「こどもホスピス」~子どもの命が輝く場所~

「こどもホスピス」~子どもの命が輝く場所~
窓の外には大きな空。広々とした空間には子どもの笑い声が響いています。横浜市にできたばかりのこどもホスピス。

「子どもの命を輝かせたい」

ある父親の強い思いから生まれました。

(横浜放送局記者 有吉桃子)

思いもよらない宣告

笑顔で写真に納まる田川はるかちゃんです。

25年前の初夏のある朝、はるかちゃんは「頭が痛い」と訴えました。

小児科でかぜ薬を処方されましたが、その後も不調が続きました。

夏も終わろうとするころ、父親の尚登さんははるかちゃんが足を引きずっていることに気付きます。

総合病院を受診すると、医師から「脳幹に腫瘍があり、あと半年ぐらいしか生きられない。家族で楽しい時間を過ごすことです」と告げられました。

「脳幹グリオーマ」という小児がんでした。

田川さんは、6歳の娘に対する非情ともいえる“宣告”をすぐに受け入れることはできませんでした。

残された時間をどう過ごすか

しかし、病気があっても毎日、子どもらしく前に進み成長を続けるわが子を目の当たりにして、徐々に気持ちも変わっていきました。
田川さん
「左手で字の練習をして1週間ぐらいで右手と同じように書けるようになりました。幼稚園の鼓笛隊でピアニカの係でしたが、左手でも上手に弾けるようになりました。病気の中でも前向きに毎日を送っていたことがとても励みになりました」
半年というわずかな時間をどう過ごすか、それが大事だと考えるようになったといいます。
田川さん
「命が半年後になくなってしまうという不安をはるかにもお姉ちゃんにも見せないようにすることをいちばんに、毎日毎日を一緒に笑顔で過ごせるようにしようと妻と話し合って決めました」
はるかちゃんがほしがったハムスターを飼い、はるかちゃんはえさ係になりました。

家族で旅行に行き一緒にごはんを食べて、お風呂に入り、「楽しい時間」を過ごしました。
亡くなる直前には、元気だったころに行った千葉の海にもう一度行きたいというはるかちゃんの願いもかなえました。
田川さん
「同じ所に行きたいって言っていたので、彼女の中でいちばん印象に残っていた場所なんだと思います。帰りの車の中ではずっと眠って、満足した顔をしていました。翌日、息が止まりましたが、本当に亡くなる直前まで楽しく過ごしました」

病児と親を支える場を

田川さんは、はるかちゃんとの思い出を胸に、病児と親を支える取り組みを続けてきました。

イギリス発祥ではるかちゃんのような子どもたちが、家族と一緒に楽しい時間を過ごせる「こどもホスピス」の存在を知り、日本にも作りたいと強く思うようになりました。

実際に動き出してみると、そこには大きな壁がありました。

こどもホスピスは、医療や福祉の制度にあてはまらないため、建設費などを自分たちでまかなわなければならなかったのです。
田川さんは、募金を集めるためにコンサートを開いたり、寄付を呼びかけたりしました。

さらに、行政にも掛け合って助成も受けられることになり建設に必要な2億4000万円を集めたのです。

「こどもホスピス~うみとそらのおうち」

そして、去年11月、横浜市に「こどもホスピス~うみとそらのおうち」が開設されました。

施設には、大きなキッチンや食事スペース、家族で横になれる個室や大きなお風呂もあります。
ここは、命に関わる病気がある子どもとその家族が、看護師や保育士などのサポートを受けながら思い思いに過ごせる場所です。

子どもが笑顔になれる場所

施設の完成を待ち望んでいた人たちがいました。
横浜市に住む5歳の恵麻ちゃんの家族です。

2歳の時に小児がんの一種、神経芽腫と診断されました。

治療のため、延べ2年以上を病院で過ごしています。

化学療法など、大人でもつらく感じる治療を受けてきた恵麻ちゃんですが、弱音をはかないと言います。
母 眞澄さん
「つい最近まで医療的なケアであまり泣いたこともなくて、検査も動かないでと言ったら1時間我慢して、なんで文句を言わないんだろうと思うぐらいけなげに頑張っています」
自宅に戻ることができても、コロナ禍で、幼稚園にもあまり通えず、同年代の友達と遊ぶ機会もほとんどありません。

両親は、そんな恵麻ちゃんが、子どもらしく過ごせる場所を求めていました。

完成した施設の最初の利用者となった恵麻ちゃん。
職員らともすっかり打ち解けて、同年代の友達と一緒に、お菓子作りも体験しました。

また、広い空間で思いっきりかくれんぼをしたり、ブランコに揺られたり、ダイナミックに遊びます。

大きな笑い声をあげ、笑顔で遊ぶ恵麻ちゃんの姿を両親もすぐそばで見守ります。
父 将道さん
「何日も前から楽しみにして、来たら目の色を変えて遊んでいるので、よかったなと思います」
恵麻ちゃんは、再び入院となり、3月いっぱいは治療のために病院で過ごす予定ですが、4月に、6歳の誕生日をこどもホスピスで祝ってもらうのを楽しみにしています。

全国に2か所だけ

全国で難病の子どもは20万人。

このうち、命に関わる病気の子どもは2万人いるとされています。

しかし、病院に併設しない形での「こどもホスピス」は全国で大阪市と横浜市の2か所しかありません。

建設費や運営費をまかなわなければならないことが大きな壁になっているからです。
横浜のホスピスも利用者の負担は1回1000円。

年間の運営にはおよそ4500万円の費用がかかり、個人や企業からの寄付のほか行政の助成も受けて何とかまかなっている状況です。

それでも中心となって進めてきた田川さんは1人でも多くの子どもと家族を支えたいと、前に進み続けます。

原動力となっているのは、亡き娘への思いです。
田川尚登さん
「はるかが私たちのところに生まれてきた意味、過ごしてきた時間がこの建物につながっていたんだなって思います。一緒に自分の心の中で生きているという感じで、やっぱり成し遂げないとと思いましたし、その原動力は今も一緒です」

子どもの命が輝く場所を

「こどもホスピス」の設立を目指す動きは、東京や福岡など各地にありますが資金面などが課題となって具体的には進んでいません。

ただ、国会議員による勉強会が開かれたり、政府が来年の発足を目指す「こども家庭庁」で検討していく方針が示されたりするなど課題解決に向けた動きも少しずつ生まれています。
「こどもホスピス」は、重い病気の子どもとその家族を支えるだけでなく、一人一人の命に向き合い、命を輝かせる場所。

こうした場所が、今後、広がってほしいと思います。
横浜放送局記者
有吉桃子
2003年入局
宮崎局、仙台局を経て政治部、ネットワーク報道部
2020年から横浜局で横浜市政や子育てなどを取材