強さのその先へ 女流棋士・里見香奈

女流棋士・里見香奈さん。女流タイトルの通算獲得数は、歴代1位。10年以上にわたり、女流将棋界のトップに君臨しています。
しかし、強さを追求するなかで体調を崩し、対局から離れたときもありました。つらい時期こそ、里見さんが将棋への向き合い方を大きく変えるきっかけになったと言います。
(聞き手・取材:松江局 澤田拓海アナウンサー)

憧れの人と約束した詰め将棋

島根県出雲市出身の里見香奈さん。将棋を始めたのは6歳のときです。
父親と兄が、将棋を指しているのを見て、興味を持ちました。

(里見)
当時は、女の子で将棋をやっている子はほぼいなかったですし、結構、大人相手に将棋を指すこともあったので、唯一大人に勝てるものが将棋だったので、そういうところで楽しさを感じていたと思います。
負けず嫌いだったので、負けるとすごく悔しかったですし、勝つとすごくうれしかったっていう、その単純なことが、続けるきっかけになったんじゃないかなと思います。

人一倍「負けず嫌い」な性格で、将棋にのめり込んでいった里見さん。メキメキと上達したのには、もう1つ理由がありました。
それは8歳のとき、出雲市で開かれた将棋イベントで出会ったプロの存在です。
里見さんは、トップ棋士の羽生善治さんや谷川浩司さんらに、どうしたらもっと強くなれるのか、聞いてまわりました。

その一人が、この方。
当時、女流のスター棋士だった、高橋和さん。
里見さんが尊敬し、目標としていた存在でした。

(高橋)
小さい香奈ちゃんが、プロ棋士のいろいろな方に「どうやったら将棋が強くなりますか」っていう質問をしていたんですね。とことことこって私のところにも来まして。
それで私は、「毎日3問でいいから、詰め将棋を解いてごらん」って答えたんです。
「できる?」って聞いたら、まっすぐな目で「できる。できます」っていうふうに。「じゃあ、指切りげんまんしてみようか」って言ったら、なんとそのままずっと続けてくれたんですね。
(澤田)
修学旅行のときも詰め将棋を続けたそうですね。
なかなか毎日続けるのは大変だと思うんですけど、どうして続けられたんですか?
(里見)
当時、私すごく人見知りで、本当に勇気を振り絞って言えたことばに対して答えて下さった高橋和さんが、すごくキラキラして見えたんですよね。かっこよくて。
そういう憧れの先生との約束を守ろうっていう気持ちでやっていたのが、どんどん将棋を好きになるきっかけになったと思います。

(高橋)
約束を守るって、簡単なことではないと思うんですよね。
本当に一日3題ってそんなに多くはないですけれども、でも毎日毎日やって、それで、半年後ぐらいに、鉛筆で書かれたはがきが送られてきたんですよ。
「毎日詰め将棋やっています。どこどこの大会で優勝しました」っていうはがきを半年に1回くらいかな。毎回送ってくれて。
それを見るたびに、「ああ、どんどん強くなっているんだな」っていうのと同時に、やっぱりその本当に小さなきっかけの、指切りして約束したことを続けてくれているのが、とてもうれしかったですね。
(澤田)
里見さんは、高橋さんに送った手紙のことは覚えていますか?
(里見)
そうですね。ただつながりたいっていう一心だったと思うんですけど(笑)。
返信もいただいて。
(高橋)
当時は、ここまでインターネットも普及していませんでしたし、地方にいることが、ちょっと不利な状況でもあったんですよね。また、将棋を指す女の子の数も少なかったし、そういう中で頑張ることは、本当に大変なことだなって思っていましたのでね。
その中で続けられたのは、本当に彼女の強い意志と努力だなっていうふうに思いますね。今でも小さなときからの情熱を持ち続けて、トッププレーヤーになってさらに上を目指している姿は、本当に尊敬していますし、とにかく自分の人生を楽しく、そして、輝いた人生にしていってもらいたいなっていうふうに思っています。
(里見)
ありがとうございます。

ただ強くなりたかった

高橋さんとの約束を守り、詰め将棋を続けた里見さん。
中学1年生で、女流棋士としてプロデビューを果たし、16歳のときに、女流タイトル戦、倉敷藤花への挑戦権を獲得。持ち味であるイナズマのような速く鋭い攻めを駆使して、初めてのタイトルを獲得しました。
18歳のときには、最年少で女流三冠を達成。次々と記録を塗り替えた里見さんは、高校卒業のときに大きな決断をします。それは、女性初の“プロ棋士(棋士)”になることです。
“プロ棋士”は、女性だけで戦う“女流棋士”とは、完全に区別されています。これまですべて男性で、女性は一人もいません。プロ棋士になるためには、奨励会に入り、対局を重ねて、勝ち抜かなくてはなりません。
里見さんは、高校卒業後にふるさと出雲を離れ、単身大阪の奨励会に入ります。

(澤田)
プロ棋士を目指すと決めたときはどんな心境だったんですか?
(里見)
小学生のとき、全国大会で顔を合わせた男の子たちがみんな奨励会に入っていて、私も入りたいなって気持ちもどこかにあったんですけど、ずっと女流棋士でやっていて。年齢制限で19歳が入会できる最後のチャンスだったんですよ。
(澤田)
当時、里見さんはすでに女流棋界のスターというか、もう第一線で活躍されていて、正直そこからプロ棋士の道に進むっていうのはかなり過酷ですよね。
(里見)
そうですね。女流棋士のタイトルは持っていたんですけど、奨励会員の方に将棋を指してもらった時に、勝てなかったので、勝てない悔しさっていうのも、またそこで生まれて、やっぱり強くなりたい、勝ちたいなっていうふうに思うようになって、他に目標もなかったので、プロ棋士になりたいなっていう気持ちにかけることにしました。

