46万人の“事前避難” をどうする?

46万人の“事前避難” をどうする?
「大規模な地震が起きる可能性がふだんより高まっています」という臨時情報が出たら、あなたはどうしますか?

あらかじめ避難しよう、と思うでしょうか。

いつか訪れるかもしれない“その時”にどう行動するか、考えてみませんか。
(南海トラフ地震臨時情報 取材班)

間一髪?注目浴びた緊急会見

ことし1月22日の明け方。東京・虎ノ門の気象庁で開かれた緊急会見では、いつになく“南海トラフ”という単語が飛び交いました。
記者:南海トラフとの関連性について現時点でどういう判断か?

気象庁「評価検討会を開くのは、余裕をみて(マグニチュード)6.8以上になっている。そこには達していないというだけです。今のところは」
記者:想定される南海トラフ巨大地震とは発生のメカニズムも違うのでしょうか?

気象庁「今後の調査によるが、起きている地震をみるとプレート境界がすべったようには見えない」
この日の午前1時すぎに宮崎県と大分県の沖合、日向灘で発生した最大震度5強の地震では、地震の規模を示すマグニチュードは速報値で6.4、その後6.6に更新されました。

南海トラフ地震との関連を調べることを伝える「臨時情報(調査中)」が出るマグニチュードは速報値で6.8以上。あとわずか、というところでした。

この地震が起きた直後、防災担当記者は、SNSで届く緊急地震速報のマグニチュードの数字に目がくぎづけとなり、「ついに初めての発表か」と身構えていました。

いつ起こるか分からない、でも避難?

臨時情報をめぐっては、SNSでも「出なくて良かった」という声もあった一方、「出る前に知っておかないといけない」などと改めて注目が集まりました。

なぜそれだけ注目を集めたのか。

臨時情報は、場合によっては、地震が起きる前の“事前避難”も求められるほど、大きな意味があるからです。
臨時情報には「巨大地震警戒」と「巨大地震注意」の2つがあり、検討が始まると臨時情報「調査中」が出ます。
マグニチュードが6.8以上の地震が起きると「調査中」が発表されます。
今回注目が集まったのは、このためです。
“事前避難”などの大規模な対応が求められるのはマグニチュード8以上の巨大地震が起き「巨大地震警戒」が発表された場合です。
南海トラフの巨大地震は、想定震源域が一度にすべてずれ動くばかりではありません。
東南海~東海にかけての震源域の半分で巨大地震が起きたあと(=半割れ)、続いて残り半分で地震が起きるということが過去も確認されています。

見えてきた大規模“事前避難”の可能性

事前避難が求められるのは地震が起きてからでは津波からの避難が間にあわない地域に限りますが「具体的な対象地域は自治体が決める」という国の方針もあり、情報が導入されてからもなかなか指定が進みませんでした。

臨時情報のスタートから3年。私たちは、検討を求められている関東から九州の139市町村にアンケート調査を実施し状況を調べました。

その結果、9割が検討を終え、全体状況が見えてきました。
赤色で塗った市町村は事前避難の地域の指定を終えたところ、つまり臨時情報「巨大地震警戒」が出た場合に事前避難を呼びかける地域がある市町村です。

全体の57%と半数以上です。

それぞれの自治体に事前避難の対象者をたずね、回答された数字をあわせると46万3650人に上りました。

中には「具体的な人数は算出できない」と答えた自治体もあり、実際はさらに多くなるとみられます。
こちらは、事前避難の対象者を人数別に分類したものです。

赤色で示した1000人以上の市町村が最も多くみられます。

紫で示したのは1万人以上。

情報の特性から考えて、すべての市町村で一斉に事前避難をすることはないとしても、かなり規模の大きな避難行動になるということが想像できます。

避難所が足りない!

