21世紀 水面下の戦い “経済安全保障” 何を守るの?

21世紀 水面下の戦い “経済安全保障” 何を守るの?
半導体やコンピューター、それにジェットエンジン。

どれも私たちの暮らしや企業活動になくてはならない技術ですが、いずれも第2次世界大戦の前後に生まれ、これらの技術で覇権を握ったのはアメリカでした。

アメリカには戦後、圧倒的な競争力と経済的な豊かさがもたらされました。

時代は移り、21世紀の今日。

先端の技術を持つ国が豊かになるとの発想のもと、あるキーワードが重みを持っています。

その名も経済安保=経済安全保障。どのような重みなのでしょうか。
(経済部記者 渡邊功)

日本で相次ぐサイバー攻撃

去年4月、警察は中国共産党員の30代の男を検挙しました。

男は日本に滞在歴もあるシステムエンジニアで、JAXA=宇宙航空研究開発機構がサイバー攻撃を受けた際に使われた日本国内のレンタルサーバーを偽名で契約したとされています。

サーバーを使うためのIDなどはオンラインサイトを通じて「Tick」と呼ばれるハッカー集団に渡り、中国人民解放軍の指示でサイバー攻撃が行われたとみられています。

病院までもが狙われる!?

私たちの命を救ってくれる病院でもサイバー攻撃は起きています。

去年10月、徳島県つるぎ町の町立病院が何者かによって「ランサムウエア」と呼ばれる身代金要求型のコンピューターウイルスの攻撃を受け、電子カルテのシステムが使えなくなったのです。
病院では、産科と小児科を除いて、新規患者の受け入れを停止せざるをえなくなりました。

重要インフラも・・・

企業などをターゲットにした、サイバー攻撃による情報流出も増えています。
情報セキュリティ会社の「トレンドマイクロ」によると、去年1年間に、国内で「マルウエア」と呼ばれる悪質なソフトウエアが検出された事例は275万件余りにのぼり、増加傾向にあるということです。
近年は企業を標的に、保存してあるデータを勝手に暗号化し、元に戻すための身代金を要求する「ランサムウエア」と呼ばれるコンピューターウイルスによる被害も増えていて、電力会社や金融機関といった、我々の生活インフラを担う大企業も、日々狙われているといいます。

経済安保の法案が閣議決定

政府はこうした脅威と闘うため、新たな手段を用意しようとしています。

それが経済安全保障を強化するための法案です。
2月25日、新たな法案が閣議決定されました。

この中では、サイバー攻撃を防ぐための新たな制度を設けています。

大事な機器に国が目を光らせる

電力や通信、金融といった、我々の日常生活を支える「基幹インフラ」14業種を対象に重要な機器を導入する際には、国が事前に審査を行うというものです。
重要機器とは何か。

例えば電力だと、需給のバランスを調整するための連絡や指示を行うシステム。

また通信だと高速・大容量通信の5Gの携帯電話基地局といった、いわば「心臓部」です。

海外製の機器を使っているか、システムに脆弱性がないかなどを事前にチェックすることで、サイバー攻撃のリスクを減らそうという狙いです。
トレンドマイクロ 岡本勝之セキュリティエバンジェリスト
「組織や企業がサイバー攻撃を受けて業務が止まることになると、本来受けられるはずのサービスなどが止まってしまい、我々の生活にも直接的な影響が起こるおそれがある。今回の法案の制度のように、導入前にシステムの脆弱性を無くしておくのは有効な対策手段になるが、その後も定期的にチェックを続ける体制づくりが必要となる」

ビジネス制約への懸念

一方で、この事前審査の制度は、ビジネスの制約になり、経済界からは影響を懸念する声も出ていました。

このため政府は対象企業を全国展開する大企業の一部とし、審査の対象となる機器も絞り込む対応をとっています。

特許取得が技術流出に…

日本から海外への技術流出も後を絶ちません。

東京 大田区にある中小メーカー「京浜理化工業」。
従業員は8名。

世界的に需要が伸びるリチウムイオン電池の外装などの製造技術が強みで取引先には、国内外の大手自動車メーカーや電機メーカーなどが名を連ねます。

会長の佐瀬都司さん(77)。
2019年にノーベル賞を受賞した吉野彰さんとともに、リチウムイオン電池の開発にも携わるなど、これまで30以上の特許を取得してきました。
そんな佐瀬会長をこれまで悩ませてきたのは、本来、開発者の権利を守るはずの特許制度を利用した「技術流出」でした。

