【詳しく】ロシア プーチン大統領の誤算 侵攻1か月分析

ロシアがウクライナに侵攻して1か月。
長年、ロシアを取材してきたNHKの石川一洋解説委員に、プーチン大統領の思惑を分析してもらいました。
この間の発言や演説からは、
1.ロシア国民の不安
2.誤算
というキーワードが浮かび上がってきました。

プーチン大統領 誤算とは?

私が特に注目したのは3月8日の「国際女性デー」を前にした会合です。
日本ではあまりなじみがありませんが、ロシアでは旧ソビエト時代からとても大切な日です。
バラの売り上げもこの日に集中しています。

プーチン大統領も毎年この日にあわせて、女性たちとお茶を飲むなどイベントを開いています。
今回は、ウクライナに侵攻して以降、プーチン大統領が国民と交流する様子が公開された珍しいイベントとして、特に注目されました。

どういう会合だったの?

ことしはロシアの大手航空会社・アエロフロートの客室乗務員などと会合しました。
もちろん、大統領府は女性たちがプーチン支持者であることを事前にチェックしていて、おそらく、質問も用意されています。
ウクライナに関する質問も、国民を安心させるために、大統領府の方で準備したと思われます。
しかし、もともと予定にあったのか、質問した人が付け加えたのかわかりませんが、ある参加者がこういう質問をしているんですよね。

「ウクライナの特殊軍事作戦のことでお聞きします。私は大統領の決定を支持しています。それでも心が痛みます。理性ではあなたは正しいことをしているとわかっていても、心配です。
大統領、私たちを安心させてください。この特殊作戦のあと、私たちはどこに向かおうとしているんですか」

プーチン大統領の回答は?

プーチン大統領は「しかたなかった」などと過去の演説と同じ内容を説明しています。
ただ、私が注目したのは客室乗務員たちの表情です。

話を聞いている彼女たちの表情は、にこりともしませんでした。
プーチン大統領の顔をじっと見ているだけ。
もちろん戦時中だからという理由もありますが、私は彼女たちの表情から「不安」な様子を感じました。
この人は私たちをどこに連れて行こうとしているのかという、「不安感」はプーチン氏が大統領になって初めて国民が抱いている感情だと思います。

彼女たちはどういう不安を?

当然、自分たちの仕事のこともあるでしょう。
彼女たちは客室乗務員で、国際線であれば現在、乗務は限定的な状況にあると思います。
この先、仕事は大丈夫なの?雇用はどうなるの?という思いがあると思います。

それと、2014年のクリミア併合の時との違いですね。
クリミア併合の時は、少数の特殊部隊で、ほとんど死者もでませんでした。
欧米からの制裁はありましたが、今回のような国民の生活に甚大な影響がでるほどではありませんでした。
今回は、すでにロシア人兵士にも多くの死者がでていて、欧米の制裁で国民の生活にも大きな影響がでています。
プーチン大統領を信じて、本当に大丈夫なの?と、国民が不安を感じ始めているのだと思います。

国民の支持率に異変は?

3月初めに政府系の世論調査機関が行った調査では、プーチン大統領の軍事侵攻決定を支持する人は71%、支持しない・反対は20%となっています。

ただ、プーチン大統領を支持しているロシアの人たちの中でも、感じ方、感情はさまざまだと思います。
ウクライナに親、兄弟、いとこなど親戚がいる人は本当に多いのです。

その国と戦っている。
人が死んでいる。
そしてロシア軍の戦死者の数も多くなっており、棺が戻ってくるのでしょう。
客室乗務員たちのように、みんな心が乱れていると思います。

反対が20%、この数字が多いか少ないかは、いろいろな評価はあると思いますが、私は多いと思います。
その多くが若い人たちだと思います。
戦争と言っただけで逮捕・拘束される、つまり戦争反対とは言えない戦時統制下でこれだけの人が反対と言っているわけですから。

プーチン大統領は、自分の体制にとってリスクになることに足を踏み入れてしまった。
これはプーチン大統領にとっては誤算だといえそうです。

戦況については?

プーチン大統領は、ウクライナでこれほどの抵抗を受けるとは思っていなかったと考えられます。
ものすごく甘い見通しで戦争を始めたと思います。

プーチン大統領は当初、首都キエフを電撃的に占拠し、ゼレンスキー大統領に降伏文書にサインさせるというシナリオを描いていたとみられます。
ロシアとの関わりが深い東部ではむしろ住民に歓迎され、第2の都市ハリコフあたりは無血で占領できると思っていたのではないでしょうか。
プーチン大統領の思惑は、ウクライナ側の軍と住民の抵抗で完全に外れたと言えるでしょう。
ここまで長引くとは考えていなかったでしょう。
それは3月18日のあるイベントからも推察できます。

3月18日のイベントとは?

