東名あおり運転死傷やり直し裁判 懲役18年求刑 被告は無罪主張

5年前、神奈川県の東名高速道路であおり運転の末に家族4人を死傷させた罪に問われている被告のやり直しの裁判で、検察は「妨害運転を繰り返したのは明らかで、極めて危険で悪質な犯行だ」として、懲役18年を求刑しました。
被告は「危険な運転はしていない」と無罪を主張しました。

5年前、神奈川県の東名高速道路で道路上に停車したワゴン車がトラックに追突され、夫の萩山嘉久さん(45)と妻の萩山友香さん(39)が死亡し、娘2人がけがをした事故では、石橋和歩被告(30)があおり運転の末に事故を引き起こしたとして、危険運転致死傷などの罪に問われています。

横浜地方裁判所で行われているやり直しの裁判で、友香さんの76歳の父親が意見陳述を行い、「家族の幸せを奪ったことを反省してもらうため、一日でも長く刑に服してもらいたい」と述べました。
このあとの論告で検察は「走行記録や目撃証言などから、被告が高速道路上で加速と減速を繰り返し、4回にわたって妨害運転をしたことは明らかで危険運転致死傷罪が成立する」としたうえで、「結果は重大で極めて危険で悪質な犯行だ。亡くなった夫婦の無念の思いは計り知れない」などと述べ、4年前の1審判決と同じ懲役18年を求刑しました。

一方、被告の弁護士は「妨害運転が繰り返されたという目撃証言は信用できず、GPSの記録とも合わない。事故は後ろから衝突したトラックの速度違反などが原因だ。危険運転致死傷の罪について、被告は無罪だ」と主張しました。
最後に石橋被告は「事故になるような危険な運転はしていない」と述べました。

判決は6月6日に言い渡されます。

死亡した萩山友香さんの父親の陳述

死亡した萩山友香さんの76歳の父親は、裁判でこのように陳述しました。

「私は、法律のことは難しくて、わかりません。友香たちが亡くなって、もうすぐ4年10か月がたとうとしています。彼(被告)には、1日も早く刑に服して反省してもらいたいし、友香たちに謝ってもらいたいと事件の起きた日からずっと思ってきました。有罪とか無罪とか言う前に、彼がこの事故のきっかけを作ったことは、間違いないのだから、人として、まず謝ってもらいたいのです。この裁判をずっと見てきましたが、彼は、いつも無表情のままで、私には、彼が、自分のやったことについて、どう思っているのか、全くわかりません。弁護人たちの話は、まるで、友香たちが勝手に車をとめ、勝手に車の外に出たから死んだと言われているようで、やりきれません。前の裁判が、なんでやり直すことになったのかよくわかりませんが、理由があるなら、しょうがないと自分に言い聞かせています。2人の子どもたちは、私が引き取って育てています。2人とも、ふだんは、平気そうにしていますが、本当は、そんなことはないのだろうと思います。今回、2人とも、裁判で話をきかれましたが、めったに泣かない下の子が、泣き出したり、取り乱したりするのを見て、本当にかわいそうになりました。終わったあとも、『大丈夫』と言って元気そうにしていましたが、翌日、学校の先生から、あの子の様子がいつもと違っており、体調を崩したと電話がありました。あの子たちにとって、この事件がどれだけつらい体験だったのかについて、この裁判にかかわる全員にわかってもらいたいです。これから判決が出るわけですが、彼には、有罪となったのなら、自分のやったことが、人の命を奪う危険な行為だったということや、家族の幸せを奪ってしまったということについて、十分に反省し、悔い改めてもらうため、1日でも早く、1日でも長く刑に服してもらいたい。そして、朝夕に亡くなった2人のために祈ってください。これが、私の切なる願いです。ありがとうございます」。

