「息子よ、必ず捜し出すから」子どもの誘拐と闘う母親

「息子よ、必ず捜し出すから」子どもの誘拐と闘う母親
「息子と3日間一緒に過ごせるなら私の残りの人生すべてを迷わず差し出します」

23年間、悲痛な思いで一人息子を捜してきた母親がいます。
金目当てで子どもを誘拐され、その後ずっと行方がわからないのです。

一人っ子政策や急激な経済発展による社会のひずみを抱える中国では、子どもの誘拐が身近な犯罪として大きな問題になってきました。
去年、警察当局は大規模な捜査プロジェクトを開始し、SNSを使った活動も成果をあげています。

しかし母親の前には時間の壁と、せっかく息子かもしれないという若者が見つかっても「DNA鑑定を受けたがらない」という思わぬ事態が立ちはだかっていました。
(政経・国際番組部 ディレクター 福井早希)

突然奪われた愛する息子 犯人は見つかったものの…

上海にあるマンションの一室で、毎日のようにSNSのライブ配信を行っている女性がいます。
唐蔚華(とう・いか)さん、51歳。

10万人以上のフォロワーがいますが、歌を歌うわけでも商品を紹介するわけでもありません。
中国全土で行方不明になっている子どもの情報を集め、親たちと引き合わせようとしているのです。

唐さん自身も一人息子を誘拐された被害者です。
23年前の夏、唐さんと王傑さんの一人息子の王磊(おう・らい)くん(当時4歳)が誘拐されました。

夫婦が営んでいた家電販売店に息子を残し、唐さんが夫に忘れ物を届けに行ったわずか30分の間の出来事でした。

唐さんはそのことを店からの電話で知らされたといいます。
唐蔚華さん
「バスに乗っていた時、店から電話がきました。『息子さんが戻ってこない。みんな混乱している』と言うのです。私は何が起きたのか分からなくてパニックになりました」
その後の捜査で誘拐したのは店の従業員だと判明しました。
中国南部の農村から上海に出稼ぎに来ていた20歳の青年でした。

当時の取材に対し、王磊くんの誘拐は“金目当て”だったと話した犯人。
実家は貧しく上海に出稼ぎにきても思うように金が稼げなかったため、王磊くんの誘拐を思い立ったといいます。

犯人は王磊くんを「仲介人に3000元で売った」と供述しましたが警察は見つけることができず、大規模な捜索は打ち切られました。

“一人っ子政策”のひずみがもたらした「子ども誘拐ビジネス」

なぜ、金目当ての児童誘拐が中国で多発してきたのか。

背景にあると指摘されているのが、1980年ごろから始まった「一人っ子政策」です。
政策に従わず第2子を出産した場合には、通常年収の3~6倍にあたる罰金などが科されました。
結果、“1人しか持てないのであれば、いつか嫁いでしまう女児よりも、お金を出してでも老後の面倒を見てくれる男児がほしい”というニーズが農村を中心に広まったのです。

加えて誘拐された子どもを買った人への刑罰が軽いことも一因だと言われています。
中国の刑法によれば「誘拐された児童や女性を購入する行為は3年以下の有期懲役、または刑事拘禁や収監に処する」とされています。

しかし同時に「買われた児童らに虐待行為をせず、かつ救出を妨げない者に対しては処罰を軽くする。また買われた者の希望に応じて、彼らが元の居住地に戻ることを妨げない者に対しては刑を軽く、あるいは処罰を軽減することができる」とも書かれているのです。

次第に「買ってでも子どもがほしい」と考える夫婦を相手に商売をしようと、ブローカーや人身売買業者が横行。
「人販子=子どもなどを誘拐して売りさばく人」という中国語までできました。

誘拐事件の捜査に携わる警察官は「大規模な誘拐グループには、子どもを買う担当・運ぶ担当・販売する担当など明確な役割分担がある」と指摘しています。
さらに一人っ子政策は、子どもを誘拐された被害者にとって厳しい“足かせ”となってきました。
息子を誘拐された唐さんは、もう1人子どもをもうけようと思っても、当時は王磊くんの死亡届を出さないかぎり許されなかったのです。

「息子は生きている」と信じる唐さんは、次の子どもをつくらず王磊くんを捜し続ける道を選びました。
唐さんはこの23年間、広大な中国全土を飛び回り、尋ね人のポスターを1万枚以上貼り続けました。
電話番号を公開したところ、かかってきたのはほとんどが「息子の居場所を知っている。教えてほしければ数千元を振り込め」という詐欺の電話。
それでも当時はわらにもすがる思いで、何度も振り込んでは裏切られたといいます。

“実の親に会いたくない”と拒絶される思わぬ壁

息子の情報を集めようと2年前からSNSのライブ配信を始めた唐さん。
「自分も子どもを捜している」という人などから多くの相談が寄せられ、SNSを通じて12組の親子が再会を果たしました。

