津波で全部流された でも“山はある” 三陸で林業に挑む

津波で全部流された でも“山はある” 三陸で林業に挑む
「津波で全部流されたけど山は残っている。山の木を使って自分の家を建てたい」

東日本大震災の被災者の言葉をきっかけに林業を始めた男性が宮城県南三陸町にいます。南三陸は、ワカメやホヤ、今が旬のたらなど、三陸の海の幸のイメージが強い町なんですが、今、林業が注目されているんです。
「林業を新たな産業にして、町を活性化させたい」
震災のあと、町に移住してきた人たちが取り組む、新たな林業のスタイルを取材しました。(仙台放送局記者 武藤雄大)

震災で南三陸町は

「テレビに映る親戚の家のあった場所は海になっていた」

11年前の震災当時、東京のログハウスメーカーで働いていた渡辺啓さん(47)は、発災直後に見たテレビの映像をこう振り返りました。

祖母の家があり、子どものころに何度も遊びに行った南三陸町。震災では、関連死を含めて800人を超える人が犠牲になりました。
町内の多くの家屋が津波で流されるなど、甚大な被害が出ました。

仕事を辞めて南三陸に移住

発生から1か月近くが過ぎた4月4日。
渡辺さんは、東京から車で南三陸に向かいました。

多くの親戚の家は流され、中には、行方が分からない人もいたといいます。
渡辺啓さん
「前に来た場所がどこだったかも分からないほど、すっかり変わってしまっていた。橋もいくつも落ちていた。集落が壊滅していて、もうどこを走ってきたかもわからないという衝撃もあった」
2泊3日で町の様子を見に来た渡辺さんは、住民や町の職員から「長い期間助けてくれる人がほしい」と声をかけられます。

一度は東京に戻ったものの、仕事を辞めて長期のボランティアに取り組むことを決意します。

6月には、住民票を移して正式に南三陸に移住。
避難所運営のリーダーとして、被災地の復興のために汗を流しました。

全部津波に流された でも“山はある”

本格的にボランティアを始めて1年が過ぎたころ、渡辺さんは、津波で被災した住民から、住宅の再建に向けた相談を受けるようになります。

「津波で全部流されたけど山は残っている。山の木を使って自分の家を建てたい」

被災者から聞いたこの言葉。
渡辺さんが林業を始めるきっかけとなりました。
三陸の海のイメージが強い南三陸ですが、実は、町の77%を森林が占めています。
山を所有しながら漁で生計を立てている漁業者もいます。

渡辺さんは、津波に流されずに残った森林を活用して町に貢献できないかと考えたのです。
渡辺さんは、地元の製材所や建設会社を巻き込んで、地元の木材を使って、住宅の再建を目指す有志の会を設立。

林業に携わっている人の手伝いをしながら、自分も岩手県などに通って林業の基礎を学び始めました。
2014年には合同会社を立ちあげ独立。

いまでは近所の人など7軒から委託を受けて、約30ヘクタールの山林を管理するまでになりました。

目を付けたのは 新スタイル“自伐型林業”

移住してきた、いわば素人の渡辺さんがどうして林業を本格的に始めることができたのか。

それは「自伐型林業」という新たなスタイルを取り入れたことが大きかったといいます。

全国の各地で、林業の担い手確保が課題となるなかで、注目が集まっている「自伐型林業」。多くの作業員が集まって大型の機械で伐採する従来の方法とは異なり、個人や少人数のグループで作業を行います。
一面すべての木を切る「皆伐」はせず、必要な分だけを伐採し出荷するスタイル。
チェーンソーや軽トラックなどの比較的軽微な装備でも作業できるため、新規参入がしやすいのも特徴です。

兼業も視野に入れた幅広い働き方も可能で、若い世代にも広がっています。

自伐型林業推進協会によると、「自伐型林業」は、50以上の自治体が、参入を考えている人の研修費や保険代を補助するなどの支援をしています。

2016年ごろから始める人が増え始め、今では、全国で2500人以上が取り組んでいるといいます。
30代から40代を中心に年々増加しているんだそうです。

宮城県によると、県内では少なくとも80人近くが「自伐型林業」に取り組んでいるということです。

南三陸の北隣にある気仙沼市でも、こうした林業のスタイルを取り入れて、移住を決めた人もいて、県としても、さらにこうした働き方を支援し、林業の担い手不足や移住促進につなげたいとしています。

