ウクライナ人女性 2週間かけ娘が暮らす日本へ避難

ロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めて3週間がたち市民の犠牲が増え続ける中、娘が暮らす日本への避難を目指したウクライナ人の64歳の女性が、18日羽田空港に到着し、家族と再会しました。

日本に避難してきたのは、首都キエフから南東におよそ300キロ離れたクレメンチュクに住んでいたテティアナ・ロパテンコさん(64)です。

18日正午すぎ、羽田空港から入国し、娘の夫のイェブヘン・ファビジブスキーさん(33)の出迎えを受けると、抱き合って涙を流しながら、再会を喜び合っていました。

娘は先月末に初めての出産を終えたばかりで、空港に来ることはできませんでしたが、ロパテンコさんは孫も一緒に写った家族の写真を渡されると、胸に寄せて抱き締めていました。

ロパテンコさんは、今月5日にふるさとの町をバスで出発し、ポーランドとの国境を越え、国際NGOの支援を受けながらワルシャワでビザなどの必要な手続きを終え、およそ2週間をかけてようやく日本にたどりつきました。

ロパテンコさんは「住んでいた町は今のところ大きな攻撃は受けていませんが、毎日のように警戒を知らせるサイレンが未明にも鳴り響いてシェルターに逃げなければいけませんでした。キエフなどではたくさんの建物が破壊されていて、これから町がどうなるのか心配です」と話していました。

そのうえで「多くのボランティアやNGOの人たちに助けてもらって日本に到着できてとても感謝しています。生まれたばかりの孫娘に会えるのが楽しみです」と話していました。

出迎えたファビジブスキーさんは「無事に到着して安心しました。とてもうれしいです」と話していました。

その後、ファビジブスキーさんが自宅で撮影した写真には、ロパテンコさんが娘と抱き合い笑顔を見せたり孫にキスしたりして喜ぶ様子が写っていました。

避難の道のりは長く険しく

ロパテンコさんの避難は、情勢の緊迫化によって何度も計画の変更を迫られるなど、長く険しいものでした。

支援した「日本YMCA同盟」によりますと、ロパテンコさんは、東京の娘夫婦のもとに避難すると決めたあと、まず日本の大使館業務を担う臨時の事務所があったウクライナ西部のリビウに向かう計画を立てました。

しかし、情勢の緊迫化でビザの手続きができないという情報が入り、行き先を変更してポーランド国境の町まで向かうことになりました。

およそ900キロに及ぶバスでの移動は、ロシア軍による攻撃を避けるためにう回路を使わざるを得ず、通常の2倍以上の25時間もかかったということです。

この時の状況について、ロパテンコさんは「夜でもバスの電気を消して進む必要がありました。到着するまで常にロシアから攻撃されるのではないかととても怖かったです」と話していました。

国境を越えたあとも、ロパテンコさんは再び遠回りを余儀なくされます。

ビザの手続きをポーランドのワルシャワで行おうと考えましたが、直行のバスが見つからず、南部のクラクフを経由して向かわざるをえませんでした。

クラクフからは、NGOのヨーロッパのメンバーからつきっきりで支援を受け、ワルシャワに到着したあと、ボランティアの自宅でようやく体を休めることができたということです。

この間、日本のメンバーは必要な書類のデータを準備し、現地のメンバーが大使館に提出するなど手続きを連携して進め、ロパテンコさんはふるさとの町を出てからおよそ2週間かけて日本にたどりつくことができました。

「日本YMCA同盟」の横山由利亜さんは「本人の負担も考えると、日本で受け入れる人がはっきりしていれば、ビザの手続きを簡略化することも検討してほしい。今回、国境を越えてNGOが連携することで日本への避難が実現したので、募金の呼びかけとともに、もっとたくさんの人が避難できるようにサポートを続けたい」と話していました。

また、支援にあたったヨーロッパのメンバーは「現地では数時間後、数日後、数週間後に何が起きるか分からない状況だが、今回のヨーロッパと日本の連帯に勇気づけられている」と話していました。