特許は出願すると、原則1年半後には内容が公開されます。

公開される情報をもとに新たなイノベーションを生み出そうという狙いからです。

公開された出願内容は、インターネットで世界中から閲覧することができます。
佐瀬都司会長
「小さな町工場にとって特許技術は唯一無二の武器だが、公開されることで技術は丸裸になってしまう。現にウチも何回も真似されてきました」
15年ほど前、佐瀬会長が海外のある展示会に招かれ、現地に行った際にも、自社製品であるリチウムイオン電池の開発装置に酷似した製品を見かけたといいます。

開発者として怒りも沸き上がったといいますが、実際に裁判で特許権の侵害を申し立てるとなると、中小企業では費用面での負担も大きく泣く泣く断念したといいます。

軍事転用の懸念も

さらに佐瀬会長を悩ませているのは、軍事転用への懸念です。

自社の技術が意図しない形で流出し、海外で軍事技術につかわれる事があるのではと心配しています。

リチウムイオン電池自体は核兵器や軍用機などに使われることもあるからだといいます。
佐瀬都司会長
「公開されている我々の技術が、最終的にどこで何に使われているかは分からない。想像すると、とても怖いことはある」

特許出願を一部非公開に

特許出願の公開による軍事転用を防ぐための新たな制度も今回設けられます。

軍事に関わる技術の中から国民の安全を損なうおそれのあるものに対象は絞りこまれますが、国が審査したうえで特許の出願内容を公開しない事にします。

一方で、本来公開されることで得られたはずの特許収入などの利益を、国が補償することにします。

せっかく日本で発明された高い技術が海外で軍事転用されて、それが日本の脅威になる。

そんなことにならないようにする狙いがあると政府は説明します。

このように国の安全保障にかかわる重要技術の出願内容を非公開とする制度は、アメリカやイギリスをはじめ、海外では広くみられます。

このため、日本でも導入の是非をめぐり、40年ほどにわたって議論が続いてきたということですが、今回大きな転換点を迎えました。
一方で、産業界への影響に配慮し、政府は対象となる技術の範囲はかなり絞りこみました。

専門家からは「軍事に転用されうる民間技術こそ安全保障の観点から慎重に守るべきだ」として、非公開の対象を広げるべきだという指摘も出ています。

政府はこれ以外でも、▽半導体や医薬品といった国民生活に欠かせない重要な製品を、企業が安定的に供給できるよう支援する制度、▽官民一体の協議会を設け、機微な情報も共有したうえで先端技術の研究を進める制度などを新たに設けます。

いずれの狙いも、日本が新型コロナウイルスなどのパンデミックや海外の有事に大きく左右されることがない自立性を保ち、技術力など日本企業の強みを国際的に高めていくことにあります。

これこそが経済安全保障の重みなのです。

官民の新しい連携が必要

専門家は今後、制度を運用していく上で「官と民」の対話の重要性を指摘しています。
同志社大学大学院ビジネス研究科 村山裕三教授
「企業は経済活動だけしていればOKという時代ではなく、経済安全保障という概念が加わった。

ただ、経済安全保障自体は非常にあいまいなコンセプトで、立場によっていろんな考え方がある。今後は論点ごとに官と民がじっくり話し合って、そこで解決策を見いだすことが必要になる。官民関係はこれからは新しい連携に入っていくと考えている」

ゲームチェンジャーなるか

冒頭でアメリカが第2次世界大戦前後に半導体やコンピューター、それにジェットエンジンの技術をものにし、戦後の繁栄を手にしたことを書きました。

早くに手を打ち、それを守り切ることで後に果実が得られるという教訓にもなると思います。

日本は「携帯電話のガラパゴス化」にも象徴されるように、国内の競争にばかり目がいき、さきざきの革新的なイノベーションを生み出す道筋をいまだ十分打ち出せていません。

経済安全保障の法律だけで、日本が国際競争で優位に立てるほど甘いものではないでしょうが、この法律をきっかけに一歩でも二歩でも前に進むことができるかどうかが大事なポイントになります。

一見難しく、静かな動きですが、後から振り返ると大きな転換点=ゲームチェンジャーになるかもしれないと思っています。
経済部記者
渡邊功
平成24年入局 
和歌山局から報道局経済部
国交省、外務省、銀行業界、経済安全保障の取材を担当