ソビエト、ナチスに翻弄されてきた一家 ウクライナ司祭の祈り

ソビエト、ナチスに翻弄されてきた一家 ウクライナ司祭の祈り
東京都内の教会に、いま多くのウクライナの人々が集まって祈りをささげています。
司祭を務める男性は、かつて祖父母をソビエト当局に処刑されました。両親はナチス・ドイツによってウクライナから連れ去られ、戦後アメリカに逃げのびました。
ウクライナの苦難の歴史に翻弄され、遠く日本へたどり着いた男性。ロシアの軍事侵攻が始まったことを知り、人目もはばからず嗚咽しました。

日本で1人 ウクライナ正教会の司祭

「ウクライナから手を引け!」
ロシア軍の侵攻が始まる直前の先月23日、東京のロシア大使館前では抗議集会が開かれていました。

集まったのは青と黄色のウクライナ国旗を掲げた在日ウクライナ人およそ30人。

ロシアの不当性と国際社会の支援をメディア関係者に口々に訴えました。
ちょうど同じ時、300メートルほど離れた教会で一人の司祭が祈りをささげていました。

日本でただ1人のウクライナ正教会の司祭、ポール・コロルークさんです。

抗議集会に集まったウクライナ人たちが休憩をとれるように特別に教会を開けました。
ポール・コロルーク司祭
「ウクライナ正教会は民族のアイデンティティーを守り続けた存在です。教会はどんなときでもウクライナ人が平和な気持ちになり、自分たち自身でいられる場でありたい」
ウクライナ系アメリカ人のポール司祭は30年あまり前に来日し、普段は東京都内の国際特許事務所に勤めています。

司祭の仕事は 月に2度、日曜日にボランティアで行っています。

家族の運命は、激動のウクライナの現代史の中で翻弄されてきました。

ソビエト、ナチスに翻弄されてきたポール司祭一家

第2次世界大戦中、ポール司祭の一家はウクライナ西部に住んでいました。

当時ウクライナは激しい内戦を経て、ソビエト連邦の一部になっていました。

ただ共産主義に対しての抵抗が激しかったため、ソビエト当局はウクライナの人々を潜在的に危険視していたといわれています。
1941年。ポール司祭の祖父と祖母は、理由もはっきりしないまま、ソビエト当局に処刑されてしまったのです。
祖父母が処刑されてまもなく、ナチス・ドイツのソ連侵攻がはじまりました。

すると、ウクライナ人の置かれた状況はさらに悪化します。

国土のほとんどが戦場となった上に、住民が労働力としてドイツに連行されるようになったのです。
ポール司祭の両親もナチス・ドイツによってドイツに送られてしまいました。

この時期にドイツに連れていかれたウクライナ人は数百万人にも上ると指摘する専門家もいます。

戦争が終わってウクライナに戻りたくても、ソビエト当局に「裏切り者」として処刑されるか、シベリアの収容所に送られる危険が待っていました。
そこでポール司祭の両親が選択したのが、アメリカへの移住でした。

ニューヨーク州北部、ウクライナ移民が集まる小さな町でポール司祭は生まれました。

異国の地で、安らぎを感じたのが教会だったといいます。

亡命者たちが建てた教会でウクライナ語の礼拝を聞き、移民たちと交流して育ってきました。

ソビエト崩壊 教会は在日ウクライナ人のよりどころに

成長したポール司祭は、合気道に関心を持ったことをきっかけに1988年に来日しました。
3年後の1991年。ソビエト連邦が崩壊し、ウクライナは念願の独立を達成しました。

「興奮しました。私の生涯の中では起き得ないと思ったから」とポール司祭は述懐します。
独立したウクライナはNATO=北大西洋条約機構や、EU=ヨーロッパ連合への加盟を求めるなど、“ロシア離れ”を模索し始めました。
宗教面でも、ロシアとの隔たりが生まれるようになったといいます。

当時、日本にいるウクライナ人は「ロシア正教会」に通っていました。

両国の間に政治的な隙間ができるにつれ、ロシア人の多い教会に行きづらい雰囲気になり、日本でも「ウクライナ正教会」に属する教会が欲しいという要望が高まり始めたのです。

しかし、祖国から司祭を呼び寄せることは経済的に困難でした。

そこでポールさんが志願して数年にわたり神学を学び、司祭となったのです。
ポール・コロルーク司祭
「これまでウクライナ人とロシア人はうまくやっていましたが、ロシアの近年の行動でそうしたことは難しくなりました。我々は他の人々よりも優れているわけではありません。でも私たちがあるがままでいられ、親たちが使っていた言葉で子どもたちと遊び、同じように神に祈ることができる場所が必要なのです。それだけが望みです」

突然の軍事侵攻 涙にくれて捧げる祈り

穏やかに祈りたいというポール司祭の願いは、先月24日に打ち砕かれました。

ちょうど都内の公園でポール司祭と一緒に昼食をとっていた時、私のスマートフォンにロシアによるウクライナへの全面的な軍事侵攻が始まったという一報が入りました。

ポール司祭は言葉少なに食事を終え、おもむろに「向こうの橋の上で賛美歌を歌います」とつぶやきました。

ポール司祭は公園の池にかけられた橋の中ほどまで歩き、ウクライナがある西の方角に向かって歌い始めました。
「偉大なる神よ ウクライナを守り給え…」

しかし、途中で嗚咽が止まらなくなり、最後まで歌い終わることができませんでした。
司祭は「わからない、どうして今の時代に意味のない戦争を行うのか」と小さく叫びました。