この日は、ロシアがウクライナ南部のクリミアを一方的に併合して8年となる日で、首都モスクワで記念イベントが開かれました。
会場では、プーチン大統領が演説をしましたが、原稿を見ず、力のこもったものでした。

プーチン大統領はポピュリストで、アジテーターで、政治家として人を引き付ける力は確かにあります。
この中で、プーチン大統領は、ロシアやウクライナは歴史によって結びついていることを訴え、侵攻は「ロシアの愛」だと主張しました。

演説の内容を分析すると、プーチン大統領はこの日までに勝利し、このイベントを「勝利の集会」にするつもりだった可能性があります。
しかし現実には、1か月たった今でも、戦闘は続いていて、プーチン大統領にとっては計算外だったと思われます。

さらに、今後、プーチン大統領はこの侵攻に関する表現についても変えていくかもしれません。

「戦争」ということばを使うかもしれません。
「特別軍事作戦」というのはあくまでも、クリミア併合の時のように、短期間で行われるもので、ここまで長期化すると、国民に説明がつきません。

将来にわたってのロシアに対する危険を排除するための「祖国防衛戦争」だと訴え、今後、戦争ということばを使っていく可能性も感じました。

各国の制裁は効いている?

制裁が効いているのは間違いありません。
ただ、矛盾するようなことを言いますが、強烈な制裁はむしろ、ロシア人を結束させるリスクもあります。

制裁で経済や生活が苦しくなると、プーチン大統領への批判や反対が増えるだろうと、考える人たちも少なくないと思いますが、実はそう単純ではありません。
ロシアやロシアの人たちのことを知らない人ほど、そう思いがちです。
ロシアの人たちは、本当に我慢強い。
ナポレオンやナチス・ドイツと壮絶な犠牲を払いながら勝ち抜いてきたという歴史もあります。

今、制裁で欧米の企業が撤退し、職を失う人がでてきていますが、それは欧米が憎いという感情になる可能性があります。
ウクライナとの戦いというより、欧米との戦争だと考える人が増えます。
そうすると、苦しくなればなるほど、プーチン大統領を信じようと。

長期的にはそれも変化する可能性はありますが、当面は、ロシア人を結束させてしまうおそれがあります。
その点でのロシア人の団結力を過小評価すべきではありません。

どうすればいいの?

大切なのは、制裁は、ロシアやロシア人が憎くてやっているわけじゃない、ということをしっかりと打ち出していくことです。
過ちを犯したのはプーチン大統領で、ロシア人のことを憎いわけではない、むしろ仲よくしていきたいんだというメッセージをしっかりと打ち出していく必要があります。
あくまでもプーチン大統領との戦いだということも。

ロシアの音楽や文化などを締めだしたり差別したりするのは、逆効果です。
困難な状況になればなるほど、プーチン大統領支持で結束してしまうからです。
ロシア国民を反プーチン大統領に向かわせたいのであれば、旧ソビエト時代にアメリカがとった戦略のように、むしろ文化交流などは戦略的に進めた方がよい局面があるかもしれません。
欧米や日本の文化をロシアでインターネットなどを通じて聞きやすくする、あるいは文化や音楽を名目にロシアの人たちを招く。

冷戦時代ビートルズなど欧米の音楽がソビエト社会を変えました。
単純にロシアを何でもかんでも締め出すというのは逆効果だと思います。

停戦交渉はどうなるの?

ロシアとウクライナの要求、双方の立場は正反対とも言えます。
ただ、交渉がかみ合わないのかというと、そうでもない感じもします。

ロシア側の要求のうち、中立化と非武装化。
そして、ウクライナ側の要求のうち、ロシア軍の撤退と平和条約および安全の保障については、同じテーブルにそれぞれの要求をのせて交渉しているのかも知れません。

条約の形で、ウクライナの安全を保障する。
つまり、2度とこうした侵略はいかなる形であれ受けないようにする。
同時にウクライナ側から攻撃を受けるのではないかというロシア側の懸念もなくすというものです。
保証人としてヨーロッパ各国やアメリカ、場合によっては中国も入った多国間の条約にする形なども検討されているかもしれません。
一方で、難しいのは領土問題です。
ゼレンスキー大統領にとっては、クリミア、ドンバスなどの地域をウクライナから切り離すと言うことはとてもできないし、難しいでしょう。

ただ双方に停戦への意思があれば、領土問題を棚上げする形で停戦交渉は進むかもしれません。
それは恒久的な和平ではなくて一時的な停戦という形になるでしょう。

懸念されることは?

私は1994年12月のある署名式の映像を最近改めて見ました。

ウクライナが核兵器を放棄したブダペスト覚書の署名式です。
ブダペスト覚書では、核兵器放棄の見返りとしてアメリカ、ロシア、イギリスの3か国がウクライナに安全の保障を与えるという内容です。
映像では主人公であるはずのウクライナ大統領の署名は素通りされ、アメリカのクリントン大統領とロシアのエリツィン大統領にだけフォーカスされています。

核兵器の放棄だけに焦点があたり、ウクライナの安全保障あるいはロシアをも含めた安全保障の枠組みの構築という、核兵器の放棄と同じくらい大事なことを、国際社会も私たち取材者もおろそかにしていました。

今度こそ、ウクライナの安全保障を確かなものとしなければなりません。

交渉が煮つまってくれば、おそらく戦闘はますます激しくなるでしょう。
交渉での有利なポジションをとるために。
これはウクライナ、ロシアどちらも同じだと思います。
結局、戦争というのは、交渉や外交によってでしか最終的には決着しません。
ウクライナ支援というのは、戦場での支援だけでなく、外交の場で支援するということもとても大切になってきます。
正義のために戦えということだけでなく、各国は、戦後のウクライナを守るためにも外交の支援がとても大切になってきます。