【現地は今】ウクライナ9歳男の子「戦争は来ないと思ってた」

「ぼくはウクライナに戦争は来ないと思っていた」

これは、ウクライナから隣国のポーランドへ避難した9歳の男の子が日記に書き留めたことばです。

ロシアによる軍事侵攻でウクライナから国外へ逃れた人は増え続けていて、これまでに170万人を超えました。逃れてきた人たちはどんな状況に置かれているのか。ポーランドで取材を続ける曽我太一記者に聞きました。

これまでにどれほどの人たちが避難した?

UNHCR=国連難民高等弁務官事務所のまとめによりますと、ウクライナから国外に避難した人の数は6日時点で173万人に上っています。

このうち半数を超える102万人がポーランドへ避難。

このほか、▽ハンガリーが18万人▽スロバキアが12万人▽モルドバが8万人▽ルーマニアが7万人などとなっています。

ポーランドで取材をした避難者のなかには、数日かけてモルドバやルーマニアなど複数の国を経由しながら、さまようようにポーランドにたどり着いた人もいました。

国境の様子は?

現地は連日氷点下にまで冷え込みますが、ポーランド側の検問所には昼夜を問わず、ウクライナ各地から徒歩や自家用車で避難してきた人たちが到着しています。

目立つのは、避難してきた子どもと母親たちの姿。

ウクライナでは防衛態勢の強化のため、男性の出国が制限されているからです。

父親たちは避難していない?

多くの家族は、父親がウクライナ国内に残ったままになっていて、離ればなれでの避難生活を余儀なくされています。

ウクライナ南部の都市・ヘルソンから5歳の娘と9歳の息子を連れて避難してきたナターシャ・ビグレンコさんです。
国境に近いポーランドの町で、一緒に逃げてきた親戚と、友人が借りてくれたアパートの一室で避難生活を送っています。

ナターシャさんは、ヘルソンで夫と子どもたちと平穏な生活を送っていました。しかし、ロシア軍の侵攻が始まった2日後の26日、避難を決断。車でポーランドの国境をめざしました。

避難する際にはロシア軍の戦車を見かけたと言います。
途中で攻撃を受けないよう、フロントガラスにはロシア語で「子ども」と表示しました。

夫のオレクシイさんはポーランドとの国境までナターシャさんと子どもたちを送り届け引き返しました。

引き返した夫の安否は?

最新の状況はわかりませんが、ナターシャさんに話を聞いた2日の時点では、テレビ電話で夫のオレクシイさんと連絡がつき、無事が確認できました。

オレクシイさんはウクライナ南部のオデッサで、ほかの人たちの避難を手助けしているということです。

ナターシャさんは、娘と息子を抱き寄せながら、電話越しのオレクシイさんに「気をつけて。愛している」と語りかけていました。

子どもたちの状況は?

ナターシャさんの息子のプラトーン君(9)は、私たちに話をしていると感極まって時折涙を浮かべる母親の隣にいて、優しくなでたり、涙を拭ってあげたりするような優しい子です。

明るく振る舞っていますが、軍事侵攻をきっかけに書き始めたという日記には子どもながらに感じた恐怖がつづられていました。

(プラトーン君の日記)
「プーチンが近づいている。
ぼくはウクライナに戦争は来ないと思っていた。

冬の日、2022年2月24日にウクライナで戦争が始まった。最初は信じられなかったけど、本当だった。

おばあちゃんから電話がきた。
僕たちは怖くて心配していた。
ロシアの戦車がおばあちゃんとおばさんの住む街を包囲した。一緒に避難したかったけれど、できなかった。

パパは避難用のスーツケースを用意してと言ってテレビのニュースをみた。パパはとても緊張していると思った。
ぼくたちは避難用のスーツケースを用意したけど、避難するとは思わなかった。そのあとぼくも緊張し始めた」
母親のナターシャさんはプラトーン君のかたわらで涙ながらにこう訴えましたー。

「戦争を止めてください。人が亡くならないように。再び家族が一緒に暮らせるようにしてください。そうすれば、子どもたちはパパやママと一緒にいられます。私たちウクライナ人は戦います。プーチンを止めるためだったらどんな手でも使います。私たちには世界中の手助けが必要です」

避難した人たちへの支援は?

国境周辺だけでなく、ポーランドの各都市では、避難してきた人たちを手助けするボランティアや支援物資などが集まっています。

国境近くの町プシェミシルでは、ショッピングセンターが支援拠点になっていて、スープなどの温かい食べ物や飲み物、それにおむつや医薬品などが用意されています。
また、ドイツやベルギー、エストニアやデンマークといった国の都市名を書いた紙を掲げて、そうした都市への移動を手助けしようとするボランティアもいます。

ポーランド語がウクライナ語に近いということもあり、現地の人たちが積極的に支援し、避難した人たちが一様に、感謝の意を述べているのが印象的です。

避難した人たちの話を聞いて感じたことは?

ポーランドに避難する人は連日増え続けていて、6日には1日で14万人が入国しました。

そうした人たちに話を聞くと、ウクライナ南部の都市や、ロシアとの国境近くの都市では、ロシア軍に支配されていたり、包囲されていたりするため、避難ができていない人たちが数多くいるという話を聞きます。
黒海沿岸の港湾都市で東部の要衝とされるマリウポリ出身の32歳の女性は、マリウポリに住む妹に今月2日に送ったSNSのメッセージが既読にすらならず、安否の確認ができないと話していました。

避難した人たちは、みな不安を募らせ、胸が張り裂けそうな思いで、この戦闘が終わることを願っています。

そして、多くの避難者から「私たちは普通に暮らしていただけなのに、こんなことが21世紀に起きてよいのか。とにかくいまウクライナで起きていることを伝えて欲しい」と言葉を投げかけられました。

多くの家族が引き裂かれた今回の人道危機を一刻も早く終わらせるためにも、一人ひとりが声をあげ、国際社会が一丸となって対応していくことが必要だと感じています。