しかし思わぬ壁にもぶつかっています。
去年11月、フォロワーの中の一人の女性から「かつて誘拐された友人が王磊君に似ている気がする」という情報提供がありました。

唐さんからの電話に応じた、子どものころに誘拐されたという男性。
「実の親について何か覚えているか?」という唐さんに対し「実の親の記憶は無い。覚えているのは市場で売られた時のことだけで、養父母は細かいお金をたくさん相手に渡していた」と答えました。

唐さんはDNA鑑定ができるよう自分が手配すると申し出ました。
しかし男性の返事は、唐さんにとって思いもよらないものでした。
子どものころに誘拐された男性
「親がいなくたって、それがどうしたと言うのですか?自分で努力さえすれば、何でも手に入れることができます。あなたたち親が目を離した隙に誰かに誘拐されたのであろうと、あるいは経済的に困って私を売ったのであろうと、それはすべて親の責任です」
唐さんも、この時ばかりは語気を強めて言い返しました。
唐蔚華さん
「あなたの考えは間違っています。あなたが誘拐された年代は、多くの子どもが人身売買業者によって誘拐され、売りさばかれたのです。知っていますか?自分が産んだ子どもをいらない親はいません。絶対にいません。子どものことを商品と見なす人たちがいるのです。あなたたちの天真らんまんとした楽しい子ども時代を奪ったのは人身売買業者です」
結局、男性は実の親に興味はないと繰り返し、DNA鑑定に応じることはありませんでした。

実は誘拐された子どもが生みの親のもとに帰りたがらないケースは珍しくありません。
養父母との関係が壊れることを恐れるほか、すでに成人して自分の家庭があるため波風を立てたくないなどの理由からです。

唐さんもいつか本当に王磊くんを見つけても、同じことを言われるかもしれないと思い悩んでいます。

国をあげたプロジェクト ついに手がかりが見つかった

去年、唐さんの息子捜しに大きな転機がありました。

警察当局が「再会作戦」と名付けた大規模プロジェクトをスタート。
DNA鑑定によるデータベースを整備したほか、AIによる顔認証も本格的に導入しました。
1月から11月までの間に8307人が家族との再会を果たしたと国営メディアは報じています。
なかには58年ぶりに再会した親子や、中国の児童誘拐を描いた映画「最愛の子」のモデルとなった親子もいて、再会の瞬間は報道陣に公開され連日ニュースやSNSを賑わせました。

王磊くんの誘拐事件は「再会作戦」の中でも重大事件に認定され、警察による再捜査が実施されました。
その結果、王磊くんと身体的特徴や背格好がよく似た青年がいることが分かったのです。

唐さんはその青年にDNA鑑定を受けてもらうため、上海から約1700キロ離れた柳州市に飛びました。
もし青年が難色を示した場合、直接説得したいと考えたためです。
青年と初めて対面した唐さんは、特別な思いを口にしました。
唐蔚華さん
「格好いい。夫が若い時に少し似ています。温かく明るいし、私の記憶にある王磊のようです」
育ててくれた養父母との関係は良好で、恩を感じているという青年。
DNA鑑定を受けるかどうか、数時間悩んでいました。
それでも、わが子に会いたいという唐さんの思いをくんで採血に協力してくれました。

その後、2人は短く会話を交わしました。

「まだ結婚はしていないが、彼女はいる」と教えてくれた青年を、唐さんは愛おしげに見つめていました。

しかし翌月に鑑定結果が判明。
青年は王磊くんではありませんでした。

再び会える日を信じて 母は捜し続ける

2016年に一人っ子政策が廃止され、都市部では監視カメラや数多くの防犯カメラが導入されたこともあり、中国での誘拐事件は減少してきているとも言われています。

それでもわが子を奪われた親の悲しみに終わりはありません。
唐さんは王磊くんが見つかるまで、捜し続ける覚悟を決めています。
唐蔚華さん
「30年、40年、50年、60年かけてやっとわが子が見つかった人もいました。私はまだ22年しか捜していませんから。必ず再会できると信じています」
(※このインタビュー取材は去年行いました)
「一人っ子政策」や「改革開放」など、共産党が掲げる政策によって一人一人の暮らしまで大きく規定する中国。
ダイナミックな変化の原動力を生み出す一方で、経済格差や人口構造などさまざまな社会のひずみをもたらしてきました。

“子どもの誘拐”という社会の闇によって引き裂かれた家族は、今も数えきれないほど暮らしています。

唐さんと王磊くんが再会できるその日まで私たちは取材を続けたいと思います。
政経・国際番組部 ディレクター
福井早希
2011年入局
福岡局、ニュースウオッチ9などを経て現職
日韓関係やアジアを中心に国際情勢を取材