避難の対象地域の指定が進んだことによって、具体的な課題も浮かび上がってきました。

どこに避難するか、という問題です。
事前避難の避難所を十分確保できるかたずねたところ、見通しも含めて「確保できない」と答えたのは40%に達しました。

いずれも事前避難の対象者が1000人以上の市町村で、設置する予定の避難所の定員を上回っていることが最大の理由でした。
アンケートの回答で厳しい状況がうかがえた自治体を訪ねました。

震源域に近く、1メートルの津波が到達するのにわずか3分しか かからない和歌山県那智勝浦町。

対象は住民の6割、8000人にものぼります。

海と山に挟まれた地域に住宅が密集していて、避難所は当然、足りません。
このため、検討しているのは、町内の宿泊施設を避難施設として利用することです。

大雨の際に宿泊施設にも分散して避難できる仕組みを作ったことがベースになっています。

ただ、費用負担はどうするのかをはじめ、宿泊客がいた際はどうするか、など解決すべき課題は山積みだということです。
那智勝浦町 総務課防災対策室 増田晋 室長
「これ以上この地域で避難所を増やすのは限界があります。国や県とも連携しながら、どういう対策が必要なのかを整理していく必要があると思います」

地震は起きる可能性があるが“できる限り社会活動を維持”

このように説明していくと「沿岸の一部の人たちだけの問題?」と思われるかもしれませんが、残念ながら違います。

事前避難が求められるときというのは、南海地方や東海~東南海地域でマグニチュード8クラスの巨大地震が起きている段階です。

激しい揺れと高い津波が襲い、それだけでもすでに全国に大きな影響が及んでいますし、すでに避難する人も出ています。

その状況で「別の地域で巨大地震が起きるおそれがある」と言われるわけです。
南海トラフの影響を受ける範囲は、“太平洋ベルト”と重なるように広がっています。

混乱が広がれば日本経済全体にも大きな影響を与えかねません。

津波で浸水しない地域も激しく揺れるところがあります。

被災をなるべく防ごうとすれば、出張など遠距離の移動は避けるという判断になるかもしれませんし、高齢者の方は、外出も心配になるかもしれません。

地震後を考えて買い物をしておいたほうが、とか、会社は休みにしたほうが良いのか…とか、気になることは次々に出てきます。

しかし、この情報は不確実性が高いもの。1週間以内に必ず地震が起こるわけでもありません。

2年後だった例もありますし、国は「1週間以内に地震が起きる確率は10数回に1回程度」としています。

「十中八、九は外れる」ことになります。

そのため国も「社会全体としては、行政や企業ができる限り社会活動を維持している必要がある」としています。

避難する場合も、基本的には着るものや食料は自分で準備することとされています。

影響は全国に及びそうですが、事前避難する地域はより深刻です。

自治体にどんな懸念があるか複数回答で尋ねたところ、最も多かったのは「情報が浸透していないことによる混乱」でした。

自由記述欄には予想以上に率直な声が寄せられました。
「実際に情報が発表されたらパニックに陥る市民も多数いると予想される。どの程度社会活動を維持出来るのか不明」
「独り暮らしの高齢者が多く、すべての避難所の近くに飲食店やコンビニがあるわけではない。町の備蓄を配給する流れになりかねない」
「役場の多くの職員を避難所運営や物資輸送に費やす必要があり、本来の行政サービスを継続することは困難となる」

“どうする?私!”考えることから

この情報を生かしていくことはできるのか。

私たちが話を聞いたのは、住民の避難行動を研究してきた京都大学防災研究所の矢守克也教授です。

矢守さんは「これまでの普及啓発活動には、決定的な所が抜けています」と指摘しました。
京都大学防災研究所 矢守克也教授
「自治体の多くは啓発活動に力を入れていると答えていますが、内閣府や気象庁がガイドラインなどとして提供している基本的な説明を住民に、いってみれば“流している”だけです。『臨時情報が出たときに私の町には、わたしたちの生活にはこんなことが起こるんですよ』っていうことをちゃんと住民や企業に伝えるという努力が必要なんです」
“私たちの暮らしに何が起きるのか”考えるきっかけになればと、矢守さんの研究グループは最大34メートルの津波が想定される高知県黒潮町の高校生たちと協力して動画による教材を作りました。
離れた地域で巨大地震が起きたことや臨時情報の発表を知らされるまでの流れがアニメーションで紹介され、自分が商店を経営していたら、福祉施設の担当者だったら、など、置かれている状況が説明されます。

