金融危機に挑んだ2人のバンカーを悼む~混迷の時代への教訓~

金融危機に挑んだ2人のバンカーを悼む~混迷の時代への教訓~
去年、日本を代表する2人のバンカーがこの世を去った。

三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)元頭取の永易克典さんと、三井住友銀行元会長の宮田孝一さん。

リーマンショックをきっかけにした世界的な金融危機に果敢に立ち向かった。

コロナ禍、脱炭素への対応、転換局面を迎えた金融市場など、先行きの予測が困難ないまの時代に、2人のバンカーから危機を乗り越えるための教訓を探る。
(経済部記者・加藤ニール/白石明大)

巨額出資を決断した“矜持”

去年5月。

旧「三菱東京UFJ銀行」の元頭取・永易克典さんが亡くなった。
74歳だった。
永易さんは、リーマンショックの時に頭取として、アメリカの名門投資銀行「モルガン・スタンレー」への巨額出資を主導。

さらなる金融危機の連鎖を断ち切る重要な役割を果たした。
永易さんのもとでモルガン・スタンレーへの出資に向けた実務にあたり、その後経営トップを引き継いだ平野信行さんは、とにかくお客さんから愛される人だったと振り返る。
三菱UFJ銀行 平野信行 特別顧問
「口癖は、『銀行は、お客さんのお役に立ってなんぼのもんや』。金融の果たすべき使命や役割に非常に熱い思いを持った人だった。

不都合な真実も直視し、何か問題が起きると中途半端ではやめない。たとえ自分の責任になるおそれがあっても突き詰める。
そうした彼の考え方や行動が、お客さんの心に響いていたんでしょうね」
2008年9月15日、大手投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻した。

次はどこだ?

ウォール街は、疑心暗鬼に陥り、金融機関の株価は相次ぎ暴落していく。
モルガン・スタンレー救済劇の始まりは、平野さんのもとに深夜かかってきた1本の電話だった。

モルスタの担当者が、翌朝、CEOを交えた話し合いを持ちたいという。

普段、夜中には電話に出ないという永易さんだったが、このときは電話に出た。

何か感じるところがあったんだろうと、平野さんは振り返る。

このまま連鎖倒産が続けば、世界の金融システムが崩壊しかねない。
出資を前にした資産査定はわずか72時間。

リーマン破綻から1週間後の22日、モルスタへの出資方針を公表し、翌月には9000億円の小切手が、モルスタ側の弁護士事務所に届けられた。

底の見えない状況での巨額出資。

当時は「素手でナイフをつかむようなものだ」という声もあった。

なぜ、巨額出資を決断できたのか?

麻雀など勝負事には強いと豪語した永易さん。

まさに勝負勘がさえわたったとも言われるが、平野さんは、別の側面を指摘する。
平野さん
「周囲から独特な勝負勘と言われ、本人もまんざらでもなかったので、表に出さなかったが、永易さんは緻密でリアリストな面の強い人だった。たいした検討もせずに出資したと言われるが、実は、ベースとなる調査や検討を以前から十分に行っていた」
リーマンショックの3年前、銀行は、民間企業のグローバル展開でM&Aなどのニーズが高まる中、投資銀行部門の立ち上げに向けたプロジェクトチームを立ち上げた。

事務局を務めたのは平野さん。

当時、法人営業の責任者だった永易さんも加わり、議論をリードした。

メンバーは、自ら投資銀行を設立する案や、中堅の投資銀行を買収する案などを検討。

その中で有力とされたのが、大手投資銀行に出資する案だった。

リストの中にはモルガン・スタンレーも含まれていた。

平野さんは、ここでの緻密な議論が、その後を決定づけたと明かす。
平野さん
「永易さんは、投資銀行の専門家ではなかったが、学ぶ姿勢が非常に強く、人の意見によく耳を傾けていた。自分の中での方向感はしっかり持ち、自分なりに突き詰めて、厳しい指摘も何度もしていた」
「ただ、いざ行動に移せるかは別問題。出資の判断には、こうしたリアリストな一面に加え、金融機関としての社会的な使命を果たし続けなければいけないという永易さんの矜持が決定的に重要だった」
その後も、永易さんは、サブプライムローンの損失処理や、財務基盤強化に向けた計2兆円の資本増強を主導するなど、危機対応に当たった。

リーマンショックから14年。

平野さんは、いまの時代こそ永易さんの真っ正面から向き合う姿勢がヒントになるという。
平野さん
「常に現実を直視して、行動する人だった。逆に最も嫌ったのは理念先行。ふわっとしたものや、一時的な浮ついた流れに身を委ねる考え方は強く戒めていた。世の中には不都合な真実がいっぱいあり、みんなそこから目をそらそうとする」
「だが永易さんは、問題をえぐり出して、どうするんだと突き詰める。危機は繰り返すと言うが、日頃から備え、いざとなったら、たじろがずに行動する、そうした彼の一連の行動のあり方が危機に立ち向かう上で大事になってくるんだと思う」

