母乳バンクを知ってほしい~584グラムの命守るドナーミルク

母乳バンクを知ってほしい~584グラムの命守るドナーミルク
「生きたとしても数日かもしれません」

妊娠25週目での緊急の帝王切開は、そう告げられて始まりました。

体重わずか584グラムで生まれた陽華(はるか)ちゃん。

母親の意識が戻らない中で最初に飲んだのは、別の母親から寄付された母乳「ドナーミルク」でした。
(首都圏局記者 氏家寛子)

すぐに出産しないと危険な状態

妊娠25週目だった伸子さんはその日、少し出血があったため、念のためにかかりつけのクリニックを受診しました。

職場には午前中だけ休むことを伝え、午後から出勤しようと考えていたといいます。
ところが診察を終えると大学病院に救急搬送され、医師から思いがけない言葉を告げられます。

「子宮から胎盤がはがれて、胎児に酸素が十分供給されなくなる『常位胎盤早期剥離』の疑いがあります。すぐに出産しないと危険な状態です」
母親の伸子さん
「本当に突然のことでパニックになりました。ちゃんと生まれてこられるかもわからないと言われ、搬送先の病院で先生たちが慌ただしく動くのを見ながら『どうか助かって』と祈るような気持ちでした」

584グラムで生まれるも 医師「呼吸していない」

伸子さんはすぐに手術室に入って帝王切開が行われ、搬送から50分後には陽華ちゃんが生まれました。

ただ体重は584グラムしかなく、呼吸ができていない状態でした。

担当した谷有貴医師は、次のように振り返ります。
奈良県立医科大学附属病院 総合周産期母子医療センター 谷有貴医師
「赤ちゃんがおなかの中で胎盤が剥がれてしまうというのは、海の中に潜っているときに命綱である呼吸するためのものを外されるようなものです。(陽華ちゃんは)生まれたとき呼吸をしておらず、心拍も100はなかったので気管内挿管を急ぎました」
谷医師は陽華ちゃんが生まれてから2分間で気管内挿管を完了。

心拍も落ち着き、NICU(新生児集中治療室)に入ることができました。

一方、母親の伸子さんは胎盤が完全に剥離し始めていました。

搬送があと30分遅かったら大量に出血して母子ともに命が危ない状況だったといい、伸子さんの意識はしばらく戻りませんでした。

すぐには母乳をあげられないなか、谷医師が陽華ちゃんの父親に提案したのが、「ドナーミルク」でした。
父親の武史さん
「妻が話を聞けない状態だったので、私が医師からドナーミルクについて説明を受けました。手術前に妻と『娘のためには何でもしてあげよう』と約束していたので、絶対に賛成してくれると思ってお願いしました」

なぜ小さく生まれた赤ちゃんにドナーミルク?

ドナーミルクは「母乳バンク」と呼ばれる施設に、ドナーの母親たちから寄付された母乳のことを言います。
「母乳バンク」の仕組みです。

・ドナーから提供されたドナーミルクは、施設内で細菌検査や低温殺菌処理をしたうえで冷凍保管されます。

・そして小さく生まれた赤ちゃんなどに対し医師が必要だと判断した場合に、医療機関からの要請に基づいて無償で提供します。
なぜ小さく生まれた赤ちゃんにドナーミルクが必要なのか。

早産などにより1500グラム未満で生まれる赤ちゃんは「極低出生体重児」と呼ばれ、感染症や病気にかかるリスクが高いとされています。

母乳はそのリスクを減らす効果があり、腸の一部が“え死”してしまう病気については人工ミルクに比べ、発症リスクをおよそ3分の1に低下させられるという研究結果もあります。

早産などの場合、母親の体調がすぐれずに母乳が出ないことも少なくないため、ドナーを募って確保しておく必要があるのです。
陽華ちゃんに対して谷医師は早いタイミングでドナーミルクを与え、腸を動かすことが必要だと考えたといいます。
奈良県立医科大学附属病院 総合周産期母子医療センター 谷有貴医師
「私の病院では生後12時間以内に必要な栄養を腸を通じて投与するのが決まった手順になっています。できるだけ早く腸を動かしてあげると赤ちゃんの成長にとってメリットが大きく、母乳であれば腸内細菌のバランスも整いやすく消化にもいい」
陽華ちゃんには伸子さんの母乳が飲めるようになるまでの6日間、合わせて110ミリリットルのドナーミルクが提供されました。

