WEB特集

「助けて」って言えない ~“コロナ休園”におびえる日々~

「あと、もう少し、頑張れ」
そのことばは、誰のためでもなく、ただ、みずからを奮い立たせるためだけのものでした。幼稚園に通う息子を育てるシングルマザー。周囲に頼れる人はいない。預け先がないのでコロナ禍で幼稚園が休園になることが怖い。「助けて」って声をあげたいのに周囲の目が気になりためらっている。彼女は、せきを切ったように記者の私に語り続けました。(前橋放送局記者 岩澤歩加)

彼女と、私

群馬県内に住む彼女は今、26歳。出会ったのは去年の秋でした。継続取材をしているNPOから紹介を受けました。

彼女は私の2つ年上。ただ、「同年代の女性」という以外は、生い立ちも今の環境も全く異なります。

初めて電話で話をした時から何度も話を聞くたび、いつも、今も、取り巻く環境に衝撃を受けています。

ひとり、育てる

彼女が住むのは家賃4万円のアパート。コンビニで週6日、午前9時から午後5時までフルタイムで仕事をしながら6歳の息子を育てています。

「この子にはおじいちゃん、おばあちゃん、父親もいません」

そのことばどおり、彼女には両親も夫もいません。きょうだいはいますが、複雑な家庭環境で育ったこともあり、息子を預けられる関係にはありません。

息子も、ひとり8時間

なので、今、彼女が最も恐れているのは息子の幼稚園が休園になること。新型コロナの「第5波」が猛威をふるった去年夏のつらい経験がフラッシュバックのようによみがえります。

「コンビニの事務所で8時間過ごさせました。“ママのせいだ”って言われてつらかった」

息子が通う幼稚園で短期間に2回クラスターが発生しおよそ1か月、休園したためでした。

「夜中に通知が入ってて気付かなくて朝起きてみたら、『コロナ濃厚接触者出ました。登園はナシになります』と。もう『え?』のことばしか出ない。どうしようって…」
息子は感染せず、濃厚接触者にもなりませんでした。家計を支えられるのは自分だけなので預け先がなくても働き続けるしかありません。店長の厚意もあり、職場のコンビニに連れて行きました。

当時5歳の息子。自分が勤務する8時間、おとなしく待っていられないのは「火を見るより明らか」でした。
息子
「コンビニにいたときはねぇ、携帯ばっかしてる。だってさあ、テレビとかないもん」

女性
「大人でも“8時間事務所にいて”なんて言われたら無理ですよね。『ママ!』って大きな声を出してきて。いつお客さんからクレームをもらうんじゃないかってドキドキでした」

水と、もやし

やむなく勤務時間を短くしたため、収入が激減しました。

その月は12万円余り。切り詰められるのは自分の食費だけでした。
女性
「仕事中は基本的に職場の水道水しか飲みませんでした」

昼食に口にするのは持参した「もやし」。電子レンジで温めてしょうゆをかけて、なんとか空腹を満たそうとしました。

そんな自分に息子はまっすぐ、ぶつかってくる。

「つまんない、ママのせいだ」
「ごめんね」

そう返すのがやっとでした。

体も、心も、日々、すり減っていきました。
女性
「自分を責めました。私も逃げ場がないけど子どもも逃げ場がないじゃないですか。こういうことがあると、『1人ってきついな』って率直に思いました。自分だけで守るって結構、難しいんだなって、痛感させられたっていうか」

ずっと、ひとり

彼女の26年の人生は常に「孤独」と隣り合わせでした。

小学生のころ、帰宅するとシングルマザーの母親からは「帰ってくるな」と追い出され虐待も受けました。

中学生活も終わりにさしかかったころ、虐待が「学校や近所に知られた」と母親が突然、住み慣れた東京の町から彼女と弟を連れて群馬に引っ越します。
女性
「母親が『逃げたい。誰も知らない土地に行きたい』って言いだして。自分は行きたくなかった。でも中学3年の自分1人で東京に残って暮らすこともできないし。泣く泣く、付いていくしかなかった」
その群馬でも家を追い出されたという彼女。行き場をなくした16歳、傷害事件を起こし少年院に入りました。

