羽生結弦 “王者の羽ばたき” 北京オリンピックで見えた光

羽生結弦 “王者の羽ばたき” 北京オリンピックで見えた光
誰も到達したことのない領域に足を踏み入れた、希代のフィギュアスケーター、羽生結弦選手。オリンピック2連覇の王者は、4回転半ジャンプ=クワッドアクセルの達成と、94年ぶりの3連覇を目指し、オリンピックへと帰ってきた。
その舞台での挑戦は、4回転半ジャンプと認められたものの成功には届かず、そして4位という結果で幕を閉じた。
悔しさはもちろんある。それでも表情は、充実感にあふれていた。
目の前で起きた現実を受け止め、自分の信念を貫き通し歩みを進むことができたという確信があるからだ。
北京で彼はどのように羽ばたき、どんな景色を見たのか。
その“思い”をいま、改めて読み解く。
(スポーツニュース部 記者 田谷亮平)

挑戦しきったオリンピック

「挑戦しきった、全部出し切ったオリンピックです」
2月10日のフリーの演技。
前半8位からの巻き返しをねらって臨んだ羽生は、4回転半ジャンプを含めて2回、転倒した。
結果は4位。表彰台には届かなかった。
それでも、演技のあとに報道陣のインタビューを受ける羽生の表情はやわらかく、晴れやかに見えた。
今できるすべての力を出し切り、充実感にあふれた選手が身にまとう空気。そのことばは力強かった。

会見はまっすぐな表情で

激闘から4日。
羽生は、300人を超える報道陣の前で、記者会見に臨んだ。
試合前にケガをしたという、右足首は痛む。しかし、穏やかにオリンピックへの思いを語った。
「やっぱりオリンピックは特別だなって思いました。なにより、けがしてても立ち上がって挑戦するべき舞台って、フィギュアスケーターとしては他にはない。すごく幸せな気持ちになった」

前人未到 大技への執念

2月7日。羽生は今大会最初の現地での氷上練習に臨んだ。
日本で応援する人たち、現地や世界のファン、報道陣、フィギュアスケーターの仲間たち。世界中からの注目を一身に浴びて、羽生は北京の氷に乗った。

いつもどおり、4回転半、スピン、ステップ。
やるべきことを確認した。
「やるべき練習をしっかりしてこれたと思ってます。(リンクの氷が)もう本当にすごくキレイだなって思いながら、すごく楽しんでできた」
練習で力を入れたのは、やはり4回転半ジャンプ。
ピョンチャン大会からこの4年、自身の最大の目標と掲げた。
あふれ出るスケートへの向上心が、その達成へと向けられた。
羽生をもってしても、一筋縄にはいかない。前人未到の最高難度のジャンプへの思いは、高まっていくばかりだった。
「早く会いたい存在。常に後ろ姿が見えていて、霧がかかったところにいるような存在なんですけど、早く会いたい」
誰も跳んだことのないジャンプ。練習方法はもちろん、正しい跳び方など誰も知らない。そこまでの道を手探りで進む日々は、不安と孤独に覆われた。

合っているのか、間違っているのか…。
もっといい方法はあるのか…。
少しも前に進まない日もあった。
「誰も跳んだことがない。誰もできる気がしないと言ってる。それをできるようにする過程は、ひたすら暗闇を歩いているようなもの」
練習で挑戦した回数は1000回を超えた。
そのたびに、体を氷に打ち付けた。
諦めようと思ったこともある。それでも独り、前に進んだ。

見せた進化 いざショートへ

初めて試合で跳んだ全日本選手権から1か月半。
羽生のクワッドアクセルは、北京でまた前に進んでいるように見えた。

踏み切りまでのアプローチやスピード。
“変化”は間違いなく“進化”だった。
「自分の中で考えるところは課題だったり、よかった点だったり、いろいろありますけど、今日は今日でいい感覚だった。日に日にまたよくしていければいい」
公式練習でもつかめるものはある。
クワッドアクセルを跳ぶフリー本番まで日数はないが、たった数日でも時間があるかぎり、希望を感じさせた。