長女の心情つづられた文書 読み上げられる

法廷では、事故当時15歳だった長女の心情がつづられた文書も読み上げられました。

「気が付いたら、あの事件からもうすぐ5年がたとうとしています。当時は、何をするにもおっくうに感じながらも、学校で出される日々の課題やテストに追われ、報道関係の対応を迫られ、やらなくてはいけないことに押し潰されそうになりながら、なんとか自分が置かれている環境を受け入れてきました。今、私は、4年制大学に通って小学校教諭を目指しています。恵まれた環境の中で、楽しく充実した生活を送っていると感じていますが、片ときもこの事件のことを忘れた日はありません。いくら考えても、なんの生産性もないことはわかっていますが、気が付けば『あんな事件が起きなければ』と考えている自分がいます。今回、また裁判で証言することになり、記憶を呼び起こしましたが、やはり詳しく思い出すと苦しい気持ちになりました。私が被害者だということは事実ですが、他方で被害者面はしたくないという気持ちもあります。つらくて誰かを頼りたいと思う一方で、私の大切な人たちを困らせたくないと考えてしまいますし、こんな重い話を聞かされても、私だったら受け止めきれないと思うので、結局は、どうすることもできないまま抱えていくしかないのだと思います。でも、頭から消えないことがとても悔しく、つらいのですが、忘れたくないと思ってしまう自分もいます。なぜならば、あのときが、両親と過ごした最後の大切な時間だからです。私は、両親から、自由かつ責任感の大事さを学んだと感じています。両親は、少しでも時間に余裕ができると、日本中どこでも、私たちが行きたいところに連れて行ってくれました。私は、『自分はなんて幸せなのだろう』と思い、こんな家族4人で過ごす幸せな時間が永遠に続くのだろうと信じていました。そして、私が大人になったら、同じように両親を旅行に連れて行ってあげたい、両親が教えてくれたたくさんの思いやりについて、感謝の気持ちを伝えたいと考えていました。でも、私のこの願いはかなわぬものとなりました。今でも、折に触れて、『私に好きな人ができたら、両親に紹介したかった』『私の運転する車で、両親が行きたいところに連れて行ってあげたかった』『大人どうしという関係で、両親とお酒を飲んで対等に話をしてみたかった』『昔の出来事を思い返して一緒に懐かしんでみたかった』『親子で対立した時の本音を打ち明けたかった』『結婚式に呼んで今まで育ててくれたことへの思いを語りたかった』と、もう、かなわないことだとわかっているのに、考えてしまいます。妹は、事故のとき、私よりも幼かったので、私以上に、心に悔しくてどうしようもない気持ちを抱えていると思います。両親は、今でも、たびたび夢に出てきます。夢の中の両親はいつもと変わらないのですが、もう、両親はいないということがわかっている私は、夢の中で、有名人と会ったかのように喜んでいるのです。でも、両親の夢を見たときは、目が覚めたとたんに現実に戻り、いつもなんとも言えない気持ちに陥ります。大切な人を失うと、こんなにも悲しくやりきれない思いが残るのだと思います。この事件の発端は父の発言なのではないか、父のあのひと言さえなければ、こんなことにはならなかったのではないかと考えてしまうこともありました。でも、それと同時に、いつもは温厚な父が、あのとき、なぜあのような発言をしたのかと不思議でしかたありませんでした。周りの人は、そんな必要はないと言ってくれますが、私は、父の発言について、家族として責任を感じ、苦しく思った事もありました。でも、被告人が、父の言葉に逆上して、さまざまな行為をしてきたことは事実だし、許すことができません。私は、自分の親が今まで見たこともない弱々しい態度で謝っている姿を、それでも続く被告人の罵倒や威圧的な態度を、どうしたらいいかわからず混乱した様子の母を、あのとき感じた恐怖感を、忘れることができません。法律のことや裁判のことはわかりませんが、そもそも駐車場以外の場所に車を止めたり、高速道路上で無理に割り込んだり、必要もないのにスピードを落としたりして人に迷惑をかけたり、車を停止させること自体、ありえない、おかしいと思います。被告人からは、そういう運転をしたことについて、反省しているとか、改めようという姿勢が感じられないし、自分の行動がきっかけで事故が起きたのに、罪悪感や、自分の行動についての責任感等何も感じられないことが、とても残念です。裁判官や裁判員の方には、どうか私のこの気持ちを十分に酌み取って判断してもらうことを願うばかりです。」