破れなかった厚い壁

全国から猛者たちが集まる奨励会。26歳までに四段に昇格してプロ棋士にならなければならないという厳しい戦いが待っていました。
里見さんは、21歳のとき、女性として初めて、プロ棋士一歩手前の三段に昇格。女流棋士としても史上初の五冠に輝きました。
初の女性プロ棋士の誕生に、世間の期待が高まりました。

(澤田)
奨励会の活動と女流棋士の活動の両立となると、想像以上というか、もう計り知れないほど大変だったんじゃないですか?
(里見)
というより、やっぱり奨励会に入ってから、なかなか勝てなかったので、そこが苦しかったですよね。年齢的な部分もあったので早く上がらないといけないと、ずっと焦りながらやっているような感じでしたね。
なかなか思うように勝てないと、やっぱり勉強をしていてもすぐに結果に結び付くわけではないので、そういったときにもうひとふんばりするっていうその気力を保つのが、結構大変ではありました。
(澤田)
プレッシャーとかもありましたか?
(里見)
自分との戦いなので、周りの評価よりも、自分自身が、日々、自分の甘えに負けないようにって、すごく気をつかっていました。
(澤田)
相手と、というよりは、自分自身との戦いっていうことなんですか?
(里見)
そうですね、やっぱり勉強が第一なので、勉強することで自信になりますし。
だから勉強をしない方向に逃げることはもちろん簡単なんですけど、そうではなくて苦しい方向に自分を追い込む、負けが込んでるときにそれがいかにできるかっていうのを、心がけてはいました。
(澤田)
ずっとストイックに過ごされていたということなんですか?
(里見)
そうですね。
ほんとに将棋以外のことは極力やらないようにしていました。必要最低限の食事とか入浴とかそれ以外は、なるべく将棋にあてるようにはしていました。
でも、1日1日で自信がある日とない日が入れかわるような、数時間後には自信がなくなってたりとか、そんなのも当たり前でした。


そして、里見さんは体調を崩し、将棋の対局から離れることになりました。
翌年、何とか復帰。しかし、その後も、四段への昇段を果たすことはできず、年齢制限により奨励会を去りました。


(澤田)
そのときはどういう気持ちでしたか。
(里見)
家族というのが、負けたそばで優しく付き添ってくれたり、何か自分のいちばん弱い部分を知ってくれている存在でありますし、出雲に帰ったときにはすごく温かくゆっくりできるような環境を整えてくれるんですが、そんな家族にも連絡をすぐに取る気にはなれなかったですね。いろいろやってきたことを考えるとか、一人で考える時間にあてたりとかしていました。でも、すごく心配してくれてるのが伝わってきて、家族のありがたみを感じていました。

個性のある将棋を指したい

奨励会を退会した里見さんは、女流棋士としてこれまで以上の活躍を見せます。
2019年には、前人未踏の女流六冠を達成。当時7つあったタイトルのうち6つを独占しました。そして去年、女流タイトルの通算獲得数、歴代単独1位に。
快進撃が続いています。

(澤田)
奨励会を退会された後、なぜ勝てるようになったんですか?
(里見)
結構、逆転して勝つ将棋もあったので、運に恵まれている部分もあるんですけれども、ちょっと肩の力が抜けた部分もありました。そういう、将棋が好きなことに改めて気付いて、少し楽しいなと思えるようになったからなのかなとは思います。
(澤田)
気持ちとして、吹っ切れたような部分もあったんですか?
(里見)
吹っ切るのはなかなか難しいんですけども。ただ結果だけしか求められない場所でしたが、今は、勝負の世界ではあるんですけど、自分の将棋を、個性を出しながら将棋を指したいなということも感じるようになって、ちょっと自由度が広がったっていう部分もあるかもしれないです。
(澤田)
将棋の指し方が変わってきたんですか?
(里見)
そうですね、なるべく自然な手を積み重ねて、だけどその勝負的な要素も入れつつ、個性を出したいんで。ちょっと難しいんですけど。
今、AIとかがすごく急速に強くなってきて、人間じゃもうかなわない存在にはなったんですけど、その分すごく研究されやすくて、私が奨励会にいた頃とは全く違う勉強法になってきているんですよ。だから個性を出しにくい時代ではあるんですけど、その中で、個性を出して人間味のある将棋を指せればいいというふうには思っていますね。
「棋譜(=対局の手を記録したもの)を見れば、私だ」ってわかるようにしたいので、それぐらい個性を出していきたいですし、そういう個性も出しながら強くなっていきたいというのが理想なので、誰かをお手本にするんじゃなくて、自分にしか指せない将棋っていうのを指していきたいなっていう気持ちはあります。
(澤田)
里見さんが考える将棋の深さというか、そういったものはどこにあるんですか?
(里見)
将棋の奥深さっていうのは計り知れないんです。私もまだわからないというか。
指していく中で、こんな筋があったんだとか、こんな変化があったんだっていうことを、毎回毎回感じているので、そこを逆に自分も見てみたいっていうのがあります。
(澤田)
将棋が強くなるというのは、具体的にどういうことだと?
(里見)
そうですね。うーん…自分が自信をもって将棋を指して、そのうえでそのとおりに勝てるっていう、あんまりないんですけど、でもそういうときっていうのは、すごく自信もありますし、力もついてきているなって感じるとは思うんですよ。
まだ出会ったことないので、その瞬間に。そういうのが理想ですね。