太宰治が好んで訪れたこ線橋 老朽化などで撤去へ 東京 三鷹

作家の太宰治が好んで訪れた場所として知られる東京 三鷹市の線路の上に架かるこ線橋が建設から90年余りを経て撤去されることになりました。地元では、写真や映像などで、この陸橋の記憶を後世に伝えようという取り組みも広がっています。

撤去されることになったのはJR三鷹駅からおよそ300メートル西側に位置する、全長およそ90メートルのこ線橋です。

昭和4年に当時の鉄道省が建設し、JR中央線や車両基地の上に架かっていて、三鷹市の南北をつなぐ生活道路として長年、地元の人たちが利用してきました。

また三鷹市で晩年を過ごした作家の太宰治が好んで訪れた場所としても知られ、昭和20年代に撮影された写真には、橋の上でたたずむ姿や、さっそうと階段を下りる姿が収められています。

しかし去年6月、こ線橋を所有するJR東日本は、老朽化が進んでいることや、南北をつなぐ地下道が近くにあることなどから撤去する方針を示し、市と協議を重ねてきました。

三鷹市によりますと、JRからは文化的価値を重視する市に無償で譲渡するという提案もあったということですが、耐震改修工事や維持管理に多額の費用がかかることから、市は辞退し実現しませんでした。

撤去が始まる時期は、まだ決まっていませんが、こ線橋がなくなる前に、その姿を見ておこうという人が相次いでいます。

60代の男性は「太宰治も、ここを気に入っていたという歴史があるので、なくなってしまうのはちょっとさみしいです」と話していました。

また、30代の男性は「90年以上、いろいろ人が歩いたと思うと感動するし、太宰と同じ風景を見ているんだ思うとちょっとドキドキします」と話していました。
地元では、こ線橋の記憶を後世に伝えようという取り組みも広がっています。

こ線橋のすぐ近くにあり、市内の太宰ゆかりのスポットを紹介するなどしてきた印刷出版会社は、こ線橋のこれまでの歩みを記録した新たな冊子を作ることを決めました。

去年12月、会社のホームページで、こ線橋の昔の写真を募集したところ、これまでに4人から寄せられました。
このうち、昭和31年に撮影された写真には、地域の子どもたちが集まって遊んでいる様子などが収められ、こ線橋が生活に溶け込んでいたことがうかがえます。

この会社では社員たちも、こ線橋の写真をこまめに撮り続けているということで、撤去される最後の時まで、その姿を見届けたいとしています。
印刷出版会社「文伸」の川井信良会長は、「富士山がよく見え、電車が次々に通るのを上から見るのは気分がよく、通勤の時、あえて遠回りして渡ることもある。ここに、こ線橋があったという記憶をしっかり残していきたい」と話していました。

また、三鷹市は、こ線橋の階段の一部をJR東日本から譲り受けて、今の場所で保存したり、こ線橋全体をVR=バーチャルリアリティーの映像で記録したりする取り組みを進めていくことにしています。