その後過ごした自立支援の施設を出たあとは、居酒屋やキャバクラなどで働きながら生活しました。そして20歳を前に、妊娠がわかりました。

「子どもは夜の仕事の客との間にできた」

わかるのは、それだけです。あとは、客の職業も名前も、いまだにわかりません。産むのかどうか、当然迷いました。

その迷いにはみずからの生い立ちが大きく関わっていました。
女性
「自分は“母親にならない”ってずっと決めていたんです。幸せにしてあげられないっていう気持ちが強かった。自分も親に捨てられたようなものだから」
愛情を注ぎ、育てる、その方法がわからない。

もし、子どもを捨てるようなことをしてしまったらどうしよう。

最後の最後まで迷い、悩み抜きました。それでも産むことを決めました。
女性
「やっぱり“生きているもの”じゃないですか。人を殺したことと同じになる」
おなかの中のわが子をエコーで見るたび「頑張ろうって、自分に“むち”を打ち続けた」という彼女。この世に生を受けた息子の顔を実際に見た時、彼に誓いました。

「必ず守る」と。

心の、限界

その誓いを守るのは簡単ではありませんでした。働くために保育園を探しましたが近所はどこもいっぱいで入れず。

同じ時期、彼女の母親がみずから命を絶ちました。過去のいきさつは別にしても唯一、頼れると思っていた存在がなくなりました。

彼女は「育児うつ」を発症。息子を幼稚園に入れて職探しをしましたが、面接をしても聞かれるのは同じようなことばばかりでした。

「週どれぐらい出られますか?」
「何時間出られますか?」
「お子さんの具合が悪くなった時、見てくれる方いますか?」
「そのことで仕事に穴を開けることはありますか?」

何度も断り続けられて、ようやく受け入れてくれたのが今働くコンビニでした。それから6年間、必死に働き続けてきました。

自分の時間はありません。

追い打ちをかけるように、押し寄せてきたのが新型コロナの波でした。張り詰めた糸が切れるように。心が限界でした。

去年10月、みずから命を絶とうとしました。

「よくわかんないんですよね、もうそういう時って…。ストレスの矛先が自分に向く。子どもに向けるわけにもいかないし」
「やりすぎたかな…でも、まあもういいか」
包丁をたたきつけた腕から血を流しながらそう思った時。
ふと頭に浮かんだのが隣の部屋の息子のことでした。

我に返った彼女は姉に連絡。病院に運ばれ一命を取りとめました。
女性
「この子を置いて逝けないじゃん。何やってるんだって気付いて。やばい、やり過ぎたって。私がいなくなったらあの子を誰が守るんだって思いとどまりました」
その時を振り返った彼女。今、息子は「私の生きる意味」と明確に語りました。

通知が、怖い

その後、児童相談所から「一時預かり」も打診されましたが「自分のもとで育てる」と断りました。ただ、コンビニの事務所に子どもを置いて働いたあの日々がまた来るのではないかとおびえる毎日にいます。
女性
「幼稚園から通知が来るたびに心臓が痛いです。(スマホへの通知が)幼稚園からだとドキドキしながら開き『ああよかった、休園の連絡じゃなかった』と」
息子は4月から小学生。入学準備の費用がかさむため、また休園になり働けなくなれば「今度こそ生活できなくなる」と話しました。

彼女へのインタビューを放送する2月16日の午後。記者のLINEに連絡がありました。恐れていた息子の幼稚園から通知でした。

「感染者が出たので濃厚接触者の調査をしている」という内容でした。
幸い息子は濃厚接触者ではなく、息子のクラスは閉鎖されませんでした。登園は各家庭の判断に委ねられ、休ませる親が多くいる中でも、女性は息子を登園させています。

ただ幼稚園からの連絡への「ドキドキ」は続いています。LINEの文面には「疲弊しています」という文字がありました。

これだけ感染が広がる中でも彼女はワクチンを接種していません。副反応で熱が出て動けなくなれば息子の面倒を見てくれる人がいないからだといいます。

感染のリスクを避けるため外出は必要最低限にとどめ、息子と2人、家に閉じこもる生活を続けています。

助けて、のひと言

そして、どんなにつらくても、彼女は行政やNPOへの支援を求めていません。

なぜなのか。

ストレートに尋ねると率直な答えが返ってきました。
女性
「自分で子どもを産むって決めたのに、“甘えてんじゃないよ”みたいな目で見られるのが嫌なんです。以前、友達に相談した時、『自分で産むって決めたんだろ』って言われたので。そういうのが積み重なって人に言えなくなったんです」
息子を出産した時の「必ず守る」という誓い。

