しゃべりたくても しゃべれない 「場面かん黙」はわたしの一部

しゃべりたくても しゃべれない 「場面かん黙」はわたしの一部
家族の前では普通に話せるのに、知らない人の前では話したくても話せない。

「場面かん黙」という症状です。

幼稚園のころから外で言葉を発することができなくなった滋賀県の26歳の女性。

3か月にわたる取材期間中、彼女の声を直接聞くことは一度もありませんでした。

「実は取材を受けるのは、苦しいんじゃないだろうか」

悩みながら取材を続けていたところ、取材の最後、彼女からある言葉が届きました。

(大津放送局 記者 島津有希)

娘は“家族”としか話せない

取材のきっかけは去年9月、NHKに届いた1通の手紙でした。
自分の娘が個展を開くことになったので、取材に来てもらえないか。
そして、こう書かれていました。
NHKに届いた手紙
「娘は幼少の頃から、家族などほんのわずかな人としか話すことができず、『かん黙症』と診断されました。しかし、症状が世間で知られていないことで苦しんできたので、ぜひ取材に来て欲しい」
「場面かん黙」

専門家によりますと、家族など自分に近い人とはごく普通に話すことができるのに、それ以外の人とは不安や緊張から話せなくなる症状だそうです。

私はこれまで、実際に当事者の方と会ったことはありませんでした。
さっそく個展の会場を訪ねると、会場に並んでいたのは40点の作品。

サインペンや水彩画などで描かれ、絵心のない私もユニークな画風で魅力的に感じました。

目にとまったのは、青一色で表現された不思議な絵です。
魚や緻密な模様が青いペンでたくさん描かれ、幻想的な雰囲気を醸し出しています。

どういう思いで描き、何を表現しているんだろう。

作者のさなみさんは、母親の後ろに隠れるように立っていました。

名刺を差し出して自己紹介しましたが、さなみさんから言葉が発せられることはなく、代わりに母親が答えました。
母親の成美さん
「娘は話すことはできません。私も絵の細かいことまではわかりません」
さなみさんの表情は暗く、うつむいています。
撮影について母親に尋ねると「娘は顔は出したくないと思っています」とのこと。このときに撮影したのは後ろ姿だけでした。
取材に来て欲しいと手紙はもらったけど、さなみさんは嫌がっているのかな…
なんだか申し訳ない気持ちになりました。

しゃべりたいと思っているのに、声が出ない

さなみさんがほかの子とは違うと母親が気づいたのは幼稚園の時でした。
入園してから5か月後、幼稚園の先生から連絡がありました。
「さなみちゃん。幼稚園で全然話さないんです」
母親の成美さん
「おとなしい子でしたが、家では普通にしゃべってましたから。さなみも『もう園には行きたくない』と言いだして。うるさい子に『黙れ』というのは簡単だけど、しゃべらない子に『話せ』というのはどうしたらいいのか悩みました」
幼稚園や行政の相談窓口など様々なところに相談しましたが、原因は分かりません。

「話せないのは家庭内に問題があるからだ」
そう責められることもありました。

結局、3年間の幼稚園生活でさなみさんが発したことばは、入園式での『はい』という返事だけでした。
“無言の状況”は小学校に入学した後も続きます。

勉強も一生懸命取り組み、国語は、家でしっかり音読をして授業に備えました。
しかし、いざみんなの前で読むとなると声が出ません。

からかわれたり、陰口を言われたりすることも

小学2年生になって専門の医師に相談すると「場面かん黙」と診断されました。

高学年になると、同級生から「なんで話さないのか」とからかわれたり、ヒソヒソと陰口を言われたりすることもあったといいます。
母親の成美さん
「みなさんは、本人の意思で話さないって思ってるんですけど、本人はしゃべりたいと思っているのに、声が出ないんです。話せないのは自分が悪いと思って、自分を責めたりもしていました。家から出ないし、上を見なくなったんです。これではあかんと思って、外に出ることから始めようと夕暮れの人けのない道を娘と2人で散歩しました。すべてがつらかったですね」

「スケッチブックとペンが欲しい」

さなみさんに転機が訪れたのは、小学5年生の時でした。
「スケッチブックと絵を描くためのペンが欲しい」とねだったのです。
さなみさんはもともと絵が好きではなかったそうですが、1人部屋の中で絵を描くようになりました。

油絵や水彩画、細いペンを使ったペン画など技法も増えていきました。
絵の特徴にも変化が見られるようになります。

さなみさん自身も変わり始めたと、母親は感じています。
母親の成美さん
「当初の絵はゴツゴツとしたものが多かったです。話したいけど話せない思いを紙にぶつけているような印象でした。絵の色合いも徐々に明るくなり、暗い表情だったのが、絵を描くときは生き生きというか、心が軽やかというか、嫌なことを忘れられる、そんな時間のように見えました」
これまでに描いた作品は1000以上。
長いときには1日に10時間以上絵と向き合うようになりました。

