席からの大きな拍手が鳴り止みませんでした。
アンドリー・ユルケヴィチさん
「ウクライナの状況はますますひどくなっていますが、きょうは平和のために、戦争を止めるために、芸術が勝利したのです。私たち(ウクライナ)の地と地球の未来のための芸術です。音楽家として誓います。平和を築くこと、そして私の同郷の人に力を与えることを決してやめません。芸術の力や人の力を必要とするすべての国に力を与えます。私たちや私たちの子どもたちの未来があるのだということを示さなければなりません。ご覧ください。この指揮棒は私の武器です。これで世界のどんな敵とも戦います」
音楽を奏でることをやめない。
それが、ユルケヴィチさんなりの戦争への抵抗でした。

音楽の力を信じて…

最終公演が終わった直後。
ユルケヴィチさんの楽屋の前で1人の男性が待っていました。
それは「椿姫」をともに作り上げた、ロシア人のコンサートマスターでした。
2人は握手をして、一緒にユルケヴィチさんの楽屋に入っていきました。

楽屋の中で、2人が何を話したかは分かりません。

5分後に出てきたユルケヴィチさんは、多くは語りませんでしたが「彼はすばらしい音楽家です」と教えてくれました。

音楽の力を信じて、ユルケヴィチさんはこれからもタクトを振ります。
おはよう日本
ディレクター
植村優香
2017年入局 福岡県出身
名古屋局を経て現所属
多文化や社会の多様性をテーマに取材