そして大きな病気などもなく育ち、およそ4か月後に2412グラムで退院できました。

母乳バンクを知ってほしい

谷医師は「母乳バンク」や「ドナーミルク」について資料を作り、必要となる母親などに説明しています。

「自分のせいで早産になってしまった」

こう自分を責めてしまう母親もいるため、ドナーミルクのメリットを丁寧に伝えることで、心の負担を少しでも軽くできればと考えています。

ほかにも「自分の母乳でないなら人工ミルクのほうがいい」と考える母親も少なくないため、「お母さんの母乳が一番いいのは間違いないですが、つなぎとして使わせてほしい」と声をかけているということです。

谷医師の病院では2018年にドナーミルクを導入し、これまでに84人の赤ちゃんに使いました。

母乳を提供したい人のための検査も行っていて、40人がドナー登録しています。
奈良県立医科大学附属病院 総合周産期母子医療センター 谷有貴医師
「母乳を寄付してくれるお母さんたちは、“私のおっぱいでよければ”という温かい気持ちで提供してくれています。ただドナーミルクが必要なご家族に説明してもまだまだ知られていないことが多いので、もっと広めていけたらと思います」

ドナーになりたい どうすれば

<条件>
ドナーになるための条件は、自分の子どもに与える分よりも多く母乳が出ること、これまでに輸血や臓器移植を受けていないことなどで、産後1か月健診を終えたあとに登録ができます。

<申し込み手順>
1 申し込みは「日本母乳バンク協会」もしくは「日本財団母乳バンク」(※2022年4月~)のホームページから行うことができます。

2 それぞれの指定された施設で必要な血液検査などを受け、結果に問題がなければドナー登録されます。

3 自宅などで搾乳した母乳を決められた手順で指定の袋に入れ、冷凍便で母乳バンクに送ります。

安定供給へ保管スペースも課題

1500グラム未満で生まれる「極低出生体重児」は年間7000人以上にのぼります。

このうち母親から母乳を与えられないおよそ5000人の赤ちゃんにドナーミルクを安定的に供給する必要があります。

ただドナーがいくら集まっても、ドナーミルクを“安全に保管できる場所”が確保できなければ、必要とする赤ちゃんに届けられません。

そこで新たに開設されるのが日本財団の支援する母乳バンクで、4月からはベビー用品大手のピジョン本社内に設置された施設と、国内で2か所稼働することになります。

新たな施設は、従来の施設のおよそ7倍にあたる5300リットルのドナーミルクを保管できるということです。
2つの母乳バンクの代表を務める小児科医で、昭和大学医学部の水野克己教授によりますと、母乳バンクの認知度は徐々に上がっていて、昨年度は203人、今年度は500人以上の赤ちゃんにドナーミルクを提供しました。

全国にあるおよそ250のNICUのうち、40か所以上でドナーミルクが導入されたということです。

一方で、母乳バンクの運営は企業や個人からの寄付と病院との契約料でまかなっているものの十分とは言えず、ドナーミルクの細菌検査の費用などもかさんでいます。

また都内にしか施設がないので、災害時などのBCPの観点からも各地に母乳バンクを設置する必要があるとしています。
昭和大学医学部 水野教授
「ドナー登録の希望者に対し、保管場所がなく断らざるをえないケースがあったので新たな施設が開設するのはありがたい。これから30年先、40年先の日本を支えていくのは、今日明日生まれてくる赤ちゃんです。

小さく生まれた赤ちゃんが十分な栄養を取れるような環境を整えてあげることがよりよい発達や成長につながるので、“みんなで育てる”という気持ちで支援の輪が広がればいいと思います」

取材後記

584グラムで生まれた陽華ちゃん。

いまは2歳になり、体重は10キロを超えるまでに成長しました。

母親の伸子さんは自身の経験を踏まえ、こう話しました。
伸子さん
「やっぱり最初は自分の母乳を飲ませたいという気持ちは少なからずありました。でも今は母乳バンクを利用させてもらったことを本当にありがたく思って、提供してくれた方にも感謝の気持ちを伝えたいです。

産後すぐに与えてあげるのがすごく大事ですし、私のように判断できないこともあるので、母親だけでなく父親や家族もドナーミルクについて知っておくことが大切だと感じました」
母乳バンクは自分の子どもではないけど、小さく生まれた赤ちゃんに役立ててほしいという母親たちの思いに支えられています。

世界には50か国600か所以上の母乳バンクがあるといいますが、国内では2か所、ドナー登録のための検査ができる施設も19か所に限られています。
(※2022年3月現在)

赤ちゃんを連れた母親がドナー登録のために遠くまで外出するのは大変なので、参加しやすい仕組みづくりも欠かせないと思います。

取り組みが広がって、ドナーミルクを必要とするすべての赤ちゃんに届くようになってほしい。

取材を通してそう強く感じました。
首都圏局 記者
氏家寛子
2010年入局
岡山局、新潟局などを経て首都圏局
医療・教育分野を中心に幅広く取材