息子にとって強い自分でなければならないという思い。その誓いの固さ、その思いの強さゆえに「助けて」のひと言が言えなくなっていました。

もう少し、頑張れ

「誰も頼ることができないひとり親家庭の実情を知ってほしい」と今回、インタビューに応じてくれた彼女。

2時間近くの話の最後にどうしても聞きたいことを尋ねました。

「今の自分に声をかけるなら、どんなことばですか」

予想外の答えが返ってきました。

「あと、もう少し、頑張れ」

続けて、わが子が、おなかの中にいる時から自分に打ち続けてきた“むち”ということばを再び使って語りました。

「子どもが自分の手を離れるまでは自分に“むち”を打ち続けるしかない。頑張れとしか言えない」

救う、ために

彼女のような母親をどうすれば救うことができるのか。シングルマザーの支援をしている2つの団体に取材しました。

まず話を聞いたのは東京の支援団体「ハートフルファミリー」の西田真弓理事。

「助けて」と言わない、言えない母親が決して少なくないことを教えてくれました。
支援団体「ハートフルファミリー」西田真弓理事
支援団体「ハートフルファミリー」 西田真弓理事
「相談に行けない人がたくさんいる。今まで1人で子育てをしている中で、周りから“1人で育てると決めたんだから”と言われて相談しにくくなったというケースが多いです」
そのうえで語りました。
「『シングルマザーは大変でかわいそうだから、その大変な部分を支援しなければ』という考え方が一般的です。ただ視点を変えて、シングルマザーを取り巻く“環境”をまず変えること、そのうえで“繋がり”を作って孤立させないことが大切です」
相談しやすい環境作りを実現させるため、この団体は、窓口に行ったり電話したりしなくても、LINEを使ってチャットで手軽にやり取りできるようにしています。

また、力を入れているのは、国の支援制度をわかりやすく伝えることです。新型コロナの影響で休園や休校になった時、保護者が有給の休暇を取得しやすくするための支援制度について、わかりやすく説明した内容をツイッターやホームページで紹介しています。

一方、群馬で子育て支援をしているNPO「キッズバレイ」の丹羽育代さんも、コロナ禍のシングルマザーが「孤立」する現状を指摘しました。
NPO「キッズバレイ」 丹羽育代さん
NPO「キッズバレイ」 丹羽育代さん
「『友達に会えなくなり話せる人がいなくなった』といった相談が増えている。特に経済的に困窮している人が多い。ただ、本当に困窮している人ほど、困っている現状を知られることに抵抗感を持ち、助けを求められません」
強調したのは、支援団体側から積極的に母親に手を差し伸べてコンタクトをとることの重要性でした。「自分が支援を受けられる状況であることをまず自覚してもらう」ようにしているといいます。

ただ、2つの団体の方が口をそろえたのが、コロナの影響で団体の活動自体が難しく、困っている人にたどりつくことが難しくなっているということでした。

1人の母親の「孤立」を防ぐことが、いかに簡単でないことを痛感させられました。

取材を終えた今、何度も思い出すことばがあります。

それは「助けて」が言えない彼女に初めて直接会って話を聞いたとき、最後にかけられたことばです。

「ただ話を聞いてくれるだけでいいんです。こういう話ができる場所がほしいですね」

こう話した時、私の頭に浮かんだのは「孤育て」の3文字でした。

そして、胸が苦しくもなりました。

同時に「人の話を聞く」、ただそれだけでも誰かの役に立つことがあることを知りました。

必死に自分を奮い立たせ、ひとりでわが子を守り続ける彼女のような人たちが、気兼ねなく悩みや思いを打ち明けられるように。

そっと寄り添う人が増えること、そっと手を差し伸べる人が増えることを願いつつ、私自身も、その静かな声にそっと耳を傾け、発信を続けていきたいと思います。
前橋放送局記者
岩澤 歩加
2020年入局
警察取材を経て現在は行政やシングルマザーなどの福祉を中心に取材

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