「弱まる成長、高まる物価」軍事侵攻が世界経済にもたらすもの

「弱まる成長、高まる物価」軍事侵攻が世界経済にもたらすもの
“景気の悪化で勤め先の業績が落ち、給料は上がらない。にもかかわらず、食品などの価格上昇が止まらないーーー”

これは、経済の停滞とインフレが同時に起こる「スタグフレーション」と呼ばれる現象だ。実際に1970年代のオイルショックのとき、日本やアメリカで起きたことがある。

政府や中央銀行にとって、何としても避けたい事態だが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって1か月が過ぎ、不透明さが増す世界経済をめぐって、こうした事態を警戒する声がじわじわと広がり始めている。
(ワシントン支局・吉武洋輔)

“ブーメラン・インフレ”

「この鋼材の主要な生産国がロシアなんだ」

3月14日、アメリカ中西部ミシガン州で、工場を経営するボブ・ロスCEOは、浮かない表情でこう話した。

GM=ゼネラル・モーターズなどの自動車工場に納入する変圧器を製造しているが、一部にロシア産の鋼材を使っている。経済制裁を科されたロシアからの供給が減少するという警戒から、価格は1か月前と比べて30%も上昇しているという。

この1年、全米でインフレの現場を取材してきたが、アメリカの製造業でもロシア産の原材料が使われている現実を知り、コロナ禍で大きく混乱した世界のサプライチェーン=供給網の正常化が遅れ、物価に影響を及ぼすのではと嫌な予感がした。
軍事侵攻をきっかけに、世界でインフレが加速している。ロシアやウクライナが、さまざまな資源や食料の供給地であるためだ。

原油や天然ガスの高騰がその象徴だが、OECD=経済協力開発機構の分析では、軍事侵攻後、小麦が88%、トウモロコシは42%も上昇。そして、ニッケルは63%、パラジウムは34%、アルミニウムも17%上昇と、半導体や自動車、航空機など、幅広く使われる原材料も値上がりが著しい。

やっかいなのは、軍事侵攻が起きる前から世界のインフレがすでに記録的な水準だったことだ。
欧米などによる“過去最大級”の経済制裁のねらいは、ロシア経済に深刻な打撃を与えること。その効果は、通貨ルーブルの下落などによって、すでにロシア国内に表れつつある。

一方、ロシアを締めつければ締めつけるほど、各国にも“ブーメラン”のように跳ね返りの影響が出る。アメリカのバイデン大統領は、ロシア産原油の禁輸措置を発表した3月8日に「アメリカ国内にも犠牲が出ないわけではない」と述べた。一定の“ブーメラン効果”を覚悟してでも、ロシアに対して厳しい態度で臨まなければならないという意味だ。

問題は、ブーメラン効果がどこまで強まるかにある。IMF=国際通貨基金や世界銀行は、インフレは貧しい家庭に最も打撃を与え、アフリカなどで飢餓や社会不安をもたらすと警鐘を鳴らしている。

弱まる成長、高まるインフレ

「経済成長が減速している」

3月22日、IMFのゲオルギエワ専務理事は、軍事侵攻がインフレに拍車をかけるとともに、世界経済の成長を押し下げていると指摘した。

世界で加速するインフレは個人消費を弱めかねず、厳しい経済制裁に伴う貿易の停滞なども、経済成長を阻むことになる。IMFは、1月時点で+4.4%を見込んでいたことしの世界全体の成長率を、大きく下方修正する見込みだ。
OECDも、軍事侵攻による経済影響を分析した最近のリポートの中で、世界経済の先行きを「より弱い成長、より強いインフレ」と表現した。軍事侵攻が、ことしの世界全体の成長率を1ポイント以上押し下げる一方、物価を2.5ポイント押し上げるとの厳しい見通しを立てる。

今のところ、世界全体の成長率がマイナスに転じるという予測まではない。しかし、経済が停滞するのにインフレが止まらない「スタグフレーション」の可能性について、3月に入り、アメリカのサマーズ元財務長官がワシントン・ポストへの寄稿の中で指摘するなど、警戒が徐々に広がっている。

とりわけその懸念が大きいのが、ヨーロッパだ。

OECDは、軍事侵攻がアメリカの成長率を0.9ポイント押し下げると見込む一方で、ロシアとの結びつきが強いユーロ圏の成長率は1.4ポイント押し下げられると見込む。
実際、ユーロ圏最大の経済規模をもつドイツでは、3月15日に発表された、この先6か月の景気を占う「景気期待指数」が、マイナス39.3と、調査開始の1991年以降で最大の下落幅を記録した。

ドイツはロシアへのエネルギー依存度が高いだけでなく、ロシアで事業を展開する企業も多い。

「フォルクスワーゲン」は、ロシアにある2つの工場での現地生産を停止したうえで、輸出も止めた。ヨーロッパ最大の自動車メーカーの動きは、国内の部品産業などにも影響を与えそうだ。

また、イギリスの予算当局は、3月23日、国内の経済・物価の予測を、いずれも大幅に修正。この先の経済減速とインフレ加速を象徴する数字が示された。

中央銀行の難路

経済の減速とインフレの加速が同時に進むことへの懸念が高まる中で、極めて難しい対応を迫られるのが、“物価の番人”である中央銀行だ。

軍事侵攻の前、世界経済は、コロナ禍からの回復が進む一方、供給網の混乱などからインフレが顕著になり、各国の中央銀行の間で、金融の引き締めにあたる「利上げ」へと政策転換に踏み切る動きが相次いだ。

しかし今、軍事侵攻に伴う成長の減速という新たな懸念が出てきたことで、インフレの抑制を進めながらも、経済を冷え込ませないようにするという点に、より神経を使う必要が出てきている。

金融の引き締めは、かじ取りを誤れば景気を過度に下押ししかねない“もろ刃の剣”だ。

コロナ禍による景気の急激な落ち込み。
そこからの回復過程で起きた記録的な物価上昇。
そして、ロシアによる軍事侵攻。

相次ぐ“想定外”の事態は、各国の中央銀行に対し、先行きをどう見通し、いかに機動的に政策を打っていけるのか、その手腕を問い続けている。
ワシントン支局記者
吉武 洋輔
2004年入局
名古屋局・経済部を経て現所属