そこで「お店を続けるか」「閉めるか」といった選択を迫られます。

身近で、切実な問題を取り上げ、自分の立場に引き寄せて考えてもらうのが狙いです。

矢守さんは、完成した動画を早速黒潮町の住民や役場職員に見てもらいました。
「福祉施設の担当者をしていて、お年寄りの事前避難の受け入れを頼まれたら」という部分では、本来、避難を依頼する側の町役場の担当者も判断の難しさを口にしました。
このほかにも、海岸沿いに暮らしている人が避難所で過ごしていたら、地震のないまま1週間が過ぎた、という動画もあります。

帰宅するのか、もうすこしとどまるのか、とどまるとしたらいつまでか…。正解のない問題ばかりであることに改めて気づかされました。
黒潮町職員
「役場としては避難者を受け入れてと言いたいところだけど…施設側にたつと通常のサービスもあるのに、ほかにも受け入れられるのか、不安を感じますね」

“起きるか・起きないか”ではなく“両にらみ”の対応で

矢守さんは、臨時情報の対応を考える上では、いまのコロナ禍の対応が生きてくると考えています。
京都大学防災研究所 矢守克也教授
「コロナ禍で多くの方が『確実な情報はないんだ』っていうことを身にしみて感じたと思います。明日仕事に行くか行くまいか、子どもは学校に行って良いのか、皆さん“わがこと”として悩まれていると思います。なかなか正解がない問題があると多くの方が体感し、絶対の正解はないけど少しでもいい社会をみんなで考えようという試行錯誤をここ数年続けてきた。同じことは臨時情報が出た時に絶対に起こるんです」
地震が起きるか起きないかの「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」=「両にらみ」の対応が必要なのだと強調しています。

両にらみの対応選んだ自治体

地震と日常生活の“両にらみ”を模索している自治体として、私たちは高知市を訪ねました。
高知市では沿岸部5000人余りに事前の避難を呼びかける計画ですが、浸水するおそれのある範囲が広いため、完全につからない避難所は、高台ばかりで、市街地からは遠い場所ばかりです。

臨時情報が発表された場合、中心部への通勤のほか、高齢者の通院をどうするかも考えなければなりません。

そこで高知市は、日常生活とのバランスを考えた避難所も設定することにしました。
安全を最優先させた高台などの避難所に加えて、周囲が浸水したとしても、上の階はつからず、命は守れるところを“特別基準”の避難所として開くことにしたのです。
住民には、自分の状況に応じて避難所を選んでもらいます。
まさに地震と日常生活を“両にらみ”で対応しようという試みです。
高知市防災政策課 大野賢信係長
「臨時情報は予知ではなくいつ地震が起きると確実にいえない中で仕事を抱えている人もいます。通常の生活と防災対応のバランスをとるために、とにかく高台で命をまもるのか、最低限命を守りながら生活も優先したいのか、選択できるようにしていきたい」

新たな“課題“ではなく“糸口”に

自治体の事前避難の指定がおおむね終わり、対応は避難所の確保や日常生活の維持といった次の段階に移行しているといえます。

矢守教授は、私たちも、行政も新たな課題が増えたと考えるのではなく、対応を進めることが、結果的に被害の軽減につながる、と指摘します。
京都大学防災研究所 矢守克也教授
「臨時情報に詳しくなるほど必ず情報が出ると思ってしまう人も一定数いるが、前触れが無く巨大地震がやってくることも当然あって両方に備えなければいけない。しかし両方に備えることは全く矛盾しない。例えば事前避難先を考えることで自治体の避難所のキャパシティーや環境の改善の必要性にも気づくことになる。臨時情報への対策を一生懸命やれば突発的に地震津波が起こった場合にも役立つことばかりでマイナスになることは1つもない。行政側も新たな課題や余計な仕事が増えたのではなく地震津波に備えるためのもう1つの糸口を得たと考えていくことが大事だ」
わかりにくく、不確実性も大きいことから、とかく敬遠されがちな南海トラフ地震臨時情報ですが、コロナ禍の経験を生かすことで、被害の軽減につながる可能性があります。

わかりやすい伝え方の検討も含めて、よりよい活用のために取材を続けていきたいと考えています。
社会部記者
老久保 勇太
2012年入局
防災のほか総務省消防庁を担当
社会部記者
宮原 豪一
2008年入局
防災や減災取材を担当
和歌山放送局
南紀田辺支局記者
福田 諒
2018年入局
高知放送局記者
伊藤 詩織
2016年入局
高知放送局
くろしお支局記者
森 康陽
2013年入局