WEB特集

愛媛のみかん 東北の被災地をゆく

「かんきつ王国」の愛媛では、みかんの出荷のピークが続いています。
その中に、荷台いっぱいにみかんを載せて東北に向かう1台のトラックがありました。
みかんがつなぐ愛媛と東日本大震災の被災地との交流。
そこには愛媛の人たちの深い“愛”がありました。
(松山放送局記者 後藤駿介)

片道1000キロ 被災地に通うこと50回

去年12月、愛媛県宇和島市。

みかんの集荷施設に10人ほどが集まり、1台の4トントラックにみかんの箱を積み込んでいました。
みかんの積み込み作業
トラックの持ち主の近藤千年さん(73歳)は震災の発生直後からボランティアとして被災地に通い、いまも愛媛のみかんを届け続けています。

東北までの走行距離は片道1000キロを超えます。

年に5回ほどのペースで通い、通算回数はおよそ50回に上ります。
近藤千年さん
近藤さん
震災に節目というものはないと思うのです。
津波で家族を亡くした人は、何かの時に亡くなった人の顔を思い出していると思います。
みかんを食べている時だけでも愛媛のこと考えてくれて、おいしいなと思って笑顔になってくれたらうれしいです」

原点は自らの被災にある

近藤さんは愛媛県新居浜市で電気関連の会社を経営しています。

東北へのボランティア活動を始めた原点は、自身が過去に経験した自然災害にあるといいます。

それは2004年に近藤さんの地元、新居浜市を襲った災害です。

この年、相次いだ台風に伴う猛烈な雨で、県内であわせて26人が死亡。
新居浜市の災害現場(2004年)
新居浜市でも土砂災害が発生し、9人が亡くなったほか、多くの人が仮設住宅に避難を余儀なくされました。

近藤さんは当時、地元で自治会長を務め、復旧に向けて活動を続けていましたが、その時に心の支えとなったのが全国からの支援だったといいます。

そして2011年3月、東日本大震災が発生。

近藤さんは「恩返しがしたい」と直後に東北に駆けつけて、がれきの撤去などのボランティア活動を行いました。
東北の被災地でのボランティア活動
あの日からまもなく11年になります。

震災の記憶の風化が進み、ボランティアで東北に訪れる人も減っています。

近藤さんにボランティアを続ける理由を尋ねると「自分のライフワークだから」と笑って答えました。
近藤さん
「いまも東北に通う理由は、何かしなくてはいけないという使命感ではなくて自分の楽しみになったからです。
被災地で出会った人と交際や交流ができるのは、僕の老後の楽しみというか、ライフワークなんです。
東北で今はこういう活動しているとか、そういう話を聞くのが僕にとっての生きがいになっています」

みかんでつながる支援の輪

近藤さんを中心とした、みかんを届ける活動は広がりを見せています。

宇和島市のみかん農家の梅村淳子さんは、この冬、初めて参加しました。
みかん農家 梅村淳子さん
無償で提供したみかんはおよそ1600キロ、それにみかんジュースはおよそ1000本と大量です。

梅村さんにも、東北を応援したいと思うきっかけがありました。

それは、2020年に宇和島で発生した突風でみかんを育てていた農業用のハウスが吹き飛ばされる被害にあったことです。
突風被害を受けた梅村さんの農業用ハウス
その後、地域の人に手伝ってもらうことで何とかハウスを復旧させ、人と人の助け合いのありがたさを痛感したといいます。
みかん農家 梅村淳子さん
みかん農家 梅村さん
「東日本大震災とは比較になりませんが、自分の身に大変なことが起きると、似た体験をしている人が今どうしているのかなと思わずにはいられませんでした。
東北の人たちにも、『あなたたちを忘れていないよ』ということと『支援は終わらないよ』ということを伝えたくて今回みかんを提供することにしました」

思いを込めたみかん 東北へ

愛媛のみかんをトラックに満載し、近藤さんが東北に向けて走り始めました。
こまめに休憩を取り、車中泊をしながら往復およそ7日間の旅程です。

最初に到着したのは、福島県南相馬市に住む仁木ヒロ子さんのもとです。
震災が起きた半年後、仮設住宅でのボランティアで出会ってから交流が続き、毎年近藤さんが来るのを楽しみにしているといいます。
南相馬市 仁木ヒロ子さん
南相馬市 仁木さん
「原発事故の直後は、放射能の影響で畑で栽培ができませんでした。
その時に近藤さんは愛媛から玉ねぎなどの野菜を運んできてくれました。
遠く離れた私たちを温かく見守る姿勢にいつも励まされています」
仁木さん(左) 近藤さん(右)
近藤さんは福島の次に宮城県の気仙沼市や南三陸町を訪れ、梅村さんが育てたみかんを配って回りました。

近藤さんはこれからも体力が続く限り、東北を訪れたいと熱く語ります。
近藤千年さん
近藤さん
「被災者の方々には、震災から何年が過ぎても来てくれる、見捨てられていないと思ってもらうことで喜んでもらえる気がします。
みかんをきっかけに足を運ぶことで被災地とのつながりを維持して皆さんの復興への気持ちを高めてもらう。
僕の役割はそういうことかなと思います」

取材を終えて

私は松山放送局に去年着任する前は福島県の南相馬支局で主に原発取材をしていました。

まもなく東日本大震災から11年になります。

現地ではがれきが撤去されて新たな建物ができるなど復旧復興が進む中、徐々に「ボランティア」という言葉を聞く機会が減ってきたようにも感じます。

しかし、津波で家族を亡くした方たちや、原発事故で避難生活を送る方々の心の復興はまだこれからです。

「東北に通うのはライフワークだから」と当たり前のように話す近藤さんを取材して、本当の復興を果たすためには「人と人のつながり」を続けていくことが大切なんだと考えさせられました。

私も南相馬の取材でお世話になった方々とのつながりを大切にし、お歳暮などで愛媛のみかんを贈り続けたいと思います。
松山放送局記者
後藤 駿介
2016年入局
前任地は福島県の南相馬支局、震災と原発事故について取材

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