非核三原則見直しなどめぐる与野党発言 日本被団協が強く批判

ロシアによるウクライナへの侵攻に関連して与野党の一部から非核三原則の見直しなどをめぐる発言が相次いでいることを受けて、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が記者会見し「『再び被爆者をつくらない』という努力を根底から覆すものだ」などと強く批判しました。

ウクライナ情勢を受けて与野党の一部からはアメリカの核兵器を同盟国で共有して運用する政策や、非核三原則の見直しをめぐって発言が相次いでおり、このうち日本維新の会は2日、議論を始めるよう政府に提言することを決めました。

こうした状況を受けて全国の被爆者団体でつくる日本被団協はオンラインで記者会見を開き、長崎で被爆した田中重光代表委員(81)は「66年前の結成以来『再び被爆者をつくらない』という思いで運動を続け、核兵器禁止条約の発効にまでつなげた人々の努力を根底から覆すもので心の底から怒りがわいてくる」と述べ、一連の動きを強く批判しました。

また同じく長崎で被爆した和田征子事務局次長(78)は「核兵器の脅威が高まっている今だからこそ、日本が核兵器禁止条約に参加する機運を高めていくべきなのに、日本の国是である非核三原則をないがしろにするかのような動きが出るのは本当に残念だ」と述べました。

日本被団協は2日、日本維新の会に対し提言の撤回を求める声明を送ったということです。

長崎県被爆者手帳友の会 会長“非核三原則 堅持を”

長崎県被爆者手帳友の会の会長で外務省の「核軍縮を推進する賢人会議」のメンバーでもある朝長万左男さんはNHKの取材に対し、核兵器を共有して運用する政策をめぐる議論について「ウクライナのことだけを見て『核の共有』しかないという提案のしかたは無責任だ」と述べ、日本政府はあくまで非核三原則を堅持するべきだという考えを強調しました。

核廃絶などに取り組む学生は…

核兵器の廃絶など平和活動に取り組む大学生からは落胆や憤りの声が聞かれました。

被爆者の証言を集める活動などを行ってきた広島出身の大学3年生、高橋悠太さんは「核兵器に関する議論が安易に進みすぎていると懸念しています。日本の核兵器に対するモラルが低下し、被爆の記憶が風化していることを感じています。核兵器については本来は被害の視点で語るべきなのに安全保障の視点でのみ語られていることにやるせない思いです」と話していました。

また長崎出身の大学3年生、中村涼香さんは「今までに感じたことのない無力感があります。政治家が言う『国を守る』ということばが自分の国に核兵器が落とされなければいいという安易な考えから出ているように聞こえます。これまで核の脅威に触れることがなく、核兵器が使用された場合にどういったことが起きるのかを想像しにくい時代になっているのかもしれませんが、だからこそ核兵器が非人道的な破壊をもたらすことに改めて焦点を当てるべきだと思います」と話していました。

「核兵器の共有」とは

核兵器を同盟国で共有して運用する政策はアメリカと、NATO=北大西洋条約機構の一部の非保有国の間で取り入れられています。

アメリカが管理する核兵器をそれぞれの国の領土に置き、有事にはアメリカの決定のもと、その国の軍用機などに核兵器を搭載して運用する仕組みです。

NATOのホームページによりますと、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、それにトルコにはこの政策に基づいてアメリカの核兵器が配備されているということです。

仮にこの仕組みをアメリカと日本の間で取り入れるとした場合、アメリカの核兵器が日本の国内に持ち込まれることになるため「非核三原則」に反することになり、岸防衛大臣は1日、記者団に対し「非核三原則を堅持していくことから認められるものではない」と述べています。

非核三原則と核兵器

核兵器について「持たず、作らず、持ち込ませず」と定めた非核三原則は日本が唯一の戦争被爆国であることを踏まえ、1971年に国会で決議されました。

1954年、静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員がアメリカの水爆実験で被ばくし、国内で原水爆禁止運動が高まりました。

そして翌1955年、原子力基本法が制定され、原子力の利用は平和目的に限定されました。

また1976年には日本はNPT=核拡散防止条約に批准し、原子力基本法と合わせて核兵器の製造、保有は法律でも全面的に禁止されました。

一方、非核三原則のうち「持ち込ませず」については法的に禁止されてはおらず、アメリカの核の傘に守られている実態を踏まえ是非を議論すべきだなどの指摘が出されたこともあります。

しかし歴代の政権は非核三原則を被爆国・日本の「国是」として一貫して堅持してきました。

松野官房長官も1日の記者会見で「政府としては政策上の方針として非核三原則を堅持していく考えに変わりはない」と述べています。