持続可能な林業を目指して

林業を始めて改めて、放置されている山林が多いことを感じた渡辺さん。
林業を持続可能なものにしていくためには、すそ野を広げることが大切だと考えました。
「自伐型林業」に一緒に取り組んでくれる人を増やすため講習会を開催し、これまでに15人ほどが渡辺さんの指導をきっかけに、県内で林業を始めました。
渡辺啓さん
「裾野を広げるには、とにかく若い人がボランティアやほかの仕事をしながら週末だけ、ちょっとでも山に入ってやってくれることが当たり前になっていくのがいい。色んなスキルを持っている新規参入者が知見を生かしてどんどん広げていくというスタイルにしたい」

震災からの歩み 伝えたい思い

渡辺さんが講習会で必ず話すことがあります。
震災後に、みずからが見たり聞いたりした南三陸の姿です。

林業体験を通して震災からの歩みや防災の大切さも伝え続けたいと考えています。
渡辺啓さん
「林業体験は、この地区に津波があったことや、津波警報が鳴ったら逃げる場所などを伝えることから話を始めている。すると、それまで林業のことしか考えていなかった人が、自分事として捉えてくれるようになるので。災害は非日常ではなくて、ふだんの日常のなかにあって、自然はものすごい恩恵も与えてくれるとともに、時には被害も与えるし、それと付き合っていっていかなきゃいけないことを感じてほしい」

広がり始めた林業の裾野

南三陸町によると、記録が残る平成28年度からことし1月までに移住した人は100人余り。
東京出身の大場黎亜さん(31)もその1人です。
結婚を機に5年前に移住しました。

渡辺さんに出会ったことがきっかけで、去年から林業を学び始めました。
大場黎亜さん
「春夏秋冬で足の裏で感じる感触も違ったりするので、すごく五感が活性化される。“地域の森をきれいにしていこう”とか“地域の里山を守ろう”という意味であれば、マイペースで自分なりの森との関わり方があってもいいと思うし、本格的に林業に関わる人にも『仲間が増えてうれしい』と言ってもらえることに可能性を感じている」
大場さんは、移住前、まちづくりに関するアドバイザーとして、全国の自治体と関わってきました。
自分の経験と林業を掛け合わせて人づくりや町おこしすることを目指し、3月1日に一般社団法人を立ち上げました。

これまでの林業の常識にとらわれないやり方を模索していこうとしています。

建築材にならず山に放置されていた細かい木々をアウトドアブームで需要が高まっているまきとして売り出すほか、地域の子どもたちなどにまき割り体験をしてもらうプランも考えています。

地元の企業や行政、プロの林業家など、さまざまな人たちに声をかけ、1人でも多くの人たちといっしょに林業が抱える課題に向き合っていこうとしています。
大場黎亜さん
「いきなり山を買うのはハードルが高いというメンバーといっしょに、将来担い手がさらに減った時に、自分たちでできる人材を増やすような活動がしたい。何か思いを一緒にできる人たちが、問題の解決や楽しいことに取り組む仕組みができたら、森も身近なものに感じられるかもしれないと思います。南三陸の良さを発信しつつ東北をはじめ、全国のほかの地域を元気にするモデルになったらいい」
東日本大震災をきっかけに南三陸町に移住した渡辺さんと大場さん。

こうした移住者が元から住んでいた人とともに地域の課題を解決しようとする姿は被災地だけではなく、人口減少が進むあらゆる地域の参考になるかもしれません。

2人が取り組む新しい林業のスタイルは、三陸の山を、そして地域の暮らしを、どのように変えていくのでしょうか。
今後も注目していきたいと思います。
仙台放送局記者
武藤雄大
平成29年入局
山形局を経て
2021年11月から仙台局。
現在は宮城県政など行政取材を中心に担当。