問題が起こるほど冷静になる“胆力”

金融危機で、世界の金融機関が多額の損失を抱える中、銀行の損失拡大を防いだバンカーも去年、この世を去った。

去年10月、すい臓がんにより67歳で亡くなった宮田孝一さん。

金融危機の際は、常務として市場部門を率いていた。

その後、2011年に三井住友フィナンシャルグループの社長に就任し、2017年から亡くなるその日まで三井住友銀行の会長を務めていた。
去年12月、東京と大阪の2会場で開かれた「お別れの会」には、業界の関係者などおよそ2600人が参列し、早すぎる別れを惜しんだ。

会場で配られた三井住友フィナンシャルグループの國部毅会長、太田純社長、三井住友銀行の※高島誠頭取が連名で宛てたメッセージには、宮田さんの功績がつづられていた。
宮田孝一お別れの会の御礼 一部抜粋
三井銀行に入行して、市場営業部門において長くリーダーシップを発揮しました。市場営業部門では、多面的な分析と冷静な判断を武器に、攻めと守りのバランスの取れたポートフォリオ運営を行い、収益拡大に貢献しました。米国サブプライムローン問題に端を発する金融危機の際には証券化商品の劣化の予兆をいち早く見抜き、一斉に売却して損失の拡大を防ぎました。
当時、市場部門で宮田さんの部下として働いていた小池正道さん。

上司としての宮田さんを「問題が起これば起こるほど冷静になる人だった」と振り返る。
三井住友フィナンシャルグループ 小池正道 専務
「よく『しなやかに・したたかに』という言葉を使っていた。おそらく宮田さんの座右の銘だったと思いますが、まさにこれを体現していた人でした。

我々市場部門は相場が相手であり、予期せぬ出来事や自分たちの想定外のことがたくさん起こる。それと向き合うときに、ぶれるということがあってはならない。自分たちで考えて、正しいことは何か、物事の本質を冷静に見極めることが我々にとって一番重要です」
「そういう意味で宮田さんは胆力の人、何か問題が起これば起こるほど冷静になっていく、そういう人物でした」
リーマンショックを招いたサブプライムローン問題。

金融機関の間で損失が表面化し始める中、宮田さんが率いる市場部門は、いち早く状況を把握して関連商品を売却。

損失を最小限に食い止めた。

なぜ売却を決断できたのか。

小池さんはその理由について、次のように話す。
小池さん
「宮田さんも含めて市場部門全体で『世の中のおかしいものは、どう見てもおかしい』という基本的な考え方を共有していました。不動産価格がだんだん下がっていく中で、株価は上がっている。企業などの破綻リスクに備える金融商品、CDS=クレジットデフォルトスワップは全然上がらないという状況が2年近く続いた」
「私たちがなぜ出来たかと言えば、『おかしいものはおかしい』と素直に考えて、物を申すべきだとの考えが市場部門の根底で共有されていたからだと思います」
今年に入って、マーケットは不安定な動きが続く。

ウクライナを巡るアメリカとロシアの緊張、原材料価格の高騰、新型コロナの感染拡大に伴う企業の生産網の混乱。

インフレへの懸念の高まりで、アメリカが金融引き締めを急ぐ方針を示し、外国為替市場や株式市場の変動が大きくなり、日本の長期金利も6年ぶりの高い水準になっている。

当時の宮田さんと同じく市場部門を統括する立場になった小池さんは、アメリカの金融政策しだいで、マーケットは大荒れになる可能性もあると指摘する。

リスクが重なり、先が見えない厳しい状況にどう対応すべきか。

小池さんは、宮田さんとともに『しなやかに・したたかに』、胆力をもって対応したリーマンショックの経験がいかせると考えている。
小池さん
「おかしいことというのは、確かにおかしいが、みんながそれにすぐに気がつくわけではない。いつ来るのかを当てるのは難しいが、それは、どこかではじける。それを見逃さないように、まさに(宮田さんが持っていた)“胆力”をもって相場と対峙しろと、いま部下に伝えています」
リーマンショックに端を発した世界的な金融危機に立ち向かった2人のバンカー。

共通しているのは、物事の本質を冷静に見極め、みずからが正しいと信じることを、ぶれずに貫く力だった。

VUCA(ブーカ、Volatility=変動性、Uncertainty=不確実性、Complexity=複雑性、Ambiguity=曖昧性)とも呼ばれる、先行きの予測が困難ないまの時代だからこそ、2人の足跡は経営者やリーダーたちにとって重要なヒントを与えている。

※「高」ははしごだか
経済部記者
加藤ニール
平成22年入局
静岡局、大阪局を経て現所属
去年11月から金融担当として大手銀行を取材
経済部記者
白石明大
平成27年入局
松江局を経て現所属
鉄鋼業界や金融庁の担当を経て去年11月から日銀・大手銀行などを取材