パパはロシア人、ママは日本人 2人の願いは

パパはロシア人、ママは日本人 2人の願いは
「バンバンしてる。こわい」

4歳の男の子が、今のロシアのイメージについて話したことばです。
男の子にはロシア人のパパと日本人のママがいて、ロシアには優しくて大好きなおじいちゃん、おばあちゃんがいます。

「はやくバンバンがなくなってほしい。おじいちゃん、おばあちゃんに会いたい」

男の子のお母さんに、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった1か月前までは想像もしなかった、今の不安について聞きました。

(ネットワーク報道部 芋野達郎)

「バンバン、こわい」

話を伺ったのは、首都圏に住む36歳の女性です。
7年前に結婚したロシア人の夫と2人の子どもを育てています。

今は、4歳の長男が去年12月に生まれたばかりの生後3か月の次男をあやしている姿を見るのがいちばんの幸せです。

しかし、そんな時にも頭から離れないのが「ロシア」のことです。

長男がロシアのイメージについて「バンバン、こわい」と口にしたことについて聞くと。
女性
「いちばん最初にそのイメージが出てきてしまうことが苦しい。胸がぎゅっと押しつぶされるような気持ちになる。楽しい思い出や大事な家族が先に出てくるのではなく、上書きされたのではないかと思うと悲しい。残念です」
今は長男が暴力的な映像をできるだけ目にしないよう、ニュースを見せないようにしているということです。

女性は大学でロシア語を専攻、ロシアの文学や文化にひかれて留学も経験しました。
帰国後、ロシアに事務所を持つメーカーに就職し、ロシア語の勉強を続ける中で現在の夫と出会いました。
「私がロシアとつながりを持ち続けてきたので、息子たちには日本とロシアに誇りを持って欲しかったし、両国のかけ橋になってほしいと考えていました。それが難しい状況になってしまいました」

「え、ロシアって悪いんだよ」

「ハーフですか?」

息子たちと公園で遊んでいるとよく声を掛けられます。
これまでは特別なことは考えずに「そうなんです」と答えていましたが、1か月前からは少し身構えてしまうようになりました。

「どちらの国ですか?」と聞かれ「ロシアです」と答えた時の相手の反応がわからないからです。

予防線を張ろうと「私はロシアのしていることには賛成していないです」と付け加えたこともありましたが、かえって重苦しい空気になってしまったということです。

また、次男を連れて保育園に長男を迎えに行った際、ほかの園児から「(次男は)お父さんがアメリカ人だから顔が違うね」と話しかけられたことがありました。

「アメリカ人じゃなくてロシア人だよ」と伝えたところ、その園児から「え、ロシアって悪いんだよ」と言われたということです。

とっさに「ロシアは悪いかもしれないけど、この子たちは悪くないんだよ」と説明したところ、その園児は「そうだね」と答えたということです。

今後、長男が周囲から何か言われないか、不安は尽きません。
「少し違う目で見られることは覚悟していましたが、ロシア出身の父親がいることで肩身が狭い思いをすることは想像していませんでした。私たち大人のせいで純粋な子どもたちが将来、重荷を背負わせられるかもしれないと考えると、申し訳ない気持ちになります」

「おじいちゃんかっこいい 早く会いたい」

さらに懸念しているのは、息子たち自身がロシアのことを嫌いになってしまうのではないかということです。

夫の両親、子どもたちから見るとおじいちゃん、おばあちゃんの2人はロシアでもヨーロッパ側ではなく、北海道のすぐ北にある極東ロシア・サハリンに住んでいます。

2人は息子たちが初孫ということもあり、コロナの感染拡大前は月に1回のペースで日本に来て孫をかわいがっていました。

長男はすっかり「おじいちゃんっ子」になり、祖父が遊びに来ると「ドーナツ屋さんごっこ」をして遊んでもらったり、ロシア語の絵本を読んでもらったりして、ずっとそばを離れないということです。
長男
「おじいちゃんかっこいい。早く会いたい」
祖父母の家を訪れたときに食べたロシア料理も印象に残っているようで「ごはんがおいしかった。楽しくて(ロシアの)全部が好き」とも話していました。
女性は息子たちに「今回ロシアがしていること」と「ひとりひとりのロシア人」は別だと言うことを理解してほしいと願っています。

日本に住んで13年になる夫は、ロシアの侵攻により多くのウクライナ人が犠牲になっていることに憤り「ありえない暴挙」だと強く批判しています。

また、ロシアにいる知り合いのロシア人と連絡を取ると基本的には戦争には反対と話していて、表立った反対運動こそできないものの「戦争が早く終わりますように」とSNSに投稿している人もいるということです。

「国」ではなく「人」を見る

女性がロシアとつながりを持つきっかけになったのは、子どものころに祖父から「シベリア抑留」の体験の話を聞いたことでした。

第2次世界大戦後、中国にいた日本人が旧ソビエトによって連行された「シベリア抑留」では、厳しい寒さや過酷な強制労働の末におよそ5万5000人が命を落としましたが、祖父は現地の人たちが親切にしてくれたことについても話してくれたといいます。
「祖父は厳しい寒さや過酷な労働に苦しめられたと思いますが、いつも話していたのは『敵どうしでも人と人とは仲よく暮らしていた』ということでした。「国」ではなく「人」を見なくてはいけないと伝えたかったのだと思います」
国どうしの政治的な関係によって起きることとは別に、ひとりひとりの「人と人との関わり」があるのだということ。
祖父が伝えようとしたことは、今の自分や息子たちの将来にとっても大切なことだと考えています。
女性
「息子たちは今、ニュースで流れている軍事侵攻のイメージでロシア全体を怖いと思っているようですが、サハリンに住むおじいちゃん、おばあちゃん、そしてこれから出会うであろうロシアの人たちと実際に話をする中で、多くのロシア人が心優しいということを知っていってもらいたいです」
日々伝えられるウクライナの状況を見ていると、侵攻前のようにロシアと行き来したりロシアの友人たちと直接触れ合える日がいつ来るのか、今は想像もできません。

それでも女性は、ロシア人の中にも戦争に反対している人や苦しんでいる人もいるということを日本の人たちに少しでも伝えていくなど、今できることをひとつひとつやっていきたいと思っています。

2人の息子たちには、これからゆっくりと自分たちなりのロシアに対する考え方を持ってもらえたら。

そして、将来的には今の状況を乗り越えて、いつか日本とロシア双方にルーツを持つ立場から、両国のかけ橋になってほしいと願っています。