思いもよらぬ出来事

「ショートもフリーも、自分の中では一幕というような感覚。まずはショートはショートで集中しなくてはいけない」
2月8日、前半のショートプログラム。フリーに向けて弾みをつけたいところだ。満席になることはない会場からも、大きな拍手が羽生に注がれた。

北京の最初の演技の冒頭は4回転サルコー。
跳んでスケートが氷を離れた瞬間。時が止まったように感じた。

「穴にはまった」
思いもよらない出来事だった。
王者は立て直しはしたが、95.15。
トップのネイサン・チェンとは18.82の差がついた。
「しょうがないなという感じ。自分の中でミスはなかったなと思っているので。正直、皆さんよりも僕がいちばんふわふわしていると思う。なんかちょっと氷に嫌われたかな」

クワッドアクセル “必死になってくらいついていきたい”

3連覇を目指すのなら、もうミスはできない。
それをいちばんに考えるのなら、成功するかわからない4回転半ジャンプを回避する選択肢だってあるのではないか。
憶測が飛び交った。羽生は、本当に跳ぶのか?

迷いはなかった。
「やってみなきゃわからないところはある。でも必死になってくらいついていきたい」
このオリンピックに臨んだ意味。

4回転半ジャンプを跳ぶ。跳んで、勝つ。
そして、勝つためには跳ばなくてはいけない。

それは表裏一体だった。
羽生の軸が揺らぐことは無かった。

フリー当日 朝の練習は

その日の朝の練習は、この期間で最も軽めの練習だった。
クワッドアクセルを跳ばず、足のあたりを気にするそぶりを見せた。

前日のアクセルの練習で右足首を痛めていたのだ。
足に大きな負担のかかるジャンプを跳ぶことができるのか。
不安を覚えた。
羽生は、前人未到のジャンプを目指す、もう1つの理由を、かつて、こう話していた。
「みなさんが僕にしかできないって言ってくださるのであれば、それを全うするのが僕の使命」
「みんなの夢だから、皆さんが僕にかけてくれている夢だから。自分のためにももちろんあるが、みなさんのためにも叶えてあげたい」

注目のフリー

一度会場をあとにした羽生。
みずからが演技するグループの直前練習の前に、ふたたび会場に入った。
戦いの場へ。
扉を開く直前、グッと握りしめたこぶしを見せた。
きらびやかな衣装に身を包みリンクに降りると、会場にいる観客、ボランティア、各国の取材陣が、その姿を目で追った。
ゆっくりと滑り始めて、少したった時、羽生はクワッドアクセルを跳んだ。

転んでも、すぐに立ち上がる。
鬼気迫る表情で、身ぶり手ぶりで最後の感覚を確かめる様子に、会場は目を奪われていた。

世界初のクワッドアクセル成功へ

「天と地と」が始まる。

荘厳な調べにのせて、羽生は勢いよく踏み切ると、高々と舞った。
同時に素早くまわる。
得意のトリプルアクセルに比べると、そのスピードは速い。
そして、課題の1つとあげていた「どれだけギリギリまで回転を続けられるか」。1、2、3、4と回転を重ね、まわりきったか微妙なところで、スケートの刃が氷についた。

それと同時に、体勢を崩して転倒ー。
「成功」はならなかった。
「明らかに前の大会よりもいいアクセルを跳んでいましたし、なんかもうちょっとだったなという気持ちももちろんあるんですけど、あれが僕のすべてかな」

“僕の財産”

フリーの演技は、そのあとのジャンプでもミスが出た。
痛めた右足は踏ん張れているのか、わからなかった。

演技の表現力、スピンやステップはいつもの美しさ。
ただ、ショートプログラムとの合計は、ベストの得点にはほど遠い283.21。4位だった。

「報われなかったな」という思いもないわけではない。
ただ、“結果”は出なくても“後悔”はない。
「正直、全部出し切りました。本当に何も思い残すことなく、最初からギア全開でアクセルもしめることができたと思いますし、成功させにいけました。それはもう、僕の財産」

残っていた“結果”

ただ、1つ。残った“結果”がある。
それは、失敗と思っていたクワッドアクセル。
試合後の取材を受けている時に、クワッドアクセルを実施したと“認定”されたことを耳にした。
前回は、ダウングレード。トリプルアクセルと認定されたため、国際スケート連盟の公認大会で、初めてクワッドアクセルが認定された。