同じ境遇の少女の存在が励みに

さなみさんは、さらに新たな一歩を踏み出す決意をします。
去年10月、場面かん黙であることを初めて公表することにしたのです。

後押ししたのは同じ境遇にある少女の存在です。
滋賀県近江八幡市の中学2年生、杉之原みずきさんです。
幼いころ、場面かん黙と診断され、その後、「お菓子作り」に楽しみを見いだします。
家族の支えやクラウドファンディングによって資金を集め、今ではパティシエとしてケーキ屋で腕をふるっています。

みずきさんの姿を地元の新聞記事で見たさなみさん。

ありのままの自分を公表し、絵を描き続ければ、自分も周りに認めてもらえるのではないか。
内に秘めてきた気持ちを絵を通じて外の世界に表現しようとしていることを知ってもらえるかもしれない。
悩み抜いた末に、さなみさんは、場面かん黙であることを公表して個展を開くことにしました。

母親がNHKに取材依頼の手紙をくれたのもこのときでした。

話せない思いを絵に 前向きな言葉も

個展の後、さなみさんが日記代わりに描いている絵手紙にも変化が見られるようになりました。

数年前は思いが伝えられないことを悔やむ内容のものが目立ちました。

しかし、個展のあとは、前向きな言葉が並んでいます。
「場面緘黙症はわたしの一部」
「絵はわたしが“生きてきたあかし”わたしはこれからもあかしを増やし続けるだろう」
こんなことばもありました。
「四半世紀の間ずっとわたしを苦しめたりしていたと思っていた場面緘黙症 ちがうんだろ 苦しめていたんじゃないだろ 一緒に苦しんでくれていたんだ 今まで憎んでばかりいてごめん そしてありがと これからもよろしく」
母親の成美さん
「絵と出会わなければ、暗い暗いトンネルの中にいたかもしれません。絵があったからこそ支えになって前向きになったんじゃないかと思う。これまで私たちを支えてくださった人たちに恩返しとして、さなみの作品を通じて場面かん黙について関心を持ってもらえたらうれしいです。また、いまも場面かん黙に悩み苦しんでいる人のためにも、正しい理解が広まってほしいです」

「場面かん黙」の人はあなたの周りにも

専門家によりますと、場面かん黙は1000人に2~5人の割合で発症するといわれています。

幼少期に多く、入園や入学など環境が変わるタイミングで発症しやすいとされていますが、大人になってから発症するケースもあるそうです。

実は私たちが気づいていないだけで「話したくても話せない」人は周りにもいるかもしれません。

大切なのは、おとなしいとか人見知りといった性格に関することではないことを周囲が理解し、「安心できる環境を整えること」だと指摘しています。
大阪医科薬科大学小児科 吉田誠司医師
「早期に治療を行うことで改善が見られますが、本人の努力だけでは難しいものがあります。場面かん黙についての認知度が低いことが課題です。学校などの教育機関から病院へ受診の促しや本人が安心できる環境を整えるなど社会全体でサポートしていくことが必要です」

声は聞けなくても

11月下旬。
さなみさんの26歳の誕生日パーティーが行われた日も、取材で自宅に訪れていました。
テーブルに置かれた誕生日ケーキは中学生パティシエのみずきさんが作ったもの。

この日、さなみさんは、初めて自分の顔を撮影しても構わないと、母親を通じて、私に伝えてくれました。
少しだけ、距離が縮まったように感じました。

出会った当初は、緊張していて動きや表情の変化はほとんどなかったさなみさん。
徐々に手を振って挨拶をしてくれたり、質問に対して良いときには首を縦に振って教えてくれたりするようになりました。
それでも、さなみさんの声を直接聞くことは一度もありませんでした。

「さなみさんは本心はどう思っているんだろう」
「実は取材を受けるのは苦しいんじゃないだろうか」

母親の成美さんを介して質問を投げかける日々。

声が聞けない代わりに、借りた作品や写真から、気持ちを少しでも読み取れないかと、手探りを続けました。

そして11月下旬、3か月にわたる取材を終え、さなみさんの特集を、滋賀県内の総合テレビで放送しました。

しかし、番組の感想を聞こうと成美さんにメールを送っても返信はありませんでした。

さなみさんから届いた“言葉”

それから数日後。私宛てに1枚の絵手紙が届きました。
さなみさんからでした。

手紙いっぱいに大きく描かれていたのは、サザンカの花でした。
隣には「ありがとう」という文字も書かれていました。

さなみさんが初めて私に直接かけてくれた“言葉”でした。
そして、絵手紙の裏には、こう書かれていました。
「花言葉 困難に打ち克つ」
声を出すことはできなくても、思いは伝えられる。
場面かん黙のことが多くの人に理解されるようになってほしい、そう強く感じました。
大津放送局 記者
島津有希
2021年4月から記者に。こうした“言葉”を多くかけてもらえるよう、一人一人との出会いを大切に取材していきたいと思います。