「こんなことが起きるなんて、私の想像力が足りなかった…」とむせび泣くその姿に、私は、かける言葉が見つかりませんでした。
ポール司祭はいま、信徒以外の在日ウクライナ人にも広く呼びかけ、礼拝を続けています。

故郷の家族が無事で、一刻も早く平和が訪れてほしい。
願いは届くと信じ、悲痛な思いで祖国への祈りを捧げています。

元「NHKロシア語講師」もロシアと決別

日本に暮らすウクライナ人はおよそ2000人。ポール司祭の礼拝は、多くの人々にとって祖国との絆を感じる拠り所になってきました。

日本に住んで26年になるオクサーナ・ピスクノーワさんもその1人です。

ピスクノーワさんはかつて「ロシア語」を生活の糧にしていて、NHKのロシア語講座に講師として出演していました。

今では「ロシアの影響から自分を切り離したい」という強い想いを抱いています。
ロシア語が多く使われるウクライナ東部のドネツク州出身で、ロシア語の教師や通訳の仕事をしてきたピスクノーワさん。

決別する転機となったのは8年前のことでした。

2014年、ロシアは一方的にクリミア半島を併合。

さらに生まれ故郷のドネツク州の一部が、ロシアの支援を受けた武装勢力に事実上支配される事態となったのです。
オクサーナ・ピスクノーワさん
「まさかロシアとの戦争になるなんて信じられなくて、でもそれが現実に起きてしまいました。ロシア軍、ロシアの兵器、ロシアの兵隊が私の隣人や母の同級生を殺し始めたということが起きて、ロシアと決別したいという気持ちが強くなりました」
ピスクノーワさんはロシア語関係の仕事をやめ、知人と話すときはもっぱらウクライナ語を使うようになりました。
次の世代はロシア語ではなくウクライナ語をきちんと学ぶべきだと痛感しています。

ソビエト時代にウクライナ語教育がないがしろにされてきたと考えているからです。
そこで仲間と一緒に都内で月二回、日本で暮らす若い世代のウクライナ人を対象として祖国の言葉や文化などを教える教室を始めました。

教室には2歳の子どもも参加しています。

ピスクノーワさんは、「皆、ウクライナ語を話してウクライナのことが大好きで、ここにいると本当にほっとする」と意義を語っています。
いま最も気がかりなのは、ウクライナに残る母のことです。

8年前に「親ロシア派」が支配するようになって以来、首都キエフ近郊に避難しています。

ロシアの軍事侵攻の直前、オクサーナさんは母リディヤさんと再三ビデオ通話をしていました。
ピスクノーワさん「周りの状況はどう?」

母 リディアさん「人は少ないけれど、歩いているよ」
母と話すときには、今もロシア語を使っています。

母リディヤさんはソビエト時代のロシアに生まれ、ウクライナに移り住んでからもロシア語を使って生活してきたためだといいます。

プーチン大統領は、「ウクライナではロシア語を話す人の差別が法制化されている」と主張していますが、リディヤさんはウクライナでロシア語を使って生活しても、差別も不自由もないといいます。

ロシアの脅威を目前にしながらも、ウクライナへの強い思いを口にしました。
母 リディヤさん
「ウクライナに住んで50年、私はずっとウクライナを支持しています。ロシアなど支持しません。2014年からずっと戦争です!悪夢ですよ」

「力を貸してほしい」日本への願い

ロシアの軍事侵攻が始まり、戦火に包まれる祖国を目の当たりにしたピスクノーワさん。

「自分たちが発信しなければ世界に惨状が伝わらない」と寸暇を惜しんで日本のメディアの取材に協力し、ウクライナ支援のデモにも参加してきました。

先月末、日本に暮らすウクライナ人など数百人が東京・渋谷の駅前に集まり、ロシアの軍事侵攻に抗議する集会を開きました。

マイクを握ったピスクノーワさんは、怒りを込めて訴えました。
オクサーナ・ピスクノーワさん
「私たちの力だけでは足りません。皆さんにぜひ日本の政府に訴えて強い経済制裁を願いたいです。日本の人たちはウクライナのことを遠い問題と思っているかもしれませんが、そんなことはありません。日本はロシアの隣国なんですから」
日本は欧米などと協調してロシアに対し空前の規模の規模の経済制裁に踏み切っていますが、ロシア軍が戦闘を停止する気配は見えません。
終わりの見えない祖国の惨状に、多くの在日ウクライナ人が強い衝撃と憤り、そして悲しみを抱いています。

私たちにできることは、ウクライナの現状から目を背けないこと。

苦しむ人々に心を寄せ、罪なき人々の命を奪う軍事行動を決して許さないこと。

世界中が連帯を示すことが、ほんのわずかでも軍隊の侵攻を押しとどめるブレーキになることを願わずにはいられません。
国際放送局ワールドニュース部 チーフディレクター
高橋 英輔
1994年入局
千葉局、報道局政経・国際番組部などを経て現職
国際情勢を幅広く取材
国際放送局ワールドニュース部 ディレクター
中西 英晴
2019年入局
現在は在日外国人の話題を中心に取材