横領事件で無罪確定の前社長 捜査にあたった検事を刑事告発へ

大阪地検特捜部が捜査した横領事件で逮捕・起訴され、裁判で無罪が確定した東証1部上場の不動産会社の前社長が、捜査にあたった検事2人について取り調べで関係者を脅すなどして検察の描いたストーリーに沿う供述を引き出した疑いがあるとして、近く最高検察庁に刑事告発することを決めました。

検事2人を刑事告発するのは、東証1部上場で大阪に本社がある不動産会社「プレサンスコーポレーション」の創業者で前社長の山岸忍さん(59)です。
3年前、大阪地検特捜部が捜査していた大阪の学校法人の当時の理事長や会社の部下らが土地取引をめぐって21億円を横領した事件に、社長の山岸さんも関与していたとみなされ逮捕・起訴されました。

山岸さんは一貫して不正への関与を否定し、大阪地方裁判所は去年、検察が立証の柱とした部下の供述は「信用できない」と判断して無罪を言い渡し、その後、確定しました。

特捜部の捜査について弁護団が取り調べの録音・録画を分析したところ、社長の関与を否定していた部下に対し、検事が机をたたくなどして「開き直ってんじゃないよ。家族に、両親に誓ってうそつかないと言ったのに平気な顔してあからさまなうそついている」などと決めつけて長時間、罵倒したうえ、社長の関与がなければ「10億円や20億円ではすまない損害賠償を負うことになる」などと責めたてていたということです。

また別の検事もほかの関係者の取り調べで山岸さんの関与を認めなければ自分の刑が重くなると思わせるような発言をしていたということです。

山岸さんは会社のトップの摘発をねらって検察の描いたストーリーを部下などに無理に押しつけた違法な捜査だとして当時、特捜部に所属していた49歳と44歳の検事2人を証人威迫の疑いなどで、近く最高検察庁に刑事告発することを決めたということです。

また、捜査を指揮した主任検事などを罷免すべきだとして法務省の検察官適格審査会に審査を申し立てることにしています。

山岸さんは不当な捜査によっておよそ8か月勾留され、会社を手放さざるをえない状況に陥り、少なくとも78億円の損害を受けたとしてその一部、7億円余りの賠償を国に求める訴えも起こすことにしていて、刑事と民事の両面で検察の責任を問う考えです。

無罪確定も会社を失う 検察からの謝罪なく告発を決意

山岸忍さんは関西を中心にマンションの開発・販売を行い東証1部に上場するまで会社を急成長させました。
しかし3年前、大阪地検特捜部に業務上横領の疑いで突然、逮捕されました。
大阪の学校法人の当時の理事長が土地取引をめぐって法人の資金21億円を着服した事件に加担した疑いをかけられたのです。

当時「プレサンスコーポレーション」は経営難だったこの学校法人が大阪市内に持つ高校の土地をマンション用地として買い取る計画を立てていました。
山岸さんはこの計画の担当者だった部下から学校法人に土地を売却するまでの間、必要なつなぎ資金を用立ててほしいと依頼され、18億円を貸し出していました。
しかし、この18億円は実際には理事長個人が借りていて、法人の経営権を自分が握るために使っていました。
理事長はその後、プレサンス側から購入する土地の手付金として学校法人に支払われた21億円を着服し、自分の借金の返済などにあてていました。
山岸さんは理事長と会ったこともないうえ、部下が作成した説明資料にも18億円の貸付先は学校法人と記載されていました。

しかし、特捜部はすでに理事長らとともに逮捕していた山岸さんの部下が「社長には理事長個人に貸し付けることを説明した」という供述をしたことから山岸さんが金の流れを認識し、着服に協力したとして逮捕に踏み切ったのです。
身に覚えのない罪に問われた山岸さんの勾留は、およそ8か月間におよびました。
プレサンスの信用は創業者の逮捕で傷つき株価は急落しました。
金融機関から資本関係を切り離さなければ融資をストップすると通告を受け、山岸さんは会社を守るためにすべての持ち株を安値で手放さざるをえませんでした。

大阪地方裁判所はこの事件の裁判で学校法人の理事長や山岸さんの部下に有罪判決を言い渡しました。
一方、山岸さんについて裁判所は検察が有罪立証の柱にしていた部下の供述は「信用できない」と判断しました。

逮捕直後の取り調べで山岸さんの関わりを否定していた部下に対し、検事が「会社の損害を賠償できるのか。10億、20億ではすまない」などと責めたて、「真実と異なる供述をさせた可能性がある」と指摘したのです。
そして無罪を言い渡しました。

検察は控訴を断念し、1審で無罪が確定しましたが、山岸さんは企業経営者としてのキャリアが途切れ一代で築き上げた会社を失いました。
検察からひと言の謝罪もないということで山岸さんは検事を刑事告発するとともに国賠訴訟を起こし検察の責任を追及することを決意しました。