取材エリアで伝え聞き、羽生は「そうなんですか」と目を見開いて高らかに声をあげた。
数秒、思い詰めた表情でうつむいた。

「そっか、そっか」

自分に声をかけるように、どこか安心したように、うなずく。
いつもまっすぐな瞳に、少し涙をためているように見えた。
そして、うれしそうに話し始めた。
「なんか、ちょっと報われました。やっと。どんなに一生懸命頑張っても、何も報われなかったオリンピックだったので。本当にしんどかったですけど。でも、なんかちょっとでも傷跡が残せたら、ちょっとでも。皆さんの心の中に」

“あのケガがなければあのアクセルにはならなかった”

4日後の会見。そしてインタビュー。
羽生は、フリーの前に右足首をねんざし、激しい痛みのなか、大技に挑戦していたことを明かした。
それでも、言い訳はしない。

「満足のいく4回転半だった」

そう振り返った。
むしろ、それがあったからこそ、あのジャンプがあったと語る。
「あのケガがなければあのアクセルにはならなかった。すごくポジティブな意味で。あのケガがあって、まわりの人がたくさんたくさんサポートしてくださって、よりいっそう力をくださった。僕自身もすごく集中できていた。今までにない力でアクセルに挑めたし、本当にみなさんの思いが直に伝わった、そんな瞬間だったと思います」

あいつが“跳べ”ってずっと言っていた

そして、ケガをしてまで、苦しい思いをしてまで追い求めた4回転半ジャンプは、小さいころの自分と対話をしながら作り上げたと、明かした。
「僕の心の中にいる9歳の自分が、あいつが“跳べ”ってずっと言っていた。ずっと“お前へたくそだな”って言われながら練習していて」
伸び盛りの9歳の頃、自信を持ち始めた自分。
将来の理想を描き始めた自分。
大きな夢を抱いた自分。
その夢をみずから達成するために、羽生はこの4年間、もがいていた。

そして、誰よりも厳しい心の中の自分は、今回のジャンプを、どう見たのだろうか。
「今回のアクセルは褒めてもらえた。一緒に跳んだというか。実は同じフォームなんですよ、9歳の時と。ちょっと大きくなっただけで。だから一緒に跳んだ。4回転半ジャンプをずっと探して、最終的に技術的にたどり着いたのがあの時のアクセルだった。ずっと壁をのぼりたいと思っていたが、色々な方々に手を差し伸ばしてもらって、色々なきっかけを作ってもらってのぼって来れたと思っているけど、最後の壁の上で手を伸ばしていたのは9歳の俺自身だった。最後にそいつの手を取って一緒にのぼったっていう感触があった。羽生結弦のアクセルとしては、やっぱりこれだったんだと納得できている」

結実した4年の日々

ピョンチャン大会からの4年間は、自分と向き合い挑戦した日々だった。
厳しく、つらく、孤独な4年間。
それでも振り返る羽生の顔は優しかった。
「ひたすら夢を追い続けて、体を壊して、いろんなものをかけて、そこまでしてつかみとろうとした4年間。きっと僕はその努力が報われたとは思わない。でも、今の自分のフィギュアスケートにずっと誇りを持とうと。ずっと誇りを持っていられると、思えるような4年間だった」

羽生結弦のスケートっていいな そう思ってもらいたい

羽生結弦の、いまの夢は何かー
「皆さんに何かを感じてもらいたい。羽生結弦のフィギュアスケートは羽生結弦にしかできないスケートだなって、そういう世界だなって。そしてこの人はオリンピックで2連覇した人間なんだ、そう思ってもらえるような演技をし続けたい」
羽生は、北京で羽ばたいた。
そして、着地した氷の上で、その目は何を捉えたのだろうか。
望んだ結果ではなかったかもしれない。
目標だった4回転半ジャンプも“成功”とはいえない。

ただオリンピックに、フィギュアの歴史に、人々の心に、そして自分自身に刻みつけたものがあったはずだ。

挑戦し続けるという確固たる“意志”の先に、勝敗を超えた今まで見えなかった光。
羽生の行く先を示すその光は、どこに続くのだろうか。
スポーツニュース部 記者
田谷亮平