山岸さん “検察が引き返ことができないのが不思議でならない”

大阪地検特捜部の検事を刑事告発することを決めた山岸さんは、検察の捜査は真実の追究よりも自分たちの描くストーリーに固執した違法なものだと批判しています。

検察の取り調べで部下が自分の関与を認めるような供述をしたことについて「なぜこんな嘘をつくのかと人間不信に陥ったが、取り調べの内容を見て『だからこうなったのか』と理解できて、とても気が楽になった」と話しています。

検察に対しては「間違っていたらいつでも方向転換できる、引き返せるというのは当たり前で、それがなぜできないのか、不思議でならない。社長を辞めることになり大好きな仕事を奪われて一番ショックだが、当事者の私以外にも迷惑を被った取引先はたくさんいた。検察は想像力をもって仕事にあたっているのか疑わしく、大変に残念な方たちだと思っている」と話しています。

山岸さんの弁護団 取り調べの記録を詳しく分析

山岸さんの弁護団は、大阪地検特捜部の検事が山岸さんの部下など関係者を取り調べる様子を記録した録音・録画を詳しく分析しました。

学校法人との土地取引の担当者ですでに逮捕されていた部下は、取り調べで当初、山岸さんとの共謀を否定していました。

この部下に対し49歳の男性の検事は机をたたくなどしたうえで「開き直ってんじゃないよ。家族に、両親に誓ってうそつかないと言ったのに平気な顔してあからさまなうそついている」と決めつけたということです。

そして「はなからあなたは社長をだましにかかっていったってことになるんだけど。そんなことする、普通。自分の手柄がほしいあまりですか。そうだとしたらあなたは会社の評判をおとしめた大罪人ですよ」と発言していました。

さらに「会社が非常な営業損害を受けたとか、株価が下がったとかいうことを受けたとしたらあなたはその損害を賠償できます?10億、20億じゃすまないですよね。それを背負う覚悟で今、話をしていますか」などと責めたてたところ、部下は一転して山岸さんとの共謀を認める供述を始めたということです。

山岸さん側は、検事は客観的な証拠と整合しないにもかかわらず、部下を長時間、罵倒して脅迫し、供述をねじ曲げたと訴えています。

録音・録画の中にはこの検事が取り調べている相手に対し、検察の上司から「供述を無理強いしているのではないか」と忠告を受けたことを打ち明ける場面もあり、「記憶を喚起するためだ」と弁解していたということです。

山岸さん側は、検事の上司も違法な取り調べが行われている疑いがあると気付いていながら対処せず、特捜部が組織的にえん罪を作り上げたと批判しています。

また、ほかの関係者を取り調べた44歳の男性の検事は「山岸さんの関与が本当にあるんやったら、それ言わへんかったら、今の立ち位置だけからしたら理事長と同じくらい、すごくこの件に関与した、非常に情状的にはやっぱり、かなり悪いところにいるよ」と述べていました。

この関係者は共謀を認めなければ自分の刑が重くなると不安をあおられた末、検事に向かって「どうしたらいいんですか」と助け船を求め、供述も変遷したとしています。

山岸さんと弁護団は、「組織の上位者が事件に関与したはずだ」という検察のストーリーありきで捜査が進められており、大阪地検特捜部による厚生労働省の元局長、村木厚子さんのえん罪事件と同じ構図だと批判しています。

“村木厚子さん無罪”をきっかけに検察改革も…

厚生労働省の局長だった村木厚子さんの無罪が確定した事件など検察の一連の不祥事をきっかけに、刑事司法改革が進められ、検察もみずから改革を進めてきました。

13年前、村木厚子さんは、郵便の割引制度をめぐってうその証明書を作成したとして、大阪地検特捜部に逮捕・起訴されました。

捜査段階で村木さんの関与を供述した部下の調書について、裁判所は「検察の取り調べに問題があり信用できない」として大半を証拠採用せず翌年、判決では検察の主張がことごとく否定され、無罪が確定しました。

また、捜査の過程で大阪地検特捜部による証拠の改ざんが明らかになり当時の主任検事や特捜部長らが逮捕・起訴される事態になりました。

検察が描いた筋書きを密室で無理に押しつける、いわゆる「ストーリー」に沿った取り調べの在り方が強い批判を浴びたことなどをきっかけに、司法制度の改革が進められました。

不当な取り調べを防ぐことを主な目的に、導入されたのが取り調べの録音・録画です。

3年前からは検察の独自捜査事件と殺人など裁判員裁判の対象事件を対象にすべての過程の録音・録画が義務づけられました。

検察も村木さんの事件を検証した結果「元主任検事が証拠を改ざんした背景には、当時の特捜部長の指示で村木さんの検挙を最低限の使命と考えて捜査を進めるなど組織として重大な問題があった」と認め、失墜